- Amazon.co.jp ・本 (264ページ)
- / ISBN・EAN: 9784864630207
作品紹介・あらすじ
デカルト的思考様式への批判とセザンヌを中心とする近代絵画の考察。
セザンヌの「眼」とデカルトの「精神」を解く
「わからない」と嘆く学生のために「僕が訳そう!」とムサビで哲学を担当する富松先生の『眼と精神』新訳奮闘が始まる。まえがき「近代とは」「M. ポンティの生きた時代」「意識と自然」「主観と客観(ココロとモノ)」「形而上学」「住むこと」を一読すれば、複雑な構造が理解できる。脚注と補注、原著収録図版7点に読解を助ける参考図版14点を加えた新訳美大版。
感想・レビュー・書評
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「…それ(水)はプールに住んでいて、そこで物質化しているのであって、それはプールに含まれているのではなく、もしも糸杉の遮蔽林の方に眼を上げて、そこに水面からの反射が網の目をつくっているのを見るならば、光がその遮蔽林のところにも訪れに行っていること、あるいは少なくとも、そこに水の活動的で生き生きとした本質を送り届けていることを私は疑うことができないだろう。」
絵画によって現れる存在を記述するメルロ=ポンティの身振りもまた、ある風景を呼び起こし、世界を立ち上げていて感動的な内容で、これはその新たな訳書とのことで手に取りましたが、詳細な注釈は決してうるさくなく、余白も多いため書き込みを考慮されているのかと、教育的配慮がありがたい一冊です。
内容に関しては門外漢ではありますが、巷に蔓延る絵画への解釈として、「絵を見ながら、自分の内面を見ている」的な言動に違和を感じていたため、そこを指摘しているだけでも意義は大きいのではないでしょうか。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
56ページにもわたる補注が良い。テクストをしっかり深く読むことができた。
それにしても、メルロ=ポンティの言葉は美しく、今回は「眼」と絵画(とりわけセザンヌとクレー)をめぐって、哲学的な掘り下げに取り組み、この世界の深みに到達していた。