アナーキズム: 政治思想史的考察

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  • Amazon.co.jp ・本 (321ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784861827068

作品紹介・あらすじ

アナーキズム思想研究の決定版!!

近年の民主主義への鋭利な分析で注目されている論者が、これまで長年取り組んできた研究成果を結集させた待望の一冊

私が本書で試みたいことは、アナーキズムに関連する思想を、実践的な運動としてのアナーキズムから相対的に距離を設けて、政治思想や政治理論の歴史のなかで「アナーキズム的モーメント」が果たしてきた役割を学問的に明らかにしようとすることである――「まえがき」より

アナーキズム的モーメントとは?
狭義のアナーキズムのように正面から統治や支配を否定しようとする考え方に限らず、統治することにはたとえ民主主義であっても深刻な限界や自己矛盾、正当性の欠如などがあることを明らかにし、またこのような統治の限界や正当性の欠如には理由があることを承認するような、より広い思想的契機のこと。

感想・レビュー・書評

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  • 目次
    まえがき 書き下ろし
    序章 アナーキズムとアナーキズム的なものの概念をめぐって 書き下ろし
    1 アナーキズムの思想的意義
    第1章 アナーキズム的モーメント
    2 先駆者たち
    第2章 W・ゴドウィン――合理性と判断力 初出1986年
    第3章 M・シュティルナー――自己性と差異 初出1994年
    中間章 一九世紀初期アナーキズム思想の可能性と現代的意義 書き下ろし
    3 マルクス、プルードン、フランス社会主義
    第4章 マルクス――国家を超える市民社会 初出2002年
    第5章 プルードン1――ジャコバン主義批判 初出2014年
    第6章 プルードン2――産業化と自由、そして連帯 初出1995年
    4 その後の展開
    第7章 ベンジャミン・タッカー――アメリカ的アナーキズムの系譜 初出2015年
    終章 書き下ろし
    あとがき 書き下ろし

    索引

    概要
    著者のアナーキズムに関する発表済の論文と、書き下ろしから成るアナーキズム論。書かれた時期はバラバラだが、大きなテーマとして「リベラリズムがネオリベラムの前にあって機能不全を起こしている中で、『社会主義』の立場から自由を考えたアナーキズム思想を再考する」という軸が貫かれている。そして、アナーキズム思想の中でも、通常アナーキズムの代表格として想起されるバクーニン、クロポトキン、大杉栄といった1870年代~1920年代までの間に栄えたアナーキズムの潮流を「狭義のアナーキズム」とし、この「狭義のアナーキズム」が取りこぼした思想の中から、現代の社会と政治を再考するための要素を、「初期アナーキズム」の思想家たちの思想を検討することで確認していく、という構成になっている。「初期アナーキズム」として参照されるのは、ウィリアム・ゴドウィン(イギリス、1756年 - 1836年)、マックス・シュティルナー(ドイツ、1806年 - 1856年)、ピエール・ジョゼフ・プルードン(フランス、1809年 - 1865年)の3人。本書では基本的にこの3人の思想が解釈され、中間章ではこの3人の思想の中に、今日、アメリカ合衆国のシュティルナー研究者であるソール・ニューマンが、「国家権力の掌握を目指すのではないラディカルな政治運動」として提唱する「ポストアナーキズム」概念を読み込んでいく作業がなされる。異色なのは第7章であり、プルードンの思想がアメリカ合衆国で解釈された結果として、ベンジャミン・タッカーの思想が検討され、タッカーの思想がベトナム反戦運動に参加したマーレイ・ロスバードに受け継がれたことを確認する形で、現在の米国リバタリアニズム思想の源流にプルードンのアナーキズムが存在することを論じている(276頁、282-284頁)。

    終章で著者は、アナーキズムがフランス革命(1789年)や2月革命(1848年)などの、現実の革命がもたらした結果への批判思想であったことを強調し、この視野を受け継いで、宗教原理主義やロシアの軍事行動のような形で現在のグローバル資本主義国際秩序を転覆させるのではなく、長期的なスパンで現在の秩序を作り替えていく必要性を論じている。

