残虐行為展覧会

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  • Amazon.co.jp ・本 (280ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784875021445

感想・レビュー・書評

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  • 1960年代後半に書かれた短編をまとめた作品集(全15話)で、
    基本的に登場人物が共通しており、
    一つのやや大きな物語を構成している――という本。

    恋愛とは呼び難いドライな性の営みと、
    自動車や航空機の事故がもたらす大惨事への
    怖れと期待(?)が結び付けられ、
    互いを補完しアクセラレートするかのような情景が
    無機的かつ断片的に描写される。

    主要登場人物の名がエピソードによって微妙に異なるのは、
    各話が「彼ら」のドラマであると同時に
    「わたしたち」「あなたたち」の物語でもある――
    と言いたいがため、なのだろうか?

    だが――目次は発表年の順と一致しないのだが――
    後半へ進むに従って
    筋書きを追うのも馬鹿馬鹿しいほどの法螺話になっていく。

    ■残虐行為展覧会(The Atrocity Exhibition,1966)
     トラヴィス医師は同僚のキャサリンと情事に耽ったり、
     爆撃機パイロットの男と放射能炎症を負った美女と
     行動を共にしたりしていた。
     妻マーガレットは夫の思考・内面を理解できずに悩む。

    ■死の大学(The University Of Death,1968)
     自動車事故の衝撃と性エネルギー放出を関連付ける物語。

    ■暗殺凶器(The Assassination Weapon,1966)
     ネイサン博士はもう一つの現実を生み出すべく(?)
     既に殺害された大統領に「偽りの死」をもたらす装置
     =《暗殺凶器》を考案。

    ■あなた、コーマ、マリリン・モンロー
     (You: Coma: Marilyn Monroe,1966)
     カレンと砂丘のプラネタリムで知り合ったタリスは、
     出会いの場となった砂山とカレンの肉体のイメージを
     重ね合わせ、
     自分がマリリン・モンローの自殺の謎を
     解こうとしていることに気づく。

    ■ある精神衰弱のための覚え書
     (Notes Towards A Mental Breakdown,1967)
     社会運動家ラルフ・ネーダー(1934~=本文中表記はネイダー)が
     アメリカの乗用車の欠陥を指摘したことを踏まえてか、
     破壊された車と惨死した(!)ネーダーのイメージを
     オーヴァーラップさせる。

    ■巨大なアメリカのヌード
     (The Great American Nude,1968)
     身体的特徴や体調に関する数値を総合すれば
     一人の女性の像を再構成することが出来る――
     と述べるネイサン博士。
     その意味では安物のポルノ写真のコレクションも
     貴重な文献の一種である、と。

    ■夏の人喰い人種たち(The Summer Cannibals,1969)
     名前のない男と女の情事。
     ここでも自動車事故と性愛が強く結びつけられている。

    ■人間の顔の耐久性
     (Tolerances Of The Human Face,1969)
     研究所を辞職したトラヴァーズの少年期の記憶。
     性‐死‐エロティシズム。

    ■あなたとわたしと連続体
     (You And Me And The Continuum,1966)
     197X年の聖金曜日(復活祭の前の金曜日=受苦日)、
     無名戦士の墓に何者かが侵入しようとした。
     遺留品から容疑者が割り出されたが、
     その人物は三ヶ月後に浜辺で遺体となって発見された。
     この事件にまつわる様々な断片的記録。

    ■ジャクリーン・ケネディ暗殺計画
     (Plan For The Assassination Of Jacqueline Kennedy,1966)
     世界的に有名な女性――大統領夫人や女優など――を
     撮影して比較すると共通のパターンが浮かび上がり、
     そうした映像素材を元に精神科の患者たちに
     治療の一環として映画を作らせると
     ポルノグラフィになってしまう……とか。

    ■愛とナパーム弾/アメリカ輸出品
     (Love And Napalm: Export U.S.A.,1968)
     正義という名の大義名分を翳して
     戦争に邁進するアメリカへの皮肉(?)。

    ■衝突!(Crash!,1969)
     自動車事故の衝撃が性欲亢進、及び、
     そこから導き出される
     家庭の円満さと結び付いていることが立証された
     ――と言わんばかりの“トンデモ”テクスト。

