『奄美 日本を求め、ヤマトに抗う島』 四つの住民運動の記録 - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース
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本土の迷惑施設を押し返し続けてきた奄美の力の源泉は何か
高度成長期以降、日本の周辺地域は労働力の供給と製品の販売、そして迷惑施設の立地に利用されてきた。
枝手久島巨大石油基地、徳之島核燃料再処理工場、普天間米軍基地移設など、迷惑施設の計画が人口と産業の流出に苦しむ奄美群島に持ち込まれ、時には島民間の激しい対立を引き起した。しかし結局それらの計画の多くは押し返された。
本土の迷惑施設を、島民は押し返し続けてきた。
現在青森県六ケ所村の核燃料再処理工場は、ほとんど知られていませんが、徳之島が最初の候補地でした。MA-T計画という、具体的な施設立地計画図も描かれていました。徳之島の全島的な反対運動でそれが挫折。紆余曲折を経て六ヶ所村に、という構図です。 そのほか、悉く勝ち続けてきた奄美の運動の詳細な記録です。日本全国の住民運動の教科書にもなります。
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