    以上のように本書は、通常アナーキズムとして想起される「労働階級や農民階級の力に依拠する革命思想」(狭義のアナーキズム)ではない思想として、現代の諸問題を解釈し、批判するための「非革命思想」としての「初期アナーキズム」を研究した書となっている。その意味で、本書に革命思想(たとえば現在においてどのようにスペイン内戦の時のアナルコ・サンディカリスムを復権するかといった発想)を求めている人にとってはもの足りないかもしれない。むしろ本書は、「あまり知られていないことだが、アナーキズムの始祖に位置付けられる諸思想は、古典的正義論の最後に位置してもいるのである。」(166頁)、「このことから、初期のアナーキズム的諸思想が、一七‐一八世紀を通して形成されてきた近代社会哲学の(あるいは最後の)継承者であったゆえに、同時に近代社会哲学の内的矛盾や限界を明らかにすることも可能だった、と考えることもできる。」(166頁)という視点にあるように、これまでの自由主義思想史や社会主義思想史が取りこぼしてきた、「個人が社会のなかにありながら、それでいて自由であり得る関係とは何か」(217頁)というプルードンの発想の再考を迫る書となっている。その試みの中から何を言うべきか、私は迷っているが、とりあえず現状が何かおかしいと思い、かつリベラリズムやコミュニタリアニズムに納得できない人は、一読して決して損はないと思う。最後に著者の2014年の時点での現状分析と、終章の言葉を引いて本稿を閉じる。

    “ それにもかかわらず、われわれの時代は、ある意味で一八四八年の革命をめぐる状況を反復しているようなところがある。共産主義崩壊とともに世界を支配してきた(新)自由主義は、二〇〇八年の世界経済危機のような不安を生み出し、こうした状況への対応として、「社会」の救済者としての「政治」への期待が高まった。しかし、その結果わかったことは、むしろ政治による経済の制御や、〈社会的なもの〉をめぐる問題(貧困、格差)の解決能力には限界があるということではなかったか。人びとの民主主義への期待には次第に失望感が取って代わっていき、政党や議会政治への不信が深まって、その結果一方では独裁的な政治家が待望され、他方では民衆運動と直接行動に突破口を求めようとする傾向が強まっている。グローバル経済に対する民主主義の無力と、民主主義のポピュリズム的非合理性への懸念が多く語られるようになった。〈政治的なもの〉への期待は、多くの点で意図せざる皮肉な結果をもたらし、行き詰まってもいるのである。”
    (森政稔『アナーキズム――政治思想史的考察』作品社、東京、2023年3月10日初版第1刷発行、199頁より引用)


    “ まずフランス革命をはじめとする近代の諸革命は、その後の批判的な社会思想にとって長くモデルを形成してきた。マルクスの思想やマルクス主義も、一面ではこれらの限界を指摘しつつも、フランス革命由来の人民主権型の政治を自らの革命論のなかに取り込み強化してきたことは明らかである。
     それに対して、アナーキズム的な諸思想と「革命」との関係は微妙である。たしかに、近代のアナーキズム諸思想の成立にフランス革命は不可欠の契機としてあった。ゴドウィンやプルードンには革命への言及は多く、実践的にも両者は革命との関わりを有した。寡頭的な政治体制への批判や貧しい民衆層へ〈←290頁291頁→〉の共感は、理論以前に革命支持の基盤をなしていた(最もシニカルなシュティルナーにおいてさえ、「唯一者の連合」をそのように解釈することも可能だろう)。しかし、このような初期アナーキズム思想が革命に中心的役割を果たしたわけではなく、革命への幻滅やすれ違いに帰結した。プルードンの思想を継承する社会主義者たちも主要な役割を担った革命であるパリ・コミューンは、ごく短期間しか続くことはなかった。それは初期アナーキズム思想の後のアナーキズムと諸々の革命の関係について見ても当てはまる。
     このようにアナーキズム的諸思想は革命への何らかの批判的距離をもって成立していると見ることができる。左派のなかで革命に対する意義のある批判を行った流派でもある。本書で取り上げたアナーキズム的思想は当然、政治権力に対して距離を置こうとする志向を有する。しかしそれはいわゆる「反権力」と同じではない。「反権力」は権力に対する憎悪として受動的な感情に基礎付けられていることが多く、それゆえにこのような立場が革命に成功して権力を掌握すると、いっそう残忍な権力の行使に導かれた。このような傾向はフランス革命ですでに明瞭であり、そして二〇世紀に絶頂に達した。一九世紀のアナーキズム思想は、何らかの意味での個人の自立(ゴドウィンにとっての「自由な思慮の領域」やシュティルナーにとっての唯一者性)が脅かされる場合には政治権力に対して批判ないし抵抗が主張されるが、政府批判や国家の否定自体が目的とされるならばそれは倒錯だとする立場に近い。
     アナーキズム側から見ると、革命言説の偶然性が透けて見えるとも言える。一九世紀の初期アナーキズム諸思想は(シュティルナーをおそらく別として)、漸進的な理性の発展や自然法的正義の観念を有するなど、一八世紀啓蒙のある部分を継承した思想系譜と特徴付けることができよう。ところで「啓蒙」と「革命」とを一続きの必然的なつながりと見ることはできない。一八世紀のフランスの啓蒙の思想家で革命を予想した者はほとんどいない。革命家によって顕彰されたルソーでさえ、フランスのような広大な国家において自らの掲げる人民主権が実現するとは考えなかった。スコットランド啓蒙のヒュームは、古典的共和主義〈←291頁292頁→〉にも批判的で過激な情念の爆発を危惧し、またスミスは産業者や労働者の勤勉さを称賛したが、だからといって彼ら彼女らが政治を担うべきだとは考えず、腐敗していることを知りつつも貴族政治の存続をアイロニカルに承認したのだった。”
    (森政稔『アナーキズム――政治思想史的考察』作品社、東京、2023年3月10日初版第1刷発行、290-292頁より引用)

