自信 (知的生きかた文庫)

著者 :
  • 三笠書房
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感想 : 19
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  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784837971481

感想・レビュー・書評

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  • 単身赴任の中、自宅の断捨離対象になった。 2001年の本。
    仕事の壁に行き詰まっていたんだろう。内容は全く覚えていない。
    役に立ったのかも不明。 勉強熱心だったんだと過去の自分に感心。

  • ●相手を操作しようという人は、非合理的な考え方をし、不当な要求をしながらノーと言われれば、相手は責められるべきだと信じ、操作される人は罪悪感から不当な要求に対してノーと言えない。このようなバカげたことが、この世の中で、あっちこっちでまかり通っている
    ●操作される人というのは、自分の行動の良し悪しの判断を他人にまかせてしまっている。自分の行動の善悪の判断を自分でしようとせず、他人にまかせてしまう。自分を操作しようという人に、自分の行動の善悪の判断をまかせてしまっているのだから、相手の意向が怖くて仕方ない
    ●相手が自分の行動の判断をできないと知っているがゆえに、彼は相手を操作できる。要するに、操作される人は、操作する人からなめられているのである
    ●今まで操作され続けてきた人は、はっきりと自覚しなければならない。自分の行動の善悪の判断は自分でしてよいのだ、ということを
    ●皆、口をそろえて、「君は変わったなぁ」と言うに違いない。その意味はもちろん、昔は立派なよい人だったけど、今は非人情なひどい人になってしまった、ということである
    ●”ずるさ”は弱さに敏感である。したがって、弱い人間のまわりには、”ずるい人間”がいっぱい群がっている。そしてずるい人間たちは、その弱い人間を自分の都合のいいように操作して利用しているのである
    ●「あなたが私のことをひどい人間だと思うのは、あなたの自由です。しかし私の行動の善悪の判断は、私がします。あなたがどう思おうとあなたの勝手ですが、あなたの解釈を私に押し付けるのだけはやめてください」
    ●自信のない人がはっきりと自覚すべきことは、自分が依存心を克服することを、多くの自分の周囲の人は不快に思う、ということである。自分の感情をあなたに押し付けてくる人は、あなたが弱いことを望んでいる。しかし、自分は自分の感情をもってよいのである
    ●自分の行動の最終的判断を自分でおこない、その結果についての最終的責任を自分でとろうとする人間には、卑怯な人間は近づかない
    ●実は操作されてきた人は、自分を偽って相手を喜ばそうとしてきたのではなかったろうか。操作される人の側に、相手に取り入ろうという態度があった
    ●「何も考えないで一日を過ごせた。今日はよい一日だった」と言ったビジネスマンがいた。彼は人生の幸福を現実の逃避と考えているのである。彼のさまざまな行動の動機は、現実からどう逃げるか、ということである。彼にとって、”楽しみたい”ということは、”現実から逃げたい”ということなのである。レクリエーションなどといいうものも、現実からの逃避と彼は考えていた
    ●自己主張というのは、何のことはない、自分を偽らないというだけのことである。自己主張=自信、という公式も、ここから理解されるだろう。自分を偽っている者が自分に自信をもてるわけがない
    ●甘えのある者は、自信をもつことはできない。甘えとは相手との一体感を求めることだからである
    ●自己主張とは、自分の望みを相手の前にさらけだすことである。その結果として、その相手を失うかもしれない。その相手とは今後まったく別の人生を歩むかもしれない。そんな危険をおかしながら、自己を主張するとき、その人は自信を得る。そのような自己主張をする時、自分の中にある相手との一体感への希求は切り捨てられる
    ●自信とは、自分が自分に依存していることである。甘えとは、自分が心理的に他者に依存していることである。甘えている者が自信の欠如に苦しむのは当然なのである。他人の是認あるいは賞賛なしには、自己確立できないからである。そして戦いこそが、この甘えの心理を切り捨ててくれる。他者によって与えられていた自己評価を脱出できるからである
    ●友情における戦いも、上役との戦いも、すべて相手への依存心を切り捨てることによってしか戦い抜けない
    ●依存は断ち切らない限り、ますます強化されていくものである。ますます依存を強化することで、破綻を一日一日のばしていくことはできる。しかし、その破綻はより決定的なものになってしまう
    ●もし一万円貸してくれと言われたら、自分がその人から嫌われることが怖くないならば、一万円貸せるのなら一万円貸してあげることである。しかし、もしその人から嫌われるのが怖くて仕方がない、その人からケチだと思われたくない、そういう恐怖心を抱いているならば、千円でも貸してはならない。そういう点で、妥協をしてはならない、ということなのである
