広島の消えた日―被爆軍医の証言

著者 :
  • 影書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (218ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784877144036

作品紹介・あらすじ

戦後64年にわたり六千名超の被爆者を診察、放射能の内部被曝の脅威を訴え続ける現在93歳の医師による被爆手記に、書き下ろし「被爆者たちの戦後」を増補。

感想・レビュー・書評

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  • 次のWeで肥田さんのお話を掲載することになり、このたびのテープ起こしをしてくださった(!)いそべさんが送ってくれたこの本を読んでから、原稿整理をした。

    この本の半分は、「破局に向かう日々」という肥田さんが広島陸軍病院で軍医としてどんなことをしてきたかが書かれた章、そしてうしろの半分が「広島の消えた日」という1945年の8月から暮れまでのことを書いた章。「被爆者たちの戦後」が増補新版で追加されている。

    「広島の消えた日」の章と「被爆者たちの戦後」の内容は、部分的に『内部被曝の脅威』にも収録されているが、軍医としての肥田さんのことを書いた部分は初めて読んだ。

    広島の宇品港からは多数の兵隊が出動してゆく。広島はチフスや赤痢の多い地で、乗船前の兵士の検便によって、患者や保菌者を戦列からはずすことが、広島の陸海軍の作戦にとってはきわめて重要なのだった。だが、細菌培養のための培養器が足りず、やむを得ず一枚の培地に二名の便を塗抹することでしのいでいた。

    肥田さんはこの病理検査室でつとめていた。培養器が足りない、作業が進められないと病院長に伝えた肥田さんに、庶務主任が絡む。「そんな根性で戦争がやれると思っとるのか。前線を見い。命令とあらば一個小隊の兵力で大部隊の攻撃を支えて一歩も退きはせん。」と大声を出す庶務主任に、肥田さんはこう返す。

    「残念ながら最近培養器もチフス菌も軍人精神をもってはおりません。4台の培養器は4台の仕事しかいたしませんし、チフス菌も赤痢菌も48時間かけなければ培地の上に集落をつくってはくれません。仰せのように、一個小隊を率いて、敵戦車部隊の進撃を阻止せよとの命令ならいささかもたじろぎませんが、4台の培養器で在広部隊の全保菌者を期日を切って発見せよ、との命令は謹んで返上申し上げます。」(pp.19-20)

    肥田さんに、なぜあなたのような人が現役軍人になられたのかと問いかけてきた近藤少尉の話も強く印象に残った。近藤少尉は、いのちがけの遺言といえる封書を肥田さんに渡す。それを何度も読み返して覚え込んだあと、肥田さんは風呂のかまどで灰にした。

    近藤さんの言葉は肥田さんによるとこういうものだった。
    ▼…こと、伝染病に関してはこのように正しい姿勢で取り組み得る渡したちが、戦争という社会の重篤な疾病の発生に対しては、予防はおろか治療法さえもてずに、折角、築きあげた文明、文化を根こそぎ破壊しつくすところまで、なす術もなくひきずられてしまうのは、一体、どういうことなのでしょう。医学の進歩によって伝染病を克服することができるようになったと同じように、もし、社会の疾患である戦争について、その原因、経過、転帰についての研究がすすみ、克服する手段、方法が明らかになれば、いつかは戦争を予防し、発生を防止することができるようになるはずではないでしょうか。(p.112)

    ▼…態勢ととのった連合国側の圧倒的な力の前に今はただ破局の日を待つのみとなりました。戦争指導の中枢は本土決戦を呼号し始めています。本気だとしたら狂ったとしかいいようがありません。これ以上、罪もない老人や子どもを殺して何になるというのでしょう。勝敗が肉弾の数で決まる時代は終わりました。現在は神風を吹かせ給えと祈る中世でもありません。今はただ一日も早く無益な抵抗をやめて潔く敗北の事実の上に立ち「降伏こそ最善の道」と勇気をもって言うべきと確信しています。(pp.113-114)

    肥田さんの被爆後の人生に、この近藤少尉の言葉も大きな影響があったのだと思う。「戦争」という最高の理不尽についての考えも。もちろん、「なぜあなたのような人が現役軍人に」と問われるような肥田さんでもあったのだと思う。

    (11/3了)

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