    “ 政治や経済、文明の全体を一挙に転覆させる考え方は、帝国主義や金融資本の支配が顕在化する一九世紀末から二〇世紀初頭にかけて勢力を増すが、その頂点はレーニンらボリシェヴィキによるロシア革命の成功(一九一七)であった。しかし、革命自体が暴力的な支配に転じていったのに加え、共産主義革命への対抗として、もうひとつの既存秩序の転覆運動であるファシズムが台頭して、自由主義と合わせて三つ〈←292頁293頁→〉巴の争いとなった。信じられないような規模の犠牲を出した第二次世界大戦がようやく終わり、戦後出来上がった政治体制はそのような危険な転覆をさせないために工夫がなされた。この戦後体制は植民地支配の残存などさまざまな矛盾や欺瞞を有し、一九六〇年代後半から七〇年代前半にかけて、ニューレフトの批判の対象となる。ニューレフトの言説のなかには「世界革命」などの言葉が躍ったが、政治的革命につながるものではなく、文化の大変容など別領域にその本領は発揮された。アナーキズム的な発想に親近性が見られるのもそのためである。ニューレフトの衰退のあと、現秩序を転覆する試みは、カルト宗教や宗教的原理主義、限定的ながらポピュリズム、そして今現在ではロシアのような権威主義的独裁国家に担われるようになっている。これらが復讐を原理とする以上、明るい未来が拓かれることは考えられない。グローバル資本主義国際秩序に問題が多いことはそのとおりだが、いま積極的な意味での転覆の可能性があるかというと悲観的にならざるを得ない。転覆に賭けるのではない仕方でそれを作り替えていく長期的視点が必要である。
     ここで想起するのは、一九世紀のアナーキズム的諸思想がポスト革命的であったという点である。それは革命による政治秩序の転覆の限界を見据えた思想であり、革命で目指される政治とは異なる場や関係に秩序の実質を移動させようとする思想と言うことができよう。同時にそれは革命が破壊した旧来の秩序に戻るのではなく、革命がもたらした秩序の偶然性を受け止め、それを包摂するような秩序を漸進的に形成していく方向性を有している。その意味で秩序創造的なのである(プルードン『人類における秩序の創造』)。”
    (森政稔『アナーキズム――政治思想史的考察』作品社、東京、2023年3月10日初版第1刷発行、292-293頁より引用)

  • 摂南大学図書館OPACへ⇒
    https://opac2.lib.setsunan.ac.jp/webopac/BB50329729

  • 森政稔ファンなら面白いかも
    アナキズムへの距離や検討の角度が、独特だったのが印象的

  • 東2法経図・6F開架:309.7A/Mo45a//K

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著者プロフィール

1959年三重県生まれ。東京大学法学部卒業、同大学院法学政治学研究科博士課程中退。筑波大学社会科学系講師などを経て東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻教授。専攻は政治・社会思想史。著書に『変貌する民主主義』『迷走する民主主義』(ともにちくま新書)、『〈政治的なもの〉の遍歴と帰結』(青土社)、『戦後「社会科学」の思想』(NHK出版)がある。

「2023年 『アナーキズム 政治思想史的考察』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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