ヒース燃ゆ

  • 松籟社
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  • Amazon.co.jp ・本 (222ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784879841735

作品紹介・あらすじ

現代アイルランドを代表する作家トビーンのアンコール賞受賞作品。アイルランドの歴史と生活を背景にした現代人の魂の救済のものがたり。

感想・レビュー・書評

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  • 『歩いていて、スレート屋根の三階建ての家々に気がついた。泥の澱んだ港に続く、狭い道をじっくり眺めていて思った。これは絶対ここにしかない風景だと』

    目線の高さを邪魔するものが何一つないような光景が広がる中で、一人佇む時の気持ちを、果たして孤独というのが正しいのか。この本を読んだ後で、じわじわとそんな疑問に囚われる。そもそも孤独とは何か。人間はしょせん誰しも孤独ではないのか。通い合っていると思っていることには何か確かなものがあるのか。そう突き詰めてしまえば何もかもがあやふやになり、答えを返すことなどできなくなる。

    主人公の男は幼い頃に父を亡くしたこと、そもそも母の面影を自分は持たないことをじっと心の内に秘めている。いや、秘めているというようなつもりもなく、また誰しもが知ることではあるけれど、敢えて自分から語ることはない。しかし、ぎゅっと固く撚った糸がじょじょに解れてくるように、その語られたことのない思いは、現在に思い出が投影される度に溢れ出してくる。そして繰り返される喪失。それは避けようがない。季節のように、常に繰り返されること。

    物語はいつも開廷期間の最後の日から始まる。語られる物語はその度に異なっているのに、それは繰り返される物語のようにすら聞こえる。周りを通り過ぎる人々は変わっていようとも、景色は同じではなくても、思い出の中で感じたままに気持ちは浮き沈みをくり返し、去る者がある一方で、新しく自分と歩みを伴にする人も現れる。秋になれば葉は色づき、やがて落ちはするけれど、固い芽として冬をやり過ごせば、春には花が咲く。その営みの周期は人にも等しく訪れるのだということが、アイルランドの風景を見遣る視線の先に見えてくる。

    不幸をかこい、孤独のままにあろうとする。その瞬間の気持ちに嘘はないとしても、いつまでも自分自身をぎゅっと抱きしめていることなどできない。今のこの場所からどこへ行かず、何も変えず、全てを現状のままに維持しようとしても、季節は巡り自然は否応なしに全てを変化させてゆく。閉ざしていた扉には知らず知らずの内に隙間ができ、中に溜め込んでいたものは外へと流れ出してゆく。それと同じように、いくら自分の中に抱え込んでいようとしても、思いは一つ所に留まることはなく、こちらからあちら側へと伝わってゆく。そのことが、主人公の思い出とともに静かに沁みてくる。

    見渡す限りの草原の中で一人立つ時、人は、そこに立つ勇気を与えてくれる者たちの加護自分にはあることを、何にもまして実感するだろう。

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著者プロフィール

コルム・トビーン(Colm Tóibín)
1955 年、アイルランド東南のウェクスフォード州エニスコーシー生まれ。1975 年University College Dublin 卒業。新しい視点から発信する詩、劇、フィクションは衝撃的で、映画「ブルックリン」の原作小説などで知られる、いま最も人気のあるアイルランドの作家の一人。アイルランドおよび外国でジャーナリスト、文学批評家としても精力的に活躍中。Aosdána(アイルランド芸術家協会)のメンバー。Stanford University、The University of Texas at Austin、Princeton University、Colunbia University そのほかで教壇に立つ。彼の作品の主要テーマ:アイルランド社会、海外生活、創作過程、ホモセクシュアリティのアイデンティティなど。
おもな邦訳書:『巨匠 ヘンリー・ジェイムズの人と作品』(伊藤範子訳、論創社)、『ヒース燃ゆ』(伊藤範子訳、松籟社)、『ブルックリン』(栩木伸明訳、白水社)、『ブラックウォーター灯台船』(伊藤範子訳、松籟社)、『ノーラ・ウェブスター』(栩木伸明訳、新潮社)、『エリザベス・ビショップ 悲しみと理性』(伊藤範子訳、港の人)、『母たちと息子たち アイルランドの光と影を生きる』(伊藤範子訳、行路社)など。

「2024年 『マジシャン トーマス・マンの人と芸術』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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