    ■アメリカの世代
     (The Generations Of America,1969)
     暗殺されたアメリカの偉人たちとその遺族らの名を列記し、
     誰かが誰かを撃ったという文章を繋げただけのテクスト。
     しかし、銃撃こそが
     アメリカ社会の未来を紡ぎ出していくのだと
     訴えているかのようで、皮肉過ぎて笑ってしまう。

    ■どうしてわたしはロナルド・レーガンをファックしたいのか
     (Why I Want To Fuck Ronald Reagan,1968)
     ロナルド・レーガン(1911-2004)が将来(1981年)
     アメリカ合衆国大統領になることを
     予見したかのような掌編。

    ■下り坂自動車レースとみなしたJ・F・ケネディの暗殺
     (The Assassination Of John Fitzgerald Kennedy
      Considered As A Downhill Motor Race,1966)
     アルフレッド・ジャリ
     「登り坂自転車レースとみなしたキリストの磔刑」の
     パスティーシュ。
     キリストの磔刑を
     ゴルゴタの丘で展開される自転車レースに見立てた作品の
     本歌取りで、
     JFK暗殺事件の流れを、あたかもそれが
     自動車レースの実況・解説であるかのように描写したもの。
     甚だ不謹慎だが、
     スポーツ‐セックス‐機械の同質性に言及したジャリ作品に則って、
     この事件も見ようによっては
     車というマシーンを用いた運動競技と、
     それが導き出す破壊の快楽が横溢する事象なのだと
     言わんばかり。

    ※巻末に作者と松岡正剛の1977年の対談が付されている。

  • 全部で15の章からなる。章ごとに主人公が異なるようだ。第1章はトラヴィス。心理かなにかの研究者。章のなかでも、黙示、ある精神衰弱のための覚書、内面風景、と10行くらいの短い部分に分かれる。それはとても映像的。つながってはいるのだが、正面にトラヴィスの顔があり、背後で文に示されたイメージが、シャッ、シャッ、と2秒位で場面が写りこむ、そんな画面が文を読みながら頭の中に浮かぶ。

    クルト・シュヴィッタースとかラウシェンバーグの絵みたいな。バラードの好きなエルンストとかタンギーとかシュルレアリズムの絵は物体がそのまま描かれ、組み合わせが意外なだけである意味分かりやすい。がシュヴィッタースやラウシェンバーグになるとそうはいかない。・・なので読み進めるのはかなり困難。1章の途中で挫折。バラードの心象風景ではあるのだろう。

    巻末に、「鉱物的風景の告示」としてバラードと松岡正剛氏の対談がのっている。1977.10.27、ロンドン郊外のバラード宅にて。

    <砂の女>
    ・SFファンの多くは「結晶世界」をネガティブな主張の作品だと評価する。「非道徳」を感じるらしいのですね、しかしこれは完全に間違っています。僕の作品にはボジティブな脈にもネガティブな脈にもなりえない鉱脈があるはずだ。日本映画には安部公房と勅使河原宏の「砂の女」がありますね。イギリス人はほとんど理解できなかったが僕は完全に理解できる。あの映像はポジティヴでもネガティブでもない。
    ・僕の書くものはすべて強い倫理的なドライヴを持っていると自分で思います。

    <野火>
    ・「沈んだ世界」を書いた時に影響されたのが、大岡昇平という人の「野火」という作品です。イギリスではこれだけが訳されています。好きな理由は、何かにとりつかれている主人公が幻覚症状を起こし、一種の「内宇宙」を見る時に、外的な世界のすべてが神の一側面に変換されるという、その返還力に惹かれたわけです。これこそが僕の書こうとしているものだったのです。あの本は印象的でした。
    ・僕の小説の心理はほとんどといってよいほど「野火」の主人公に似ている。最近、よく太平洋の島で日本兵がみつかりますね。30年間も戦い続けているような人が。日本ではどう受け止められていますか。→正剛:時間が止まった場所から出てきた「無時間人間」のように思ってますね。
    ・僕は、日本人だけがひとつの心理的概念だけに自分を託してしまえる、コミットするできる民族だと思います。最近のハイジャック事件をみても、モガディッシュのドイツのハイジャックの場合は政府はハイジャッカーの言い分を聞かず、バングラディッシュの日本赤軍によるハイジャッカーの場合は、政府はかれらの言い分を聞いてしまった。世論は誰もが日本政府の弱腰を批判するようですが、むしろ問題は「日本人ハイジャッカーは本当に飛行機もろとも爆破してしまう覚悟がある」ということにあると思うのです。僕の小説や短編の多くはこの心理の延長を扱かったものにほかならない。

