- Amazon.co.jp ・本 (254ページ)
- / ISBN・EAN: 9784860730550
感想・レビュー・書評
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内藤廣氏の講義をまとめたデザイン講義の本三部作最後の一冊。この一冊のみが3・11後に講義が行われ、出版されているものとなっている。
本の内容そのものを覚えるというよりは、三部作を通し内藤氏の考えの輪郭に近づくという読み方ができる(むしろそういう本であるようだ)。
この一冊は前二冊に比べ観念的な内容が多いが、そのような読み方をしていくにあたって最も重要になってくる一冊であると考えられる。
デザインによる(最新の)技術の翻訳、場所の翻訳、時間の翻訳によって人々や土地・歴史と対話を行っていくこと、固有の価値をその場所に生み出すこと、それによりその場所こそが世界の中心という価値観を生み出すということ、人々に尊厳・希望・拠り所を持たせること…
語られた考え方をふむふむと読むのは簡単だが、自分の中に響かせるのは難しい。
それでも書いてあることを意識してやっていくことは可能である。いずれ氏の考えも身にしみてわかることができるようになるだろうし、自分の価値観も形成されていくだろう。
「ソケイ」(素形・素景)については自分の中にあんまりにも響くものがないので驚いた。幾度も読み返して実感か理解を得るべき事柄であると感じる。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
【建築学科】ベストリーダー2024
第2位
東京大学にある本はこちら
https://opac.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/opac/opac_details/?bibid=2003169344 -
前2作(構造デザイン、環境デザイン)に比べ、明快な歯切れの良さはなく、逆に思索の跡とでもいうか、悩みのようなものさえも見てとれる文体(口調)。前書きに述べられた、生み出すことと教えることの相矛盾、ゆえだろうか。
デザインとは?という問いかけに対しての、「技術の翻訳、場所の翻訳、時間の翻訳」という内藤なりのリターンについて、深く語られている。化学革命・情報革命とか、多様な視座を行き来して語る講義は、説得力も、分かった気にさせる力も、有していそうだ。「場所を感じる力」とか「時間スケールを広げる力」とかには納得。とくに後者については、15年同じことを考える「信念」と、百年先を見通す「想像力」(+α)がいるというが、まさに大事な指摘。
ただ、難しいことを語りつつも、「建築をがんばってやっていると、時々奇跡のような瞬間(情景)に出会えること」とか「市民に感謝されたこと」とかを述べているところにますます好感を抱く。内藤の人間らしさ(世俗っぽさ)がみえてくるから、良いのだ。あわせて、そんな丸ごとの人間で訴えかけることのできる、「大学の講義」という場が、いいな(羨ましいな)とも単純に思った。 -
東大での講義の集大成らしい。3.11のせいで出版が遅れたとか。
技術と文化の押し引き、構造と設備と意匠の各側面、アーキテクチャとデザインは「モノ」と「ヒト」それぞれの視点に対応、デザインは技術の翻訳であること、技術を翻訳し、場所を翻訳し、時間を翻訳して、形態として目に見えるデザインができる。
島根県の益田の芸術文化センターは、今でもちゃんとその役目を果たし、50年後もそういうことができるのだろうか。 -
内藤廣の東大での講義「構造デザイン講義」「環境デザイン講義」「形態デザイン講義」の3部作のうち第3弾。
デザインを翻訳と定義しているところに説得力がある。個人的には、美しい形によって問題を解決することがデザインだと思っているが。
デザインを、技術の翻訳、場所の翻訳、時間の翻訳に分けて本人の実作を交えながら説明している。
決していたずらなデザインをしない、デザインに対して謙虚な方だと感じた。公共建築物にある姿勢はかくあるべきであろう。 -
当然に、建築を中心とした議論だけど、都市や社会との関わり方までハッと気づかされる。UXという点では顧客サービスも建築も結構近い位置にいるのかも。
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「構造」、「環境」と続いてきた内藤廣氏の講義シリーズの最後として、「形態」を取り上げる。
形態といっても視覚化された結果として建築の見え方ではなく、「構造」と「環境」を含めたその建築が拠って立つところを如何に形にするかということを語ろうとされているように感じた。
内藤氏の建築全般にも言えることだが、時間の経過とともに存在価値が低下することが極めて少ないものが多い。この本でそのことは「未来から待つ」という言葉で語られている。
街の成長、人の成長、その中で未来の時間から「今」がたどり着くのを待っている建築。100年先から待っているからこそ、その建築は古びたり役割を失ったりすることがない。
未来から待つ建築をつくるためには、何が必要か?それを内藤氏は「翻訳」という言葉で語っている。翻訳とはその建築が建つ場所を成り立たせている背景にある要素を、建築の中に取り込んでいくことだろう。
例えば、「技術の翻訳」。
建築は場所によって非常に異なる環境に建てなければならない。その時に、100年間耐える建物を建てるためにどのような技術を使うべきなのか?島根県芸術文化センターの場合は、地元益田市の住宅に多く使われている石州瓦がその1つであった。
それに続くのが、「場所の翻訳」。
その建築が建っている場所の力をいかにして取り込むか。大切な場所の記憶を取り込んだ建物は、長く忘れられない。その土地に刻み込まれた風土の記憶を取り込んだ建物は、災害に強く、快適性が損なわれない。そういったことが、技術の進歩とともに忘れられがちになっていることに警鐘を鳴らしているように感じた。
そして最後に、「時間の翻訳」。
これが最も難しい。内藤氏は時間を翻訳する時の姿勢を「地勢・歴史に対する正直さ」と表現している。この時間と向き合うということは、建築という領域を超えて、我々がものをつくるときにいかにあるべきかという範囲で考える必要があることだろう。実際、この章で内藤氏が挙げている事例は、明治神宮の森づくり、「BORO」という名前で田中忠三郎氏が収集した農家の部屋着といったものである。作り手の持つ時間を超えて受け継がれた時間が堆積し、それが美しさを孕んでいるもの。このような建築になることができれば幸せであろう。
形態とは、これらのことを考え抜いたうえで立ち上がってくる、総合的な結論である。建築は形にしなければならないが、形自体が建築の目的ではない。建築は、未来を構想し、その未来から今を待つものである。そのための「形」である。
異なる要素、せめぎ合う価値を内部に取り込んでいるからこそ、形態が立ち上がってくるプロセスは、時に論理を超える。最終的には論理を超えなければたどり着けないものであるが、その手前には技術、場所、時間について考え抜くことが求められる。
内藤氏は実際の建築をつくる中でそれを実践されてきたからこそ、その複雑でアンビバレントなプロセスを、説得力を持って語ることができるのであろう。 -
構造・環境・形態の三部作。
直接、研究室の学生として教えを得た訳ではない。
しかし、GSや授業を通じて内藤先生から得た
教えや思考の一端は、確実に自分のベースに定着している。
早大の大先輩として、尊敬すべき人。
ことある毎に読み返したい一冊が、また一冊増えた。