本を読むときに何が起きているのか ことばとビジュアルの間、目と頭の間
- フィルムアート社 (2015年6月27日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (427ページ)
- / ISBN・EAN: 9784845914524
感想・レビュー・書評
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原題は「What We See When We Read」。
著者のピーター・メンデルサンドは数々のブックデザインを手がけた装幀家。
もっともそれは「私は本の装幀家で」という347ページの記述を読んで知ったこと。
それまでは、多用される挿画や画像、工夫を凝らしたフォントなどを見ては、編集の苦労を勝手に思いやっていたのだ・笑
読書する時に、頁に印刷された文字の他に私たちは何を見ているのか。
読むときに何を頭に思い描いているのか。
それを理論で展開するのではなく、読書の追体験をしながら豊富な挿画や画像を用いて解説してくれる本。
様々な問いかけと実験。時折吹きだしてしまうようなユーモアもあって飽きさせない。
思考実験はヴァージニア・ウルフの「灯台へ」で幕をあけ、同じ本で終わる。
その間の旅は、ちょっとしたワンダーランドを巡るかのような面白さだ。
例えば「アンナ・カレーニナ」を読んで、アンナはどんな顔をしているのか私たちには分からない。読者が頭の中で描くスケッチは、警察が描く似顔絵よりお粗末だという。
文字を目から情報として取り込み、脳内で展開する過程で「登場人物」なり「情景」なりは人それぞれの物として変質していく。
時にそれは慣れ親しんだ土地や風景だったり、よりよく知っているものに変換する。
読者は、小説の舞台となっている場所や登場するもの・人物が、自分の思い描く場所・もの・人物と同一であってほしいと思っている。
メンデルサンドはこれを、「共同創作」と名付けている。
カフカは「変身」の出版元に、「虫そのものを絶対に描いてはいけない」と手紙を書いたそうだ。読者に「内側から外側を見るように、虫を見て欲しかったから」という理由らしい。
見るという事の虚構性を論じた後で、著者はこうも言う。
私たちの脳内再生装置は、過去の記憶や体験、更に配置されたイラストやイメージに簡単に影響されてしまうような、信頼性の怪しいシステムであると。
しかし、メンデルサンドはそこに「読む」ことの意味を見出して解説してくれる。
曰く、私たちは「要約する」と。
『脳そのものが、要約し、置き換え、表象化するようできているのだ。
信憑性は偽の偶像であるだけでなく、到達できないゴールでもある。だから、私たちは要約する。私たちはこのようにして世界を理解する。これが、人間のすることだ。』
思考実験は音楽・演劇・美術にまで及ぶが、読書として取り上げられるのは小説が中心。
内容から言えば仕方がないかもしれないが、そこがやや残念なところ。
ノンフィクションに言及した箇所は、ただ一ページしかない。
小説の印象的なフレーズを、挿絵やフォントの変化で更に印象的に見せる工夫が随所でなされ、もはや「アート」というほどの訴求力を持った本だ。
(カルヴィーノの作品の挿絵では思わず爆笑だった)
読み方でも読んだ後についてでもなく、読書中に起きていることについて、ここまで考察した本は珍しい。
このワンダーランドに、皆さんもぜひお越しください。
開いた状態をキープ出来ないというのが、唯一の欠点。
でも著者は装幀家だから、これも計算のうちなのかな。。。 -
ハリーポッターの本を読み始めた頃だったか、挿絵がなく、小説の中で登場人物の特徴や情景の描写が少なかったりするときに、自分の想像力で補強をすることができなくなった。描かれていない、根拠のない肉付けをしていいのか。そういう作品に出くわすたびに迷いを払い退けられず、ストレスを感じていた。
絵本、挿絵多め、挿絵なしの本と人間の読書能力は鍛えられていくらしく、どうやら私は最終段階でつまづいたままのようだ。
私だけかと思っていたけど、まっとうな悩みなんだそうな。そもそも本は読み手の数だけ違う姿になっていいのだ。長年の悩みから解放された気がする。 -
本を読むという中で、どう理解しているのか?