    ●しかし困っている相手が自分の信頼している親友なら、自分のすべての財産を投げ出すことも必要である。なぜなら信頼しあえているということは、お互いの間に恐怖感がないということなのであるから、私たちはそのような関係から情緒的な満足感を得られるし、友人のために自分が焼くに立ったという喜びも得られる。友人を信頼できる人は、人生の目的や生きがいをもちやすい
    ●断りにくいということ自体が、すでにお互いが信頼しあえていないということである。信頼しあえている友人同士では、はっきりノーということは、けっして難しいことではない。自分のペースで歩くことは、信頼しあった友人同士の間では可能である
    ●ノーと言うのが怖い、それほどまでに相手を巨大化してしまったのは、ほかならぬ自分自身であるということを忘れてはならない。それは相手が悪いのでも、他の誰かが悪いのでもない。自分が勝手に一人で相手を恐怖の対象にしてしまったのである
    ●客観的に相手に力があるわけではない。自分が一人で勝手に相手に力を与えてしまったのである。なぜ自分は相手にそれだけの自分への影響力を与えてしまったのか、それは自分が弱いからである。自分の弱さが何でもない相手を巨大化してしまっただけの話である
    ●何でもない一人の人間に、自分は自分に対する影響力を勝手に与えてしまった。そして、勝手に相手の言うなりになっている。それは自分の影を恐れて逃げているようなものであろう。いずれにしろ、一人芝居なのである
    ●生きていることに喜びを感じている人は、妥協していない人である。妥協していない人は、対人回避をしない。逆に、人に会いたくない人は妥協しすぎたのである。妥協しすぎて虚無的になってしまった人は多い
    ●相手に気に入られようとして、人は「自滅」する
     人は相手に対する思いやりからでた行動によって成長するが、相手に対する恐怖心からでた行動によって退歩する。相手に対する恐怖心で動いているから、”疲れやすい”のである。人に会うことが頭痛がしてくることもある。全身の疲労感でぐったりしてくる時もある。人に会うのがうっとうしいのは、恐怖心から自分を抑制しすぎているのである
    ●自分の人生に対する責任感があって、人は始めて自己主張ができる
    ●自己主張の第一歩は、イエスとノーをはっきりと言えるようになることである。他人の顔を見ずに賛成の時は賛成の、反対の時は反対の手を上げられるということある
    ●同僚であろうと上役であろうと、ノーはノー、イエスはイエスと言えなければならない。真の戦いの場を避けるならば、私たちは始終ビクビクしていなければならない
    ●自分自身の評価を他人に頼ろうとするところに、私たちの自信のなさ、落ち着きのなさが隠されているのではなかろうか
    ●他人が事実以上に自分を評価してくれて喜ぶ人は、何もやろうとしない人である。何かやろうとする人は、事実を知ろうとする
    ●まず姿勢を正しくして歩くこと、身体のかまえを直すことである。身体の構えがダラーンとして前かがみであるのを直すこと、そんな単純なことでよい。息を思い切り吸って肩をあげて、息を止める。そして次に一気に力を抜いて身体を楽にする。ガタンと肩を落とす。そんなことを十回やるだけでよい
    ●たった一回の失敗でくじけてしまう自分を変えることが大切なのである。失敗が問題なのではなく、失敗にくじけてしまう自分が問題なのである
    ●失敗が問題なのではなく、失敗しても何もしないで悩み始めることが問題なのである。そんな自分を変える第一歩が身体の構えであり、気構えである
    ●大切なことは、自分の側から何かを仕掛けることである。あなたは何年もただ待っていたのではないか。もう、自分から何かを仕掛ける時である
    ●自分がつくったリストの中で、今すぐできること、あるいは工夫すればできることをすぐに始めるだけで、何かが変わってくるはずである
    ●陰鬱な気分で生きている人は、小さいことをバカにしがちである。自分が小さいことをバカにしたからこそ、陰鬱な気分で生活する破目になったということに、そういう人は気がつかずにいる
    ●今まで小さいことを軽蔑していた人は、なぜ自分が小さいことを軽蔑していたかを、改めて考えてみることである。すると、そこに自分の人格の重大な欠陥があることを発見するかもしれない。そこに自分の自己顕示性を発見する人もいるかもしれない。また、ある人は自分の自己中心的な”うぬぼれ”を見つけるかもしれない
    ●昨日できなかったことを悔やんでいるよりも、今日できることをやることである。昨日できなかったことをいつまでも悔やんでいると、自分を失敗者のように感じだす。私たちは失敗してもいいが、自分を失敗者と考えてはいけない
    ★自信のない時、自信のなさそうな行動をしているといよいよ自信をなくす。自信のない時こそ、確信に満ちた行動をすることである。自信のない時、自分は自信がないと自分に言うよりも、自分は自信があると自分に言い聞かせるほうがよい
    ●消極的、否定的態度を克服するために積極的、肯定的態度をとってみることである。自分が「私はだめだ」と思って、身の回りのことも投げやりになれば、だんだんそうなっていく
