- Amazon.co.jp ・本 (189ページ)
- / ISBN・EAN: 9784878934735
作品紹介・あらすじ
失明、孤独、自殺未遂、10年の放浪、そして波止場へ…。つねに社会の最低辺に身を置き、働きながら読書と思索を続け、独学によって思想を築き上げた"沖仲士の哲学者"が綴る情熱的な精神のドラマ。
感想・レビュー・書評
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2002年の刊行時に読んだものを再読。
今更のエリック・ホッファーだが、「読書の腕前」の中で岡崎さんが薦めていることで気持ちが動いた。読了して、良書は読み返さないとダメだなぁと猛省している。
これほど心を揺さぶられる本だとは初読のときは気づきもしなかった。
アメリカの社会哲学者エリック・ホッファー(1902~1983)は、季節労働者・沖仲仕として暮らしながら仕事後の時間を読書と思索に費やし、正規の教育を一切受けていないのにも関わらず何冊もの著書を発表し、なおかつ大学で講義をするまでに社会哲学を極めたひと。
・・・と、簡単に言えるような人生ではない。
生い立ちからして波乱に満ちている。
5歳の時母親に抱かれたまま階段から転落。その母親は2年後に亡くなり、彼は視力を失う。
15歳の時に突然視力が回復するが、3年後に父親が死去。
身内のいないホッファーは「暖かくて野宿も出来、道端にオレンジがなっていて食うのにも困らない」南カリフォルニアに渡る。
その後の10年間はロスアンゼルスの貧民街に住み、様々な労働に従事する。
そのかたわら公立図書館を利用して読書に没頭する。
しかし28歳の時に自殺を図る。
幸か不幸か未遂に終わり、「曲がりくねった終わりのない道としての人生」を送ることを決意してその後の10年を季節労働者として渡り歩いていく・・・
不運な労働者として受け止める人たちが、彼に忠告する場面もいくつかある。
「将来のことを考えたことはないのかい?
どうして知性溢れる人間が安心感なしで生きられるのだろう」
労働と社会哲学とを両立させたホッファーの、仕事への考え方は以下の通りだ。
「われわれは、仕事が意義のあるものであるという考えを捨てなければなりません。
この世の中に、万人に対して充実感のある職業は存在していないのです。
私は一日六時間、週五日以上働くべきでないと考えています。
本当の生活が始まるのはその後なのです」
やりがいだとか、自己実現を仕事に求めない。
働いた後に自分が本当にやりたい事をやる。ホッファーの場合はそれが読書だった。
(とは言え、肉体労働の後の学びには相当な意志が必要。それを継続できたというのも素晴らしい)
そして仕事の場で出会った人たちや経験を通して、思索を深めていく。
少しでも自分の心に背く行為は、決してしない。
お金のために楽して儲けようという発想がそもそも皆無で、自分の能力を駆使して生きていくことが楽しくてたまらないのだ。
常に明るく聡明で勤勉。非常に純粋な思いやりのひと。
「有意義な人生とは学習する人生のことです。
人間は、自分が誇りに思えるような技術の習得に身を捧げるべきです。
技術を習得すれば、たとえその技術が役に立たないものでも誇りに思えるものです」
問いを発したときはいつも本を開いていたホッファーは、人生で不満を抱いたことは一度もないという。「他人を進んで許そうとするからこそ、自分を許すこともできるのかもしれない」
私もまた彼のように日々を謳歌し、学び続ける人生でありたい。
本に学び支えられ、導かれたホッファーの人生がこうして本になり、後の世の人々が読んでまた学び支えられ、導かれていく。
これは「本にまつわる本」として本棚に置こう。未読の方はぜひ。 -
以前、辺見庸の著作を読んだときに、その目線の低さに目を開かれたのだけれど、下には下がいた。“沖仲仕の哲学者”と言われるホッファーは目線どころか、自身の身体をそっくり社会の最底辺に置き続けた。
一時的な(と言っても、7歳〜15歳という長期の)失明、天涯孤独、自殺未遂、そして放浪。数奇とか波乱という言葉が霞んでしまうくらいのこの生涯だけでも驚愕もので、読み物としてもう十二分。加えて、正規の学校教育をまったく受けていない中、独学と読書で知性と教養を身につけたときているから、読書にまつわる本としても秀逸。
