戦国「常識・非常識」大論争! ~旧説・奇説を信じる方々への最後通牒 (歴史新書y)
- 洋泉社 (2011年2月5日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (237ページ)
- / ISBN・EAN: 9784862486981
作品紹介・あらすじ
武田騎馬隊、鉄砲三段撃ち、「武功夜話」はウソっぱち!論争・議論の言いっぱなし、はぐらかしは許さない。
感想・レビュー・書評
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文字通り、戦国時代においてこれまで通説とされてきたものに対して反論する一冊。
一介の在野の学者による反論の反論なので面白みはないものの、勉強にはなる。
通説とされてるものや司馬史感の否定もあるので、その手のものを信じてる人には不向きかも。
・『武功夜話』偽書説
・司馬遼太郎の歴史誤認部分(特に桶狭間の戦いの迂回奇襲説)への批判
・武田騎馬隊不存在説
・信長の鉄船不存在説、
・長篠の戦いでの鉄砲三千挺三段撃ち説の否定
・本能寺の変黒幕存在説の否定
・信長・秀吉の成功への兵農分離の寄与の否定詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
漫画にあるような浪漫は無いけど現実的。
信長=革新というイメージも変わってくる。 -
私が認識する限り、この5年程度(2008年頃から)歴史上の事件において、事件の真相・背景は従来説とは異なっていたという内容の本が出ていて、興味を持って読んでいました。
長篠の戦、桶狭間、本能寺の変等ですが、この本の著者による鈴木氏によると、それらの一部は単なる奇説に過ぎず、真相については既に明らかになっているとのことです。
私も多くの本を読みながら、記録に残っているものの中には、誇張され過ぎている面があるなと思っていたので、信長の鉄船・武田騎馬隊・本能寺の黒幕に関する内容については、興味深く読むことできました。
以下は気になったポイントです。
・桶狭間の戦いは、信長公記をベースに、あれこれ尾ひれがついている。今川義元は天下を取ろうとして西上したとか、信長が迂回奇襲して討ち取ったなど、これは小瀬甫庵がつけたもの(p66)
・義元と信長の戦いは、戦国大名間の国境争い以外のなにものでもない、義元が戦死したため大事件のように見られた(p70)
・信長は今川義元の首を取ってきた者より、情報を提供してくれた者を高く評価したとされるが、戦国時代が終わるまで、一番槍や殿の扱い(危険を挺して戦うことの評価)が変わることは無い(p75)
・桶狭間の現実は、正面にいる敵の前隊を叩こうとしたら、それがたまたま成功につながっただけ(p77)
・軍役とは、騎馬武者何騎、旗持ち何人、槍足軽何人、弓足軽何人、といった具合に人数を引き連れてくるもの、騎馬武者が集団生活をしているわけでも団体訓練をしているわけでもない(p96)
・武田信玄が1569.10に出した軍令によれば、馬に乗れるのは、原則として物主(指揮官)と老人、病人のみで、これは武田勝頼が1573に出した条目でもそのまま受け継がれている(p96)
・騎馬の活用は、人や物を運ぶのが主、戦場では敵が崩れかかったとき、追い打ちをかけたり味方が負け総になったときに乗って逃げるかという場合に有効であった(p113)
・騎馬隊と、自分たちだけで挺進行動ができた「近代騎兵」とは、かなり違う(p115)
・長篠の戦の前後において、我が国の騎馬武者のあり方は全く変わっていない、原則として一定の地位、身分にある者が馬に乗れるので、騎馬武者の比率は変わらない(p118)
・信長が作った鉄船は、本願寺が依存していた海上からの補給を阻止す
るのが目的であったが、本願寺は最後の段階になっても大量の食料や資材を保有していた、運動性や航行能力はかなり問題があったようだ(p123,135)
・信長は雑賀攻め(相手は数千)にて10万という大軍を動員したが失敗した、その後部下に8万程度で攻めさせたが失敗した、鉄砲主体の信長が鉄砲で失敗したのは語りたくない話題のようだ(p165)
・本能寺の変について、事件の前後の事実関係をきちんとチェックしてみれば、黒幕など共謀者等が割り込んでくる余地はあり得ない(p177)
・北条攻めで秀吉がずっと滞陣できたのは、補給が保てた=経済力があったからで、人の問題よりもお金の問題であった(p229)
2013年5月11日作成 -
広告によると
副題は「旧説・奇説を信じる方々への最後通牒」
広告文は
《武田騎馬隊、鉄砲三段撃ち、「武功夜話」はウソっぱち!論争・議論の言いっぱなし、はぐらかしは許さない!!》