    ●今日一日トゲトゲした声で話をしない、などということも簡単なようでいてできにくい。しかし、やろうと決心すればできる。そして声の中にある笑顔を表現できるなら、一日一日と人生はバラ色になってくる。声がやさしく笑っていれば、人々はあなたと話したがるものである。そして、人と接することで元気は出てくる
    ●電話で話すとき、笑顔のある声で話をすれば、相手も気持ちよいがこちらも気持ちよい。渋面やトゲトゲした声は相手を不快にさせるばかりでなく、自分をも不快にする。相手に突っかかっていく時は、自分に突っかかっている時である。相手に対する態度は、同時に自分に対する態度である
    ●一人の人を好きになることは、それだけ自分を好きになることである。そして、それだけ他人への不必要な恐怖心を克服することである。自信は自信を育てる
    ●自分を大変な人としてイメージしている人は、ナルシシズムにおかされているだけであって、けっして偉大な人ではない
    ●今までは、意識された自己が自分を高く評価していたが、潜在意識下の自己は自分を低く評価していたのである。ありのままの自分を認めるということは、この逆である。だからこそ、自信が出てくるのだ。意識されている自己がどなんに自分を高く評価してみても、そんなことから自信が湧いてくるものではない
    ●ナルシシズムからでてくる理想の自我の水準は、良心についても非現実的に高いレベルにある。したがって、ちょっとしたことでも自分を責めるし、つねに不満でもある。どちらかと言えば、消極的な人に非現実的な良心と劣等感が悪循環を起こしてしまう。これらの悪循環も、実はあまりにも自分のイメージにとらわれているからである
    ●迷った時のために、”2枚のカード”を用意しておく
     2枚のカードのうち1枚には”Go ahead!(やってしまえ)”と書き、もう1枚には”Do it Later!(あとまわしにせよ)”と書いておく。何か自信がない時、そのうちに1枚をひく。その時、”Go ahead!”のほうをひくことである。そのうしろには”Be confident!(自信をもて)”と書いておくとよい
    ●何かやろうか、やめようかを迷ったら、必ず、このカードをひくことである。今日が明日を決めるのである。今日はじめられることをはじめなければ、明日はじめるのがもっと大変になる
    ●「大変だなぁ」と憂鬱になるのは、はじめから目標に負けているのである。また、負けるような目標を立てるということは、自分の中にそれだけ歪んだものがあるからであろう。健全な精神は、自分のできることを望むものである
    ●仕事の勤勉さ、正直と几帳面、過度の義務感と責任感、八方美人、それらはその人が自分の内面の空虚感や不安感から逃れるための手段として使っているだけである。そのように振舞うことによって、自分の内面の孤立感から眼を背けていられる、ということに過ぎない
    ●本来の自分を発見することなく生きている人は、規範意識が過剰である。「何かをしたい」という欲求が希薄で、「何かをしなければ」という規範意識が強い。このような人は、規範がさきにきてしまう
    ●”心の闇”を知れば、これからの道が見えてくる
     どう生きるべきか、ということの探求が先行していたから、結局、迷うだけ迷いながらどう生きたらよいのかわからなかったのである。ありのままの自分を探求しようとしていれば、その結果として、どう生きるべきかがわかったのであろうと思う
    ●たえず感情が緊張して感情疲労のはげしい人は、防衛的な人なのである。防衛のためにエネルギーが消耗されてしまうのである
    ●この世の中には、防衛的性格で生きている人と、本来の自分の性格で生きている人とがいる。そして、防衛的性格で生きている人には、本来の自分の性格で生きている人にとって世界はど映っているか、ということが想像できないのである。
     一口で言えば、自分の本来の性格で生きている人にとって世界は事実と価値が統合されやすい、ということである
    ●完全主義というのは、不安をもとにしてできていると言われるように防衛的性格の人間のもつ主義である
    ●防衛的であるかぎり、道は開けない
     小さい頃から防衛的性格の人間にかこまれて生きてしまうと、人それぞれの人間としてのちがいがわからない。一人一人の人間としてのちがいを感じ取る能力がない。しかし本来の性格で生きている人には他者は一人一人ちがうのである
     ”たち”が悪いというのは、その人が防衛的性格であるということである。防衛的性格の人は対人関係で常に不安である。自分を守ることばかりに気をとられているから相手が見えない。つまり、対人的感受性が欠如している。他人に自分の欠点を気づかれまいとすることにエネルギーを使ってしまうため、相手がどんな人間か見えないのである
    ●抑圧や防衛がなくなることによって、人間は創造的になる。だから、本来の性格で生きている人は一人一人創造的なのである
    ●防衛的性格で生きながらえていると、生きることの意味がわからなくなり、人間いかに生きるべきかと悩む。そして「価値ある生き方は創造的な生き方である」などと口で言ってみても、悩みの解決にならない。
     防衛的である限り、けっして創造的ではない
    ●人生には2つの大切なことがある。ひとつ、自己の信念に忠実であること。ふたつめは、独りよがりにならないこと

