- Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
- / ISBN・EAN: 9784864084390
感想・レビュー・書評
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俺が初めて三島由紀夫の小説を読んだのは、高校時代。読んだ理由は簡単。自衛隊の駐屯地に乗り込んで腹を切った作家の作品だから。その一点のみに興味を持った。
それから三島作品を10冊程読んだ。三島作品の背徳感が若き日の俺はたまらんスリムを覚えたし、硬い文章を頭の中でこういう事ではなかろうか、とか解読したりするのも楽しかったし、小説の地の文、話者が壊れ、わけわからん哲学的な事を述べて暴走する様も好きだった。が、三島作品に触れる一番の目的は腹を切った作家の作品に触れる事だった様に思う。
ここ数年は、あまり小説は読まないし、純文学になるとなおさらである。
ここ数年は、なんちゃって右翼、左翼本がグッとクる。で、宝島社とかから出ている右翼本を読むと必ずと言っていいほど三島由紀夫と「縦の会」が取り上げられる。
不思議な作家だ。ノーベル文学賞候補になった正統派の作家なのに、右翼。しかし、そこが好きだ。お堅い感じと怪しい感じが混ざった三島由紀夫という存在、こんな作家は今後現れないだろう。
で、この本、穏やかな右翼団体「一水会」の顧問、鈴木邦男が三島由紀夫と野村秋介という、右翼にとっての二大巨頭についての回想録。評伝というより、エピソード集かな?
ほとんどが三島由紀夫にページを費やされている。で、作家の三島由紀夫より、右翼の、「縦の会」の三島由紀夫にスポットを当てている。出てくるエピソードが面白い。
よど号のハイジャック犯が日本刀で決起した様(実際は模造刀だったが)を見て、「やられた」と言った三島。
天皇の女帝を容認していた三島。
作家の三島、右翼の三島、共に語られる際には、無かった事にされる三島のホモ疑惑にもかなり具体的に触れている。
で、鈴木邦男の解釈も面白い。三島の最後、市ヶ谷駐屯地で人質を取って立てこもり、バルコニーで政治的な主張を述べるという形式は、金嬉老の立てこもりがヒントになったのでは、という解釈。暴論かもしれないが、述べられる理屈が面白い。
野村秋介について書かれている部分も面白かった。野村秋介と親交が深かった新井将敬とのエピソードはクる。在日から帰化し、本気で日本人になろうとした新井将敬。俺は、リアルタイムで新井将敬を知ったのは、98年の自殺だったから、どんな政治家だったか知りたい気持ちがかき立てられた。
野村秋介は「三島の様に生き、三島の様に死にたい」と言い、鈴木邦男もそれに同調している様に感じる。が、三島と親交が深かった石原慎太郎は、三島の死に様を呆れている様に俺は、感じる。
石原は、野村の「河野邸焼き討ち」、「経団連立てこもり事件」を行為者として称え、野村と会食した際に、三島を賛辞する野村に、「あなたが三島さんの書いたものを気にするのは全くおかしいと思うな。あなたがやってきたことと、彼がやったこととは本質的に違うし、むしろ彼はあなたに憧れもしたんじゃないだろうか」、「あなたなんで三島さんの文章を気にするの。あなたの人生を構築してきた、誰にも出来はしない行為そのものがあなたの言葉じゃないの。それ以上にあなた自身の表現がありはしないと思うな」(「我が人生の時の会話」 著 石原慎太郎 幻冬舎文庫 より)と言っている。
俺は、三島の最後の行動は、ちょっと極端だと思いつつ、バルコニーでの演説には、多少の共感を覚える。
野村秋介、鈴木邦男が三島を「美」とし、石原慎太郎は、「奇行」と捉えている違いが面白い。双方の理屈、どっちも頷ける。
本の紹介からかなり外れてしまったが、三島を中心とする諸々の現象が面白い。そんな事を新事実を知りつつ、再確認させてくれた本だった。詳細をみるコメント0件をすべて表示