- Amazon.co.jp ・本 (260ページ)
- / ISBN・EAN: 9784860650254
感想・レビュー・書評
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「アジア」といわれると、「日本と中国と韓国と北朝鮮以外の国」ということ考えてしまうのは僕だけだろうか。どうも後進的な匂いがして、(失礼ながら)東南アジアの国々の風景が浮かぶ。
僕の周りでは「アジア」という言葉が現実逃避のためのキーワードとして使われている。「アジア」というと、先進国が忘れ去ったものがある場所であり、お金じゃないもので世の中が動いている場所であり、ひとの温かみが感じられる場所である。要するに日本にないものを探しに行くということだ。だから「アジア」は日本を意味しないし、そうであってはならない。現実に疲れてしまう。
オーストラリア、ニュージーランド、ロシアとくれば「ああ、そういえば。」という程度の意識。アジアと言うよりかはヨーロッパの引き延ばしという印象。住んでる人間の姿かたちからして余りにも違うから、アジアでくくられるとなんだかなと思ってしまう。
聞いた話だと、欧州の空港の出国用記入書類に「あなたはどの地域にいくのですか?」という質問項目があって『1.ヨーロッパ、2.アメリカ、3.アフリカ、4.アジア、5.その他』というマーク式の回答欄が用意されているのだが、この場合「アジア」というのは中東や中央アジア(イスラム系)のことを言うのだという。日本等は『その他』のくくりに入れられる。
しかしこっちからしてみれば、「中東ってアジアなの?」と思ってしまう。もしかしたら向こうの人達も「日本ってアジアなの?」と思ってるのかもしれない。だとしたらいったいアジアってどこなのだろうか。
その中で「東アジア共同体」という構想は、アジアにとっていったいどういう意味を持つのだろうか。
共同体構想の基本的な考え方は、あらゆる分野で交流を活性化させるということに尽きる。さきほど「アジア」とは日本、中国、韓国、北朝鮮、オーストラリア、ニュージーランド、ロシア以外の国だという意識があると述べたが、これらの国々は良くも悪くも交流が活発だ。交流が活発だからこそ、「アジアっぽくないアジアの国々」ということでひとくくりなイメージが持てる。
だとすればもし、アジア全体で交流が活発になれば?もしも「アジア」を現実のものとして受け入れることができたら?そのときこそ「アジア」が本当の意味で誕生するのかもしれない。
本書はその構想を立ち上げるための材料を読者に提供する。もっぱら学生の論文むけと言う感じでわかりやすく、簡単に、他分野にわたって構想が書かれている。(正直、教科書的でつまらない。)
種をまかなきゃ芽も出ない。芽が出なきゃ種もできない。とにかく考を提供しないと何も育たないだろうという、すごくおせっかいな本である。とはいえ、EUという成功例が一緒に収められていて、共同体の研究をはじめる目次としてなら、とても便利な本だ。詳細をみるコメント0件をすべて表示