海べをはしる人車鉄道 東海道線のいま、むかし (たくさんのふしぎ傑作集)

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  • 福音館書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (40ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784834086102

作品紹介・あらすじ

ときは明治、蒸気機関車が煙をあげてはしっていた時代です。東海道本線からはずれてしまった小田原―熱海間を、人が押してはしる鉄道がありました。海べの道にしかれたその人車鉄道は、景色もよく、がたごとのんびり、風情があったそうです。その後その道は、軽便鉄道がはしり、東海道本線となり、新幹線がはしる路線へと変わっていきます。130年前から現代まで、海べの道を定点に、見て楽しいパノラマ交通発達史。

感想・レビュー・書評

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  • まさか人が箱に入って、人が押す鉄道があったとは。ビックリしました。

    海べをはしる人車鉄道 東海道線のいま、むかし (たくさんのふしぎ傑作集)
    2006.12発行。字の大きさは…中。

    小田原から熱海まで、
    人力車から始まって、東海道新幹線が走るまでの歴史を解りやすく描いた絵本です。

    いまから130年以上前の明治22年(1889年)、東京の新橋から神戸まで、東海道本線が開通しました。蒸気機関車が煙を上げながら、貨車や客車を引いて走りました。ところが鉄道は、現在の海沿いを通る路線ではなく、箱根山の向こう側の御殿場を通るルートを走りました。海から外国の艦船に砲撃されないよう、また海沿いの険しい地形を通らずにすむよう、安全なコースを選んだからです。
    このため、小田原や、箱根、湯河原、熱海など海沿いの温泉地は、みんな鉄道から取り残されてしまいました。東京から客に来てもらうため、熱海までの鉄道建設が始まりました。その物語を描いた絵本です。

    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

    「馬車鉄道」→「人車鉄道」
    国府津から小田原を経由して箱根の湯本までは、馬車がレールの上を走る「馬車鉄道」が有りました。小田原から熱海へは、でこぼこの道を4時間かかって人力車で走ります。
    次は、人が押して走る「人車鉄道」を作ることになりました。これは小さい箱に人を載せて、レールの上を人が押すのです。明治29年(1896年)、小田原から熱海を結ぶ「豆相人車鉄道」が開業しました。時間は、人が歩くのと同じですから4時間かかります。上り坂になると乗客は歩いたり、ときには車夫と一緒に客車を押したりしました。

    「軽便鉄道」→国鉄熱海線→東海道新幹線
    そして開通から10年後に人車鉄道の線路に蒸気機関車を走らせる計画が持ち上がりました。機関車は20人くらいの乗客を乗せた客車を一輌だけ引っ張り。坂道でも乗客は、乗ったままで2時間40分で熱海まで着きました。これを「軽便鉄道」といいます。
    国鉄熱海線の工事が始まり大正14年に完成します。問題は、熱海から先の山に長いトンネルを掘る工事は、16年にわたって続けられ。難工事の末に昭和9年(1934年)に、やっと丹那トンネルが完成しました。昭和39年(1964年)、東海道新幹線が開通しました。

    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

    【読後】
    まさか人が箱に入って、人が押す鉄道があったとは。ビックリしました。
    いまは、新幹線はトンネルを通っていますが、景色のいい人車鉄道が走っていた道は、旧道となって車が走っています。私も、車でよく伊豆方面に行く時に使っていた道が、人力車が、馬が、人が押して進む鉄道であったとは知りませんでした。
    2021.07.17読了

  • 「豆相人車鉄道は、海にそって景色がよく、カーブのたびにすばらしいながめが楽しめる。しかも車輌は美しく、バネもやわらかくて乗り心地がよい。車夫は運転になれていて上手だから安心して乗っていられる。緑の山やまには、兎や雉が見られ……温泉に入ればどんな病気もすぐによくなり……」

    一見ふつうの鉄道会社の広告に見えるが、この鉄道、じつは人間が押しているのだ。小田原と熱海を結んでいた。風景を楽しみながら、海沿いを走る人力列車。

    ちょっと衝撃だった。人間が押す鉄道?
    でも鉄道馬車というのがあるくらいだからレールに乗った客車を人が押してもいいわけだ。

    でも待てよ。だんだんと思い出してきたことがある。
    そういえば夏目漱石の修善寺の大患をめぐる誰かの文章のなかで、漱石本人か、あるいは倒れた漱石を診るためにやってきた医師かが、長い時間をかけて人力車に乗っている場面。
    この転地の際に漱石は人車鉄道に乗ったのではないかと思い調べてみたら、修善寺はもっと西側だった(笑)

    けれども、漱石はこの人車鉄道に乗って『明暗』を書くために湯河原に逗留したことはあるらしい。
    また、芥川龍之介の短編『トロッコ』は、この豆相人車鉄道が蒸気機関車(軽便鉄道)に移行する際の工事現場を舞台にした物語だということが判明。得した気分。

    この軽便鉄道は小田原ー熱海間を2時間40分で結んだ。しかし1923年の関東大震災により線路は崩壊。
    これを機に、多くの犠牲者を出した難工事をへて東海道本線が敷かれた。

