- Amazon.co.jp ・本 (63ページ)
- / ISBN・EAN: 9784841607000
作品紹介・あらすじ
「沈黙の春」のレイチェル・カーソン最後のメッセージ。子どもたちへの一番大切な贈り物は、美しいもの、未知なもの、神秘的なものに目をみはる感性です。その感性を育むために子どもといっしょに、感覚のすべてをかたむけて自然とふれあいましょう。
感想・レビュー・書評
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昔読んだ漫画のセリフ。
「君が今引っこ抜いたペンペン草は宇宙なんだ。君は今宇宙を引っこ抜いたんだよ」
漫画の中の虚構のお話のセリフが庭に生えているどうってことない雑草と繋がり、その雑草が宇宙へと繋がっていく。
その展開に頭がクラクラする思いがした。
そういえば昔ペンペン草の音を出すのを聴いたり、ホトケノザのあの小さな紫色の花の蜜を楽しんだ。
『当たり』と『はずれ』があったのだが、今思えば『はずれ』は他の生き物の食事の後だったのかもしれない。
この本を読むと今より確実に距離が近かった幼い頃の自然との蜜月を思い出せるような気がする。
苦しくなったら思い出せばいい。
レイチェルさんの遺言、しかと受けとりました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目を見はる感性」。
事実をうのみにさせるよりも、むしろ子どもが知りたがるような道を切りひらいてやることのほうがどんなにたいせつであるかわかりません。
風のないおだやかな十月の夜、車の音がとどかない静かな場所に子どもたちをつれていき、じっとして頭上にひろがっている暗い空の高みに意識を集中させて、耳を澄ましてみましょう。
自然の力と、子どもの感性。 -
著者レイチェル・カーソンが甥ロジャーとともに自然を探索し見聞き感じた情景と、そこから得た考えを綴った未完の書。
最初に読んだのは思春期、写真も素敵だしキレイな情景が描かれている美術書のような本だと思った。二度目は社会人なりたて、こんな穏やかな世界に浸る余裕なんてないと悪態をついた。そして三度目の今回、子供をもち親になった私は「この本は子育ての指針だ」と、強張っていた心身が不思議とふと軽くなるのを感じた。
親として大人として、子に何を伝えられるだろう、何を教えられるだろう。ぐるぐると考えては心ばかりが焦るこの頃。本書で著者の自然や子供へのおおらかな視点に触れて、子と一緒に感じることや、私自身が楽しもうとする余裕を少し見失っていたなと反省した。
大切なのは「知る」より「感じる」。「座学」より「体験」。
私のまわりには著者のような環境、つまり星が覆うような空や、眼前に広がる海や、青々とした森はないけれど、それでも自然の偉大さを感じる手段はいくらでもある。早速あしもとの蟻の列にでも、子と飽きるまで眺めてみようかななどと思った。
「センス・オブ・ワンダー」の精神は一生モノ。心に刻んで生きていこうと思う。 -
いつか読もうと思っていて今。大切な一冊になった。感じやすい心のままで自然とふれ合うことの尊さ。子どもが無垢なままいられることの尊さ。自然の大きさ。空を眺め風を感じたくなる。
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大人になるに従って感性が鈍くなる。新しいものに出会う機会が減り、一度見たことがあるものになってしまう。自然の、驚くほどはっとするような造りに気づくような人であり続けたい。その他思ったこといろいろ。子どもと一緒に星空を見上げてみたい。読んでいる最中、山梨の山中のホテルに泊まった朝の鳥の鳴き声を思い出した。「ものの名前に意味はない」は森博嗣さんも書かれていた。もし、本書の舞台が日本だったら、もっと四季の移ろいに関する記述があったかもしれない。
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・「子供たちの世界は、いつも生き生きとして新鮮で美しく、驚きと感激にみちあふれています。残念なことに、わたしたちの多くは大人になるまえに澄みきった洞察力や、美しいもの、畏敬すべきものへの直感力をにぶらせ、あるときはまったく失ってしまいます。
もしもわたしが、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかける力をもっているとしたら、世界中の子どもに、生涯消えることのない「センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目を見はる感性」を授けてほしいとたのむでしょう。
この感性は、やがて大人になるとやってくる倦怠と幻滅、わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、かわらぬい解毒剤になるのです。
妖精の力にたよらないで、生まれつきそなわっている子どもの「センス・オブ・ワンダー」をいつも新鮮にたもちつづけるためには、わたしたちが住んでいる世界のよろこび、感激、神秘などを子どもといっしょに再発見し、感動を分かち合ってくれる大人が、すくなくともひとり、そばにいる必要があります。」(P15)
・「神秘さや不思議さに目を見はる感性」というのは「見る」とはどういうことかを考えるきっかけになる。高度な資本主義社会の中では、疑うことがないほどの当たり前感覚として人間が中心になっていて、自分が中心にさせられて、次から次へとあらゆることがらに自分が欲求させられる。欲求の充足と欲求の不満に苛まれる日々をおくっていると世界に「倦怠」と「幻滅」という靄がかかって、何かを見ているようで見ていない時空間を生きることになる。「見る」とは見たいものだけを見ることではないのではないか。
・人間中心的なものの見方ではないところに「センス・オブ・ワンダー」があるのだとすると、「センス・オブ・ワンダー」をとおして見えたものには「感謝」をいだくのではないか。この神秘とともに自分もあることへの「感謝」が「センス・オブ・ワンダー」をさらに研ぎ澄ませていく関係にある。「センス・オブ・ワンダー」と「感謝」は相補的なものなのだろうと感じた。 -
The Sense of wonder
この言葉を一生心に刻んで生きていきたいと想う。 -
神秘さや不思議さに目を見はる感性。 短いので一瞬で読めてしまいましたが、子どもにとってのみならず大人にとっても大切な感性についてたくさん学ぶことがありました。 かたいことは抜きにしても、単純にこんな子育て最高やん!てところがたくさんで素敵なお話でした。