  • 家でホコリをかぶっていたのを見つけ、なんとなく読み始めた一冊。
    でもとても重要になってくれた一冊。

    なぜ自分はイライラするのか、
    なぜ気力が出ないのか、自信が無いのか。
    その原因をさぐるヒントを与えてくれるこの作品は、
    1ページめくるごとに新しい発見がつぎつぎと見つかります。

    例えばこの一文
    「自分が相手に対する愛情からイエスと言ったのか、恐怖心からイエスと言ったのかは、その行為のあとの自分の気持ちでわかる。相手に対する恐怖心から親切な行為をした時には、その後で何となく不満になる。しかし相手に対する愛情から親切な行為をした時は、たとえ何かの犠牲があっても、満ち足りた気持ちになる。」

    ・・・

    毎ページ毎ページ、自分の頭が整理されていくのを感じるというこんな快感は、
    なかなかどうしてたまらないですね。

    ★がひとつ足りないのは、
    「起きていることはわかったけど・・・どうしよう?」
    というところが書かれていないため。でも、
    「なにが起こっているのかわからない。なにがわからないのかもわからない。」
    そんな状況にあるときには、この本は助けになってくれる可能性が高いと思います。

  • 「自信」3

    著者 加藤諦三
    出版 知的生き方文庫

    p183より引用
    “車についても土地についても、
    これだけ右往左往して落ちつかず自信がないのは、
    その持ち主が、自分の持ち物についてよく知らないからである。
    そして、他人の評価に頼るからである。”

    社会心理学者である著者による、
    自信を無くしたり生み出したりする原因や行動を、
    解説した一冊。

    上記の引用は、
    著者が購入した土地についてのエピソードの中の一文。
    自分の手持ちの道具や自分の能力を把握しておく、
    敵を知り己を知れば百戦危うからずということでしょうか。
    自分に出来る事を一つ一つ積み重ねていくと言う事は、
    誰にでも出来るようでなかなか難しい事です。
    自信を育てる一助として。

    ーーーーー

  • 一時期加藤氏の本を貪るように読んでいた時期があったが、その中でも一番ガツンと来た本。

  • 加藤さんの本は今回が2冊目だ。説得力がある。いっぱい元気をもらった。ありがとう。本当に感謝してる!

  • 残念ながら、自分の求めている内容ではありませんでした。


    「自分に自信の無いのは、アナタを操作しようとする人間が周りにいるからだ。」

    という内容から始まって

    「情緒的に未発達な親は、自分の望む人生を子に押し付けて満足する。そうして育てられた子は自己主張できない」

    とか、変な宗教に洗脳された人にあてたメッセージのような内容です。
    まともな親に育てられてないのはもう、わかってるんだからそこから先の話を具体的に伺いたい感じです。

  • 病みやすい人におススメ

    加藤諦三さんの本全てそういえます。
    にんにん(忍)にこの人の本を薦められたのをきっかけに読み始めたが、

    にんにんはあの本を読むと逃げちゃうのでもう読みません、と言う。

    自信をもつようになったら、必要なくなるものなんだろうか。

    まぁそうか。

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著者プロフィール

1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科を修了。元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員。現在、早稲田大学名誉教授。
主な著書に、『自分の心に気づく言葉』『心を安定させる言葉』(以上、PHPエディターズ・グループ)、『心の休ませ方』『自分のうけいれ方』『不安のしずめ方』『自分に気づく心理学』『やさしい人』『絶望から抜け出す心理学』(以上、PHP研究所)、『なぜ、あの人は自分のことしか考えられないのか』(三笠書房)、『心と体をすり減らさないためのストレス・マネジメント』(大和書房)などがある。

「2023年 『ブレない心のつくり方』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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