印象的なのは、明日にも食いぶちがなくなる状況に度々置かれながらも、仕事には一切期待などしないこと、そして、学習をし続ける人生こそが有意義なのだと結論づけること。最底辺から叫ぶでもなく、淡々と語るホッファーに喰らった張り手はかえって強烈で、その衝撃で目が眩んだ。 -
半生の過酷さに、読んでいて心細くなった。
人一倍知性がありながら、高等教育を受けることはなく、流れ者の日雇い労働。
きっとメンタルも身体も頑健な人ではあったのだろうと思うけど、農耕民族的な発想になじんだ自分には想像するだけでもなかなかキツイものがある。
彼にとって学問は唯一の喜びだったのかもしれない。
とはいえ、肝心の彼の思想をあまりよく知らないのでこれから著作を読んでみたい。
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エリック・ホッファー自身の歩みが物語的な面白さに溢れており、彼の人々に対する観察眼や各場面での対応などにとても引き込まれる。
日々の生活の中で何かを考え続けることや、何かを学ぶことが己の人生をいかに豊かにするか、改めて気付かされた。 -
日雇労働、季節労働、港湾労働と社会の最下部に身をおき続け、独学で本を読み、思索した哲学者の自伝。
幼いときに40才まで生きないだろうといわれたホッファーは、その倍以上の人生を生きる訳だが、ここで描かれるのは、その前半40才までの話。
そして、ここまでのホッファーは、まだ著作家ではなく、放浪の労働者である。「私はいかにして哲学者になったのか」という回顧録ということかな。
といっても、難しいことは全く書いてある訳ではなく、社会の最下部を浮遊する人生が、とても淡々と描かれていく。
大不況時代における季節労働者なわけで、悲惨を絵に描いたような苦労話を想像してしまうのだが、人と人との出合いから生じるさまざまなエピソードには、むしろ明るさ、楽しさすら感じられる。
金や権力といったものより、世界の最下部を支える単純労働のほうが、確実に実体のあるものであり、安定した存在であるという考え方、というか生き方が実践されているんだろうな。
驚くのは、ホッファーがするモンテニューやら、ゲーテの話を周りの季節労働者が聞き入ったり、カフェで議論が始まったりすること。
アメリカの30年代って、こういう時代だったんだろうか?
人々は、苦境のなかで、自然と本質的なことに向かい合っていたんだろうなー。
ホッファーの他の本もすこし読んでみよう。 -
“沖仲士の哲学者”と呼ばれるエリック・ホッファー(米国・1902~1983年)の、40歳頃まで(沖仲士になる前まで)が綴られた半生記である。
ホッファーは、独系移民の子としてニューヨークに生まれ、7歳で母親と死別し、直後に視力を失うものの、15歳で奇跡的に視力を回復した。18歳で父親が死去した後、暫くロサンゼルスで暮らすが、20代後半の自殺未遂を機に季節労働者としてカリフォルニアの農園を渡り歩き、その間、労働の合間に独学で物理学・数学・植物学をマスターする。その後、勤務していたレストランでカリフォルニア大学バークレー校柑橘類研究所所長に、その植物学とドイツ語の能力を認められる機会にめぐり逢い、一時は研究員として働くが、結局もとの放浪生活に戻ってしまう。。。
ホッファーが40年間に体験した出来事は、まるで小説のようなドラマティックなものが多く、それがこの自伝の面白さにもなっているが、その一方で、彼の人生に臨むスタンスは実にシンプルで淡々としたものであり、それがホッファーという一人の人間の大きな魅力なのだろう。
本半生記には登場しない40代後半以降、ホッファーは、多くの作品を執筆するほか、大学の教壇に立ったり、テレビに出演したりするが、彼の人生の原点は、本書に記された40歳までの半生にあるように思う。
ホッファーは、67歳の時の著作『波止場日記』の中で「私が満足するのに必要なものは、ごくわずかである。1日2回のおいしい食事、タバコ、私の関心をひく本、少々の著述を毎日。これが、私にとっては生活のすべてである」と語っているが、物質的な欲望に限界と疑問を感じる今、ホッファーのような精神性に支えられた人生に強く憧れを抱くのである。
(2007年5月了) -