    学生時代に東海道本線に乗って朝方、熱海を通りかかると、銀の鱗のように照り映える日の出に感嘆したものだけれど、当時は高くて乗れなかった新幹線に乗ったとき、新幹線がその場所をあっという間に駆け抜けていったのは、本書に書いてあるとおり。
    何かを手にいれると同時に失うというのは、まさにこのことだな。

  • 小田原から熱海まで新幹線で10分。

    でもその前に、自分で歩いた時代に始まって
    人力車や馬車が走った時代、
    馬車鉄道、人車鉄道、軽便鉄道、東海道本線
    そして東海道新幹線と変わってきました。

    そんな歴史を横溝英一さんの絵本で
    楽しく知ることができます。

    明治30年の広告
    〈豆相人車鉄道は、海にそっていて景色がよく、
    カーブのたびにすばらしいながめが楽しめる。
    しかも車輛は美しく、バネもやわらかくて乗り心地がよい。
    車夫は運転になれていて上手だから
    安心して乗っていられる。
    緑の山やまには、兎や雉が見られ…
    温泉に入ればどんな病気もすぐによくなり…〉

    その道は今は車で通れます。
    湯河原には(写真をもとにつくられた)人車がおかれているし
    熱海には軽便鉄道の小さな蒸気機関車もおかれています。

    私は御殿場線も乗ったことなくて。

    まだまだ行きたいところ
    やりたいことがたくさんあります!

  •  今から130年ほど前は、小田原から熱海にかけては鉄道(蒸気機関車)が通ってなかった。
    海からの砲撃を警戒し、箱根山を迂回するルートだったのだ。

     それでもお客を呼ぶために、「馬車鉄道」と「人車鉄道」をひいた。
    線路の上だと、馬でも人でも軽い力で車輌を引ける。文字通り、馬と人にで、押したり引いたり。ときには乗客も手伝う、のんびりした旅路だった。
    豆相人車鉄道は、景色も良く人もベテランで人気のある鉄道だった。

     その後、小さな蒸気機関車の軽便鉄道に取って代わり、時代がくると東海道本線を走る新幹線に。
     移動時間はかつての四時間から10分に。でも駆け抜けていく車窓からは景色も通り過ぎてゆくだけ。

    ☆ノスタルジックな乗り物運輸絵本。胸がぎゅーってなります。知らない光景だけど。
     今の便利さと早さを安全に享受していることも併せて、いつの時代の工夫と楽しみもありがたいなと思う。

  • 小五に良い。

    四谷大塚で新幹線の止まる駅をお勉強した小五息子に借りてきたが、表紙の絵に惹かれないのか全く開かないので読み聞かせ。

    親も楽しめる内容です。
    が、比較的他のたくさんのふしぎと比べると、地味な内容なので鉄道のことを勉強した子らには受けるでしょうが、小1娘には全く受けない。

  • 今から約130年ほど前の1889年(明治22年)新橋から神戸まで東海道本線が開通。そのルートは箱根山の向こう側の御殿場を通るルートだったそうです。
    1896年(明治29年) 豆相(ずそう)鉄道が開通し、小田原と熱海が結ばれました。

    明治時代、人車鉄道が走っていたなんて、知りませんでした。小田原、湯河原、熱海…行きたくなりました。

  • 鉄道に興味を持ち始めている小1の息子と読みました。
    東海道本線に新幹線が走るまでの歴史を学べます。今日に至るまでの間、時には犠牲も払いながら人間が汗水流して作ったのだということを知る事ができ、有り難みを感じられたようです。
    この本を持って東海道本線の鉄道に乗れたら、子どもにはいい体験になるなあと思いました。

  • 「かつて、人が押してはしる鉄道があった

    ときは明治、蒸気機関車が煙をあげてはしっていた時代です。東海道本線からはずれてしまった小田原―熱海間を、人が押してはしる鉄道がありました。海べの道にしかれたその人車鉄道は、景色もよく、がたごとのんびり、風情があったそうです。その後その道は、軽便鉄道がはしり、東海道本線となり、新幹線がはしる路線へと変わっていきます。130年前から現代まで、海べの道を定点に、見て楽しいパノラマ交通発達史。」

  • 人車鉄道に乗っている人は楽しそう。蒸気機関車だと、煙とか振動とかがあるから人車鉄道の方がいいと思う。

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著者プロフィール

横溝英一 1930年、神奈川県生まれ。武蔵野美術短期大学卒業後、テレビ放送局、出版社などに勤務。おもな作品に、『黒部の谷のトロッコ電車』(たくさんのふしぎ傑作集)、『チンチンでんしゃの はしるまち』『はしる はしる とっきゅうれっしゃ』(ともに「かがくのとも絵本」)、『しんかんせんのぞみ700だいさくせん』『はしれ はやぶさ! とうほくしんかんせん』(小峰書店)など多数。

「2021年 『海べをはしる人車鉄道』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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