    <僕の作品はビジュアルだ>
    ・僕の作品はすべてビジュアルです。そうやって書いてきた。自分に見えてくるものを描写することで小説ができる
    ・とくにエルンストが好き。エルンストは鉱物に似た風景を描く天才です。岩が多く、その岩がまた多孔性の岩ばかりです。イギリス版の「結晶世界」のカバー・デザインはエルンストの絵が使われている。あとはダリ、キリコ、マグリット、クービン、イヴ・タンギー、ポール・デルヴォーなどみんな好きです。

    <鉱物>
    ・「結晶世界」では宝石というアイデアを伝えようとした。「結晶世界」では宝石に時間が入っている。たとえば、散歩をして石を見る。石の中に水晶が一筋入っている。まるでガラスのように。とても不思議で心を動かされる。鉱物のこのような”静脈”を見ると感情が際立って高まってくる。

    ・執筆時間は9時から5時までと決めている。いや本当は昼食抜きで9時半から4時半まで。夜は外に出て友人と会い、あとはテレビを見る。

    <女性観>
    →正剛:作品には必ず1,2人の同じような女性が登場しますね。まるで「感性」という名の女性のようだ・
    ・女はそういうものじゃないですか。よく言われるのだが、僕の書く女性はどこから来たのかわからないような不思議な無性格的な性格だ、とね。
    →正剛:少年期に抑圧されたんじゃないですか
    ・多分そういうことだと思います。
    →正剛:すごく実体がない。しかし全体を支配している影みたいな女性像ですね。
    ・僕自身もそう認識している。しかも自分で何年間も不思議に思ってきた。自分でも理解できなかった。おそらく少年期の家庭教師とか乳母の性格の反映ではないかと思います。家庭教師というのは子供にとって不思議な存在だ。
    ・家庭教師は二種類あって、一種類は家族の友人で彼女たちは怒ったり、可愛がったり、ともに泣いたり笑ったりする。もう一方のタイプは一定のクールなモノトーンな人で、子供が何かを求めてもすぐには反応してくれない。この種のガヴァネスが僕の作品に出てくる。上海時代でのガヴァネスは白系ロシア人とかユダヤ系ドイツ人だったから、そんなことが手伝ったのかもしれない。
    ・冷たさと距離感と神秘性。5歳の少年にとって外国語を話す22歳の若い女性は一種の憧憬された神秘官です。
    →正剛:宇宙人とは本来そういうものじゃないですか。宇宙人は少年の心の家にいるし街を歩いているものだ。
    ・僕が「インナー・スペースの描写」を提唱したのもそういうことだった。何も星雲に棲む生物を持ちだすことはない。
    →正剛:さらにいえばわれわれ自身が宇宙人だ
    ・まったくそうだ。われわれは同時に何者でもありうる。


    この時の対談のことが松岡氏のブログ「千夜千冊」に載っていた。バラードに最初にインタビューした日本人らしい。
    https://1000ya.isis.ne.jp/0080.html

    松岡正剛氏はなんと「角川武蔵野ミュージアム」の館長、図書館担当。

    表紙の絵も内容に合うかも。エディトリアルデザインは海野幸裕と西山孝司。


    1969発表
    1980.10.15初版 1988.5.1改訂版第1刷 図書館

  • 残虐行為展覧会

  • バラード随一の実験作。
    非線形小説とバラード自身が語るとおり、連続した起承転結を持った物語はない。
    広告と大量生産、人口建造物と精神病の蔓延した世界が広がっているが、
    それこそがバラードが現代に見た光景そのもの。
    クラッシュ以後の作風への助走であり、本質がむき出しのまま描かれた作品。

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