文字を読んで言葉を視覚的に理解しながら考えている。
文字も順に追っていくだけでなく、行ったり来たり、あるいは飛ばしながら読む、それでもだいたいを追いかけられる。登場人物の描写が(最初にあると限らない)そこまでのイメージと合うやいなや、読み返すことも。。
挿絵やあるいはドラマ化、映画化されているならばそのイメージに引っ張られるだろうし。。
挿絵や、フォントが美しく、いろいろ考えさせられる本。
面白い。
というか本を読みながら、自分は全く他のことに想いを馳せることもあるし、いろいろ自分の中の思考へ展開することも。
本というものの不思議さ、考えさせられた本。 -
著者は装丁家。
タイトルから学術書かなあ・・・と思ったら、確かに学術的な示唆も多く含んでいるんだけれど、本自体はなんだろう、コンセプトブックというのもおかしいけれども、凄い豊富なビジュアルイメージを含んだ、文章も1ページ1ページレイアウトが全然違うし、図像も色々入ってきて、それが著者の言いたいことを象徴している、というデザイン本みたいな本。
雰囲気としてはA・マングウェルとクラフト・エヴィング商會を混ぜてこねた感じ。
主として文学作品を読むときに、人はどう読んでいるのかということについて、当たり前のように思っていることが実はそうではない、ということを色々示していく。
例えば人は登場人物のビジュアルをどう処理しているのか。考えて想像している、ようでいて、具体的には描いていないことが多いことを指摘していく。だから挿画や映画化などビジュアルを出してしまうことは大きな影響を持つし、カフカは『虫』について、装丁に虫を出すことを絶対にするなと禁じたりしている。
一見分厚いけれど、かなりグラフィカルなので、内容はそんなに長くない。ただし、豊富でないという意味ではない(1枚でずっと考えこんだりも出来うる)。
今やっている研究に直接関わるわけではないので今回はパワー・ブラウジングで済ませたけど、また時間を作ってゆっくり読んだりしたい系の本だ。 -
本を読むときに、頭の中で何が起こっているのか。
本書を読むと、この日常的な行為が、実はとても複雑な、混沌とした、まだ明確には分かっていない動作の集合体であることに気付かされます。また、様々なメディアが溢れる中、改めて「読む」という行為を捉え直す機会になりました。
特に腑に落ちたのが、
脳の外にある情報は、どれだけ整理されたものであっても、脳にとっては「ろ過されていない暗号化された信号」であり、読者は「作家の世界観をできるだけ自分たちの中に飲み込んで、私たちの思考の中にある蒸留機の中で、その素材を自分たち自身の世界と混合し、組み合わせ、何か唯一独特のものに変質させる」。これが読書であり、「本を読むことは、読者が世界を知るためのこの手順の反映」であるという流れです(P402)。
昨今、複雑な内容を分かりやすく解説する映像、MRなどなど、様々なメディアが進化しています。ただ、本を読むことは、世界を理解するためのトレーニングとして、未だ、そして今後も重要な位置を占めるのかも?と感じました。
それから、内容に加えて、ブックデザイナーが制作されてただけあって、デザインが面白い。読書の過程で頭の中で発生しているであろうことを、視覚的に描こうと試みが素晴らしいと思いました。
おそらく一読して把握することは難しい内容。自分にとって、本書は時間を空けて、何度も噛み締めるように読みたい本になりました。 -
思考の流れを考えさせられる。
1ページごとに簡潔に、よむことに関する事例が書かれているので、すきま時間に読むのにもぴったり。
ページ毎のデザイン性も高いので、おもしろい。 -
本来的な本の面白さは何によって支えられているのかというようなこと、様々な読書体験があり様々な方法論や表現形式があるなかで、読書本来の輪郭を改めて丁寧にとたえてくれる。それが、様々な種類のテキストが通過していく中で損なわれ気味な読書感覚を蘇らせてくれるようなところがある。とにかく抜群に面白かった。★10でもいいくらい。
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[読むことを,読む]1日の間でなんども繰り返される「読む」という行為に焦点を当てた作品。ともすれば無意識的に行っているこの行動は,いったい私たちに何をもたらしているのだろうか......。著者は,ブックデザイナーとして活躍しているピーター・メンデルサンド。訳者は,アニメーションや映像芸術作品の字幕翻訳も多数手がける細谷由依子。原題は,"What We See When We Read"。