ホッファーほどの才能をビジネスに生かすことができていれば、もっと豊かな暮らしができたのではないだろうか。思考の人というのは、世間的な意味での幸せからは遠ざかってしまうのかもしれない。しかし、何がその人にとって幸せかは本人にしかわからず、それが分かっている人が、自分のできうるかぎりの幸せを手に入れることができるのかもしれない。
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死にたくなった状況に置かれた若い人に読んでもらいたい。まぁ何とかなる+理性的であれ、という。
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これも、読書の腕前から知った本。
こちらは文句なしに面白かった。恥ずかしながら、初めてエリック・ホッファーのことを知り、魅せられた!彼の人生そのものが、小説のよう。
肉体労働から生み出される思想。
興味津々。
難しそうだが、いつか彼の著書も読んでみたい。 -
何かを学ぶときに、必ずしも誰かが必要というわけではないことを実感しました。
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最底辺の生活をしていても、意欲があれば真理は学べる
エリック・ホッファーは不遇の境遇に育ち、一度は自殺未遂を起こすほど追い詰められた人生を送りますが、最底辺の境遇にありながらも勤労と独学で沖仲士の哲人と呼ばれるほどの教養を身に付けた人です。彼の自伝は、自分の人生を振り返って、ひとつひとつの出来事や自身の行動がどのような意味を持ったのかを解き明かしたものです。
ほんの小さな出来事が大きな意味を持ったり、不遇な境遇が当たり前なので、幸せを感じたときはむしろ不安になってそこから逃避し、別の道を探ったり、社会の底辺にいる様々な人との出会いや別れなど、いろいろなエピソードが語られます。
この波乱万丈で上質な自伝を読むと、自分の境遇が何と幸せなのだろうと思います。仕事が見つからない今の時代は、もしかすると彼の時代よりももっと厳しいかもしれませんが、この自伝を読むと人間として生きる勇気が湧いてくるのを感じます。座右の書として入れておきたい一冊だと思います -
「ノマドランド」もこの時代の放浪者の系譜に連なっているし、放浪者たちは幌馬車で西部を目指した人たちに連なっている。やむを得ない事情があってのことであったとしても、放浪する生活への矜持がある。
学ぶことへの意欲に憧れる。希望と勇気について語られた言葉、安定が安全を保障するものではないと話す言葉など、放浪を学びの場にしたからこそだと思う。
いつも、自伝や評伝、エッセイや日記といった、とっつき易いところから始めてしまうけど、著作もちゃんと読んでみないと。 -
最近知り合ったデザイナー&ドラマーの方から勧められた“沖仲仕の哲学者”エリック・ホッファー。まずは自伝からということで読んでみたのがこれ。14歳までを失明状態で過ごすことに始まり、凄まじい人生を歩んだ人物であるが、そういったエピソード以上に、読了した時に最も強く感じたのが「労働と学問の関係」である。つまり「学問は学校で行い、労働は社会で行う(社会人という言葉が「労働者」の近似値として使われることから分かるように)」という先入観が吹っ飛んだことだ。港で荷物の運搬を行う沖仲仕として働く日常と、人間の中に潜む真理を我がものにしようとする行為は、全く相矛盾しない。そのことを知ったのが、僕のホッファー体験第1号。さあ、今度は同氏の「魂の錬金術」でも読んで、その肉体労働の現場で、氏が掴みとった「真理」に触れてみたいと思う。
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時期を見て再読しようと思う。
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港湾労働者として従事しながら日々のことを記した『波止場日記』の後に、続いて読んだエリック・ホッファーの自伝。
幼少期の失明から、母と父の死、季節労働者として働きながら図書館で独学で様々な分野をマスターしていく。
彼は様々な場面でチャンスはあったのだ。
例えば橘類研究所の所長に植物学とドイツ語の能力を認められ、ブルーワーカーからの仕事を抜け出すことも出来ただろうに季節労働者に戻ってしまう。
以前読んだ本でエリック・ホッファーは回避型パーソナリティ障害の気質があると読んだことがある。そのせいで仕事や恋人とのチャンスを自ら避けてしまっていた、とか。
