何が教育思想と呼ばれるのか

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  • 一藝社
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  • Amazon.co.jp ・本 (212ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784863591271

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  • 以下引用

    意識を超えて身体が何かを受け入れることを感受と呼び、人はつねに「感受性の広がり」のなかで生きている

    コミュニオンー絶対的に隔てられている神と人が通じ合い、つながること

    ◎有能化-知識、技能を付与し、何か社会的に価値のあることをできるようにさせること、いいかえれば有用性にもとづく「人材化」。学校のほとんどの教科教育は、これにかかわっている

    ◎社会化ー既存の社会秩序に適応できるように人を規範化すること、社会構造による構造化。道徳教育がこれにあたる、場所、空間の雰囲気や儀礼、しきたりという潜在的カリキュラムによるところ

    ◎主体化ー既存の社会秩序から自由である個人になること。いわば自律化。力につながる教育の目的はこれである。びーすたにとって、教育の本来的な目的は、この主体化。

    有能化、社会化に通底するのは、既存の制度に人を適合させてゆくという考え方。つまり制度化。これに対し、主体化は、人の内面に制度からの自由を確保するという考え方、脱制度化

    問いを考え続けることが、ビースタのいう主体化の教育、本来の学び

    聴くことや見ることは、知覚されなものを感受すること。

    模倣でも、共感でも、人と人との交感は、表象命題としての意味、価値とは無縁に生じる。人は人の悦び、悲しみ、痛みに交感、呼応するからこそ、音楽を聴くことも、歌を歌うことも、映画をみることも、小説、漫画を読むこともできる

    主体化の教育、すなわち本来的に学習する、学ぶよは、交感とともに、知覚もできないし、表象もできないが、大切なものに向かうこと、みずから問うことである

    ★ドルーズにとって、知るは表象、教科書に書かれた言葉を記憶し、再現する行為。学ぶは、表徴。近くの外、言葉の外で暗示、黙示される、大切なものに交感、応答する活動

    ある音楽をきいて、その響き、その旋律に心を震わせ、美しいものを思うこと。

    表徴が暗示・黙示する中身は、いわば真昼の月のように見えないが、人にそれを求める心があれば、その人の思考のなかにかたちとしてあらわえ、意味(愛、聖、美)として象られる。それは、しばしば思議をこえたこととして、人を大いに驚かせる。あるいはフーコーが述べたように、人に「歓喜」をもたらす。問いのなかで、なんらかの表徴が生み出す象りが学びであり、それは望外の脅威よ歓喜に彩られている


    教育学的な関心とは、結局のところ、独自的で根本的に新しいものが世界に到来することにある。

    私が私自身を確立するとき、それは他者に接するときである

    端的にいえば、ビースタにとって主体化は、人が人間的に自由になることである。教育はつねに人間的な自由に関心をもつべきである。この人間的な自由は、自律であると同時に、解放である。何から解放されることによって、人間として自立するのか。この社会の現実性からである。応答可能性よりも責任を重視するという社会的趨勢からであり、一人ひとりの固有性、かけがえのなさよりも個人の有能性を重視するという風潮からである

    他者は、自分の特異性を実感する契機である


    異他の共同性は、客体=実体ではなく、現れ

    応答可能性、責任から区別されるそれは、わたしとあなたの共存在の実感のなかで比較的よく現れる

    親近の関係性とは、二人が互いに相手をかけがえのないと思い、感じている状態である。相手が自分ととおにいることそれ自体


    異他の共同性、特異性を顕現させる自他の関係性は、良心の呼び声がつくりだす共同性。親密どころか、名前すらなら他人が痛んでいる、苦しんでいるとき、私たちに到来する呼び声。この呼び声に応じるとき、その他人と私はまったく異なり他であるにもかかわらず、ともに生きる

    この人に何かしなければという責めは、自己の所作ではない。そうした現象は、知性や自己や意思とは無関係に生じている


    中断の教育学。合理的な共同体の意味、価値に従うことや、意図的な操作としての働きかけを中断させるから、そう呼ばれる。
    →これはまた「出来の教育学」と呼ばれている。「出来」とは、主体性の出来であり、人が独自性、特異性としておのずとあらわれること。それはコミュニケーションの考え方をたえず脱構築するコミュニケーションを要請する。教育にかかわる人は、生徒とのコミュニケーションを情報伝達の手段として定型化する傾向にあるが、つねにコミュニケーションを危うくさせることが大事、

    コミュニケーションは、脱構築的な営み、つねに変化、変容のリスクを服ネイル

    教えることは、教師がもっていない贈り物を、生徒に贈ること

    中断の教育学、出来の教育学は、人に合理的な共同体の意味、価値に従うことを中断させ、独自性、特異性を感得させる自由を出来させる

    成果、成績が人の価値を決めること、だまって規則、規範に従うことを棚上げし、人が人としてよりよいことに向かうことを語る教育学

    人が人としてよりよいことに向かうことをかたるとき、よりよいことを絶対化することができない。よりよいことが向かう先を、テロスと呼ぶ、

    人の存在は、能力と一体化されがち

    宗教な宗教の可能性

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著者プロフィール

東京大学大学院教育学研究科教授。1958年生まれ。東京学芸大学助教授、山梨学院大学教授等を経て現職。単著に『人格形成概念の誕生』(東信堂、2005年)、『教育思想のフーコー』(勁草書房、2009年)、『共存在の教育学』(出版会、2017年)、共著に『プロジェクト活動』(東京大学出版会、2012年)や『キーワード 現代の教育学』(共編、東京大学出版会、2009年)などのテキスト多数。また『デューイ著作集』の総監修をつとめる。

「2023年 『超越性の教育学』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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