印象的なフレーズとこれまた印象的なビジュアルで,「読む」ということの意味する世界へと,読者をどこまでも誘ってくれる一冊。タイトルに対する回答がスパッと提示されるタイプの本ではないのですが,普段何気なく実践している行為の捉え方がガラッと変わること間違いなしです。
〜本を読むという活動は,意識そのもののように感じ,また,意識そのもののようなものだ。つまり不完全で,部分的で,かすみがかっていて,共同創作的なものなのである。〜
本読みとしてはタイトル買いな側面もありましたが☆5つ -
読書にはいくつか誤解や錯覚があるようだ。自分の愛読書であっても、外見など登場人物を簡単に視覚化できるとか、人物描写が少なく視覚的に深みの足りない小説は良い小説とは言えないといった思い込みや、作者が作り上げた像や世界に対する解釈を読者はそのまま受け入れているとか、物語の舞台を実際に訪ねてみることは、読書体験を上回る経験であるといった錯覚がそれである。本を読む時に起きていることは何か? そこで出会う登場人物や場所、筋書きから意味を読み取り、その行為が私たちを過去に立ち戻らせ、失われた経験の断片を見つけている。
「言葉が効果的なのは、その中に何かを含んでいるからではなく、読者の中に蓄積された経験の鍵を開けることができるという潜在的な可能性があるからだ。言葉は意味を『含む』が、もっと重要なのは、言葉が意味の有効性を高めるということである」。
読者は、作者が提示する世界観や解釈を通して、不完全であるが意識的に、作者と共同でこの世界を読み解いている。その世界は、実際には断片だらけで、未完成で進行中なものなのだが、私たちはそれでも「見るという虚構性」から全体性を信じ続け、時間をかけながら断片をつなぎ、統合しながら理解を重ねる。さらに、読んで想像することは、読者自身の性質をも顕在化させる。本を媒介として。 -
本を読む、という行為や現象についてとことん考える本。読むとは何か。そこから考えよう。
非常に面白い質問ですね。
メアリアン・ウルフの本にこちらが引用されていないことを、むしろ不思議な思いでおりました。
ワタク...
非常に面白い質問ですね。
メアリアン・ウルフの本にこちらが引用されていないことを、むしろ不思議な思いでおりました。
ワタクシは両者の近似性を感じました。
もしもディスレクシアの子も「要約し、置き換え、表象化する」働きが同様であるならば、そこが糸口になるのでは。
テキストを画像に置き換える。
全く違うタイポグラフィにすることで読書も可能になるかもしれません。
専門に学んだわけではないので詳しい説明ができないのですが。
子どもたちはもっと不思議に満ちています。
大人よりはるかに生活経験が少ない(と思う)のに、想像力はどこから来るのか。
読んだ後の感想を話してくれるとき、いつも驚嘆するのはそこです。
2冊とも手元にないのが残念ですが、そんなことを考えますね。
「本」とも「おはなし」とも関係ありませんが、以下の本はその発見に良いヒントを与えてくれるかもしれませんよ。
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「本」とも「おはなし」とも関係ありませんが、以下の本はその発見に良いヒントを与えてくれるかもしれませんよ。
天才と発達障害 映像思考のガウディと相貌失認のルイス・キャロル (こころライブラリー)
日本語は映像的である-心理学から見えてくる日本語のしくみ
ヒトの目、驚異の進化
おお、三冊もご紹介いただいてありがとうございます!
どれも非常に興味深いですね。
ワタクシは視覚から入った情報は先ず忘れま...
おお、三冊もご紹介いただいてありがとうございます!
どれも非常に興味深いですね。
ワタクシは視覚から入った情報は先ず忘れません。
耳からのはサッパリです・(笑)
視覚を進化させることが出来たらもしや天才に近づけるかと思うこともあります(*´▽`*)
メアリアン・ウルフとこの本、同じように感じて下さり光栄です。
どちらも大変な良書ですね。忘れ難いです。