小説小野小町: 吉子の恋 (福武文庫 さ 605)

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  • ベネッセコーポレーション
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  • Amazon.co.jp ・本 (205ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784828857497

感想・レビュー・書評

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  • 花の色は〜 の歌で有名な小野小町ですが、とても美人だったというだけでどのような人物だったかは詳しく知られていません。
    小野小町というキャクターをつかったフィクションなんでしょうが、彼女が生きた世界が描かれており、とても新鮮で面白かったです。
    百人一首でおなじみの小野篁、在原業平、僧正遍照、文屋康秀、藤原敏行、紀友則、凡河内躬恒などが登場します。

  • (2014.05.06読了)(2011.04.16購入)
    本を買うときは、いつか読もうと思って買うのですが、積読が大量にあるので、一度積読の仲間入りをしてしまうと、どのタイミングで読むかというのが問題となります。
    『古今和歌集』を読んだら、小野小町が出てきたので、このタイミングでこの本を読むしかないなと、手に取りました。
    小野小町は、和歌が残っていますが、それ以外の史料はほとんど残っておらず、親が誰なのか、いつ生まれていつ亡くなったのか、等、ほとんどわからないようです。
    この本は、小説ですので、研究者の本を参考にしながら、作家の自由な想像により小野小町が描かれています。
    主人公の名前は、小野吉子、父の名前は、小野篁です。母は、左大臣藤原冬嗣さまの三番目の姫君です。小野家の祖先には、遣隋使の小野妹子がいます。

    おののたかむら【小野篁】(802~852)
    平安前期の学者・歌人・漢詩人。通称,野宰相・野相公。岑守(みねもり)の子。参議。清原夏野らと「令義解」を撰。博学で詩文に長じたが,性直情径行,野狂と呼ばれる。詩文は「経国残篇」「扶桑集」「本朝文粋」などに,歌は古今集にみえる。「小野篁集(篁物語)」は後人の仮託。(『大辞林』より)
    ふじわらのふゆつぐ【藤原冬嗣】(775~826)
    平安初期の廷臣。通称,閑院左大臣。嵯峨天皇の信頼厚く,蔵人頭(くろうどのとう)・右大臣・左大臣を歴任,「弘仁格」「内裏式」を撰修。施薬院・勧学院を設置した。娘順子は文徳天皇の生母。(『大辞林』より)

    承和八年、小野吉子が十六歳のとき、五節の舞姫に選ばれた場面から物語は始まっています。その美貌の評判の故に選ばれたとか。
    五節の舞を見ている殿上人には、在原業平十七歳、源融二十歳、良峯貞宗二十六歳、などの若公達もいました。
    承和九年正月、吉子は正六位をいただき、父君は陸奥の守に任じられました。
    八月、皇太子道康親王の更衣と決まりました。同時に道康親王の立太子が決定し、小野篁殿が東宮学士に任じられた。
    吉子が常寧殿の別名となっている後宮の后町に入ったとき、局にはすでに二人の女性がおられ、三国町、三条町、と呼ばれていたことから吉子は小町と呼ばれることになりました。
    吉子は道康親王のお手付きになるまえに仁明の帝のお手付きになってしまいます。
    仁明の帝が吉子を自分の更衣にするように望んだのに、藤原良房が道康を東宮にするために吉子を道康の更衣に決めてしまったのだ、とのことです。
    仁明の帝に少しなじんだ後、道康親王が訪ねてきてお相手をしますが、しっくりとはいかないようです。
    嘉祥三年三月、前年に病気になり退位していた仁明天皇が崩御なさいました。
    仁明天皇と小町の間を行き来していた良峯貞宗は出家し、遍照となりました。
    仁寿二年十二月、父篁殿が亡くなりました。吉子は、服喪のため一年のお宿下がりをお願いし許されました。
    天安二年、文徳天皇が崩御遊ばされました。三十一歳の若さでした。
    皇太子惟仁親王さまが践祚なされ、外祖父の太政大臣良房さまが後見となり庶政を総摂されることになりました。
    吉子は、更衣から内侍となり、行事のないときは、自宅で過ごせるようになりました。
    在原業平、遍照、などと歌会でのお付き合いがあります。
    貞観八年閏三月、応天門炎上。
    藤原良房は、犯人の追及に乗り出します。
    「あの応天門の火事の直後、良相さまと伴善男さまが、源信さまを失脚させようと、応天門に火を放ったのは源信さまだと申し出られたそうでございます。でもそれが嘘で……」
    八月になって、大宅首鷹取殿が訴えて出ました。応天門の焼失は大納言、伴善男とその子の右衛門佐、伴中庸の共謀である、というのでございます。(99頁)
    貞観十年秋、吉子は典侍に任命された。
    貞観十五年正月、文屋康秀どのが吉子の局にお見えになりました。一緒に三河国に行かないかとお誘いになります。吉子は断ります。
    その後、吉子は一年足らずの東国旅行をします。武蔵の国の紀有友さまを訪ねたとか。
    (紀有友は紀友則の父親です。)
    仁和三年正月、吉子は正四位下に叙位された。
    昌泰元年、吉子は七十三歳の高齢に達していました。
    吉子は、二年近く、寝たり起きたりが続いた後、遂にみまかりました。