彼の文章から後悔が垣間見えることはあるが、それでも腐ることなくたくましくサバイブしていく様には勇気付けられる。
その後、49歳で初著作の『大衆運動』を上梓する。
転機は再び訪れ、政治学の研究教授になる。だが沖仲仕の仕事は辞めず65歳まで続けたというのだから驚いた。
日々、肉体労働に従事しながらも学ぶ意欲を絶やさないその姿勢は見習いたい。
小手先の知識ではなく、真の教養がある。 -
学問の心にあふれる
労働に励み余暇の全てを読書と思索にささげた「沖中士の哲学者」ホッファーの語り
大学のテキスト読んで独学した日雇いの爺さん
西村賢太の若い頃のエピソードだったり、高野秀行の生活ぶりだったりに似ている気がする。
●最初に得た定職の雇い主が亡くなったとき、ホッファー28歳
“いくらか蓄えがあったので、金が尽きるまで1年間働かないことにした。その1年間で、残りの人生をどう過ごすか考えようと思ったのである。
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“歩き、食べ、読み、勉強し、ノートをとるという毎日が、何週間も続いた。残りの人生をずっとこうして過ごすこともできただろう。しかし、金がつきたらまた仕事に戻らなければならないし、それが死ぬまで毎日続くかと思うと、私を幻滅させた。
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今でも多くの人に影響を与え続ける作者の魅力は、力が抜けていてリラックスしたところから出る力のある言葉なんだろうと本作品を読んでわかった。多くの人が座右の書として挙げているのもわかる気がした。特に最後の数ページにはかなり力のこもった言葉があり、感銘をうけた。
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独学に関する本でエリック・ホッファーを知り、彼の自伝を読んでみました
自伝にも増して、訳者の判断で付けた「七十二歳のエリック・ホッファー」という雑誌の記事が面白いです
今話題の、ワークライフバランスや働き方、セカンドライフについてホッファーにインタビューしたものです
・生活のための仕事は1日6時間、週5日まで
・それをこなした後に本当の仕事をする
・有意義な人生とは学習する人生
と、とても今の自分が共感できる意見でした! -
世の中にはいろんな人がいるんだなぁとの印象を持った。
読書が人を創るとも感じた。 -
大戦までの間を季節労働者として過ごし、以後25年間を港湾労働者として働いた遅咲きの社会哲学者、エリック・ホッファー。彼の類い稀なる観察力と分析力はどこからきているのか、思う存分自分の人生を振り返って語る。
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沖仲仕の哲学者。本来の思索者たるべく賢人を風の中に放り投げた。
気晴らしをするものはなにもない。あるのはバルコニーから見える景色。 -
学び続ける、スタンスを変えない
あこがれる -
115、
真に「もてる者」とは自由や自信、そして富さえも他人から奪わずに獲得できる人たちのことである。彼らは自らの潜在能力を開発し通用することでこれらすべてを獲得する。
これに対して、真の「もたざる者」とは、他人から奪わなければ何も得ることができない人達である。彼らは他人から自由を奪うことによって自由を感じ、他人に恐怖を植えつけることによって自信を深め、他人を貧しくすることによって裕福になる。 -
ちょいと興味を持ったので。
翻訳ものは得意じゃないと決めつけていたのですが...
翻訳ものは得意じゃないと決めつけていたのですが、2020年は色々あって自分の嗜好も変わってきた気がします。
翻訳ものを苦手とされる方は多いですね。
でも読みだすと、きっと忘れます・笑
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翻訳ものを苦手とされる方は多いですね。
でも読みだすと、きっと忘れます・笑
私は小説がすっかり苦手になりました。以前はたくさん読んだのに。
年齢や経験で好みも変わります。どうぞお読みになってください。
stardancerさんにとって、良い読書となりますように!