慶州は母の呼び声: わが原郷 (Modern Classics新書 9)

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  • 洋泉社
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  • Amazon.co.jp ・本 (254ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784862480958

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  • 大市の日は夕方までにぎわうので、下校のときに樹かげでしゃべり合っているアブジたちに会う。顔を赤く染めて三々五々に談笑していて、朝鮮人はほんとうに悠々と暮らすのだなあとおもう。スリチビに寄ってマッカリをサバルになみなみとついで飲んだ人たちだ。三、四人でチョッタ、チョッタと踊っている。夏も冬も。スリチビは飲み屋のこと。マッカリは濁り酒のことといつか私も知った。踊っているアブジのそばでは木につないでいた牛の手綱をといている人、牛車をがたがたと動かしている人、長い太った太刀魚の頭と尾を結び合わせて輪にして、チゲにぶら下げている人などがいる。そのかたわらを頭上に荷を乗せ、「何をぐずぐずしているの!」と言っている風情でオモニがどなっていく。ゴムシンに入った砂をぱたぱたと爪を動かして払い、去っていくオモニ。私はこの人々の間をかきわけるように歩いた。市の終わりはぬくもりがあった。チョゴリの襟元に覗く胸は男も女も日焼して厚い。

    1927年朝鮮大邱生まれである。殖民二世として17歳まで大邱、慶州、金泉で暮らした。まるで昨日見たかのように鮮やかに提示する戦前朝鮮の少女から見た景色があまりにも、鮮烈だった。

    おそらく戦後に、何度も何度も、知らずに育っていた植民地朝鮮での生活とはなんだったのか、自分に問いかけたのだろうと思う。そして詩人としての文章力がこの白眉の半自伝的文学を成立させたのだろうと思う。

    この本を読んでいると、戦前の朝鮮のぬくもりまで伝わってくる。幼年の眼から見た朝鮮と、少女の眼から見た朝鮮はまた違うが、そのために立体的な朝鮮像が浮かび上がってくる。この本は思わぬ収穫だった。

    この本を手引きにして、もう一度大邱(私は大邱を大邸と今まで書いてしまっていた。申し訳ない)と慶州に行きたいと思っている。大邸(たいきゅう)府三笠町というのが、森崎さんが生まれた町である。もちろん今はそんな地名はない。釜山の古書店に行けば、昔の地図はあるだろうか。彼女は鳳町小学校に通い、近くに新川、寿城橋がある。片倉製糸には友達がいる。彼女はその工場で年端も行かない少女たちが働いているのを見て心を痛めている。

    慶州では市街地を西に外れると、武列王陵がある。彼女の家族はそこにハイキングをしている。そこからはトガン山が見える。その麓に石窟庵があるという。市街地を越して雁鴨池の辺りに慶州中学校があり、彼女の父はその校長として赴任したのである。家族もその官舎に住んだ。官舎から東に行くとふん皇寺があり、三層の石塔がある。その先に小さな村があり、日本人もすんでいて、松永さんという人と親しくしていたらしい。

    そのように昔を偲びながら、あてどなくぶらぶら歩くのもいいかもしれない。

  • 生まれてから17年住んだ美しい村や街や山河。しかし、そこを「故郷」とは呼べない。なぜならそこは、戦争中の「植民地朝鮮」であり、自分たちは、「侵略者」だったから。父は朝鮮の教育に尽くそうとし、他にもそういう方たちもいたけれど、侵略して住むこと自体が罪。故郷と呼ぶことを許されない著者の「故郷恋い」「母恋い」の名エッセイ。

  • ▼敗戦以来ずっと、いつの日かは訪問するにふさわしい日本人になっていたいと、そのことのために生きた。どうころんでも他民族を食い物にしてしまう弱肉強食の日本社会の体質がわたしにも流れていると感じられた。わたしはそのような日本ではない日本が欲しかった。そうではない日本人になりたかったし、その核を自分の中に見つけたかった。(p.221)

    森崎和江は、植民地であった頃の朝鮮で生まれ、17年を朝鮮で暮らした。「私の原型は朝鮮によって作られた」(p.10)という植民二世。森崎が産まれた大邱(たいきゅう)府三笠町は、今日の韓国の大邱(テグ)市である。

    ▼三笠町という町名が生まれ、消え去ったように、他民族を侵しつつ暮らした日本人町は、いや、わたしの過ぎし日の町は今は地上にない。(p.13)

    その今はない植民地の町で育った森崎が、自分の感受したものを書いたのがこの本。新版として出たこの本の巻末には、森崎と同じように植民地に生を受け、朝鮮半島からの引揚者である清水眞砂子の解説がおさめられている。

    「ぼくにはふるさとがない」「どこにも結びつかない」と言って自死した森崎の弟のように、喜寿を迎えた清水の姉も「自分には故郷がない」と語るという。

    森崎の五つ下だったという弟さんが新制高校一年のときに「敗戦の得物」という弁論をした、その原稿が残されている。

    ▼「諸君! 我々の自由は他を侵してはならないのであります。自分の我儘を通すために暴力に訴えたりするが如きは、自由の敵である。日本は、実に、堂々としてこれを行った過去を持つのであります。そうだ! 自由とは、かくあってはならない。自由の根底には、実に大きな、不動の一つの条件があるのであります。即ち人と人との相互の信頼であります。諸君! 祖国再建の第一歩は…」(p.237)

    森崎和江といえば『まっくら』、『奈落の神々』、『湯かげんいかが』…私が思い出せるのはそれくらいで、いっぱい本があるんやなあと検索してみると、佐賀にわかの女座長を書いた『悲しすぎて笑う』もこの人の作だった。『からゆきさん』も、山崎朋子の作とごっちゃになっていたが、この人の作だった。

  • [ 内容 ]
    17年間かの地の大地とオモニに育てられた、ひとりの少女が戦後、日本人として生き抜くためにいつの日かわが原罪の地に立つことができる日本の女へと生き直したいと願った心の軌跡をあますところなく伝える。
    ことばとは何か。
    ふるさととは何か。
    一人の少女が見たものとはなんだったのか。
    読む人を粛然とさせる感動の書!
    待望の復刊。
    植民地・朝鮮で成長した著者が自伝風に描く痛切な昭和史。

    [ 目次 ]
    1章 天の川
    2章 しょうぶの葉
    3章 王陵
    4章 魂の火

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著者プロフィール

森崎和江(もりさき・かずえ) 1927年朝鮮大邱生まれ。福岡県立女子専門学校(現・福岡女子大学)卒。詩人・作家。谷川雁・上野英信・石牟礼道子などと「サークル村」をおこし、文化運動・大正炭坑闘争を闘う。執筆活動・テレビなどで活躍した。主な著書に、『まっくら』『奈落物語』『からゆきさん』『荒野の郷』『悲しすぎて笑う』『大人の童話・死の話』『第三の性』『慶州は母の呼び声』など多数。詩集に『かりうどの朝』『森崎和江詩集』など。2022年、95歳で死去。

「2024年 『買春王国の女たち』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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