    【目次】
    第一章 やむごとなき人
    第二章 うたかたの身
    第三章 悲しの宮
    第四章 誘ふ水あらば
    単行本あとがき
    解説  大塚ひかり

    ●位田(69頁)
    更衣になり位をいただきますと、位田といって何がしかの田を賜ります。吉子は現在八町ほどの位田を賜っておりますので、それ相応の体裁を保って自立できます。
    ●地方の役職(153頁)
    地方に赴任する場合は、守、介、掾、目と四段階の役職がございまして、守はもちろん国の守、国司ですが、掾はその三等官でございます。

    ☆関連図書(既読)
    「古今和歌集」小町谷照彦・田久保英夫著、新潮社、1991.06.10
    「古今和歌集」中島輝賢編、角川ソフィア文庫、2007.04.25
    「土佐日記」紀貫之著、川瀬一馬訳、講談社文庫、1989.04.15
    「伊勢物語」大津有一校注、岩波文庫、1964.12.16
    「私の百人一首」白洲正子著、新潮文庫、2005.01.01
    「小説紫式部 香子の恋」三枝和子著、福武文庫、1994.12.05
    (2014年6月8日・記)
    (「BOOK」データベースより)
    仁明帝、東宮、在原業平、僧正遍照などとの様々な恋に懊悩し、情熱的な和歌の才能を発揮した六歌仙の一人、小野小町。絶世の美女とも謳われた華のごときその生涯を通して、平安時代の豊かな男女の関係のありようを浮かびあがらせた物語。

  • 平安時代に活躍した5人の女性をそれぞれ主人公にした「平安五人女」シリーズの5作目。このシリーズは基本は史実に忠実ながら、作者独自の歴史観も反映されているのだが、中でもこの小町編は時代も古く、資料に乏しかったという。
    そのせいか、小町についてはさまざまな伝説が先走っている。たとえばその伝説を生かしたのが加門七海の「くぐつ小町」であるが、三枝氏のは現実味のある小町像である。特に、歌人としての小町に重点を置いてその生涯を描く。小町の有名な歌が詠まれた由縁が、作者独自の解釈で作られているのも興味深い。

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著者プロフィール

1929年3月31日神戸市に生まれる。15歳から小説を書き始める。関西学院大学、同大学院に進学しドイツ哲学を学ぶ。『処刑が行なわれている』(69年・審美社)で田村俊子賞、『鬼どもの夜は深い』(83年・新潮社)、「響子シリーズ」(88~94年・新潮社)、『隅田川原』(82年・集英社)、『女性のためのギリシア神話』(95年・角川書店)など多数。50歳を過ぎてギリシアに長期滞在し、ギリシアの神話・悲劇を通して男女の差異に注目。そのジェンダーの視点を日本の古典文学に応用した多くの作品がある。半年以上を過ごした山寺で、そこに集まる猫たちとの交流を描いたエッセイ集『今は昔、猫と私の関係』(2002年・講談社)には、猫好きの人柄がよく表れている。2003年4月24日歿。

「2005年 『くろねこたちのトルコ行進曲』 で使われていた紹介文から引用しています。」

三枝和子の作品

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