- Amazon.co.jp ・本 (242ページ)
- / ISBN・EAN: 9784882024675
作品紹介・あらすじ
行った。見た。考えた。東京・シドニー・大阪。迷い路を楽しみつつ、自分の場所を探り、見知らぬ人々と触れあいつつ、他者の声に耳をすます。植民地、民族、女と男とおかま、カリブ、大阪弁……読者自身のテーマに出会える名エッセイ。
感想・レビュー・書評
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日本語で生まれてがとてもよかったので借りてきた3冊の1冊。66年生まれの著者の91年から95年のエッセイ、だから25から29歳、若い。東大の院卒だけあり、頭いい感じがただよう。東京の仲町の長屋住まいをしながら、比較文学をしている。トリニタード・トバゴ(昨日のNHKのドラムパン演奏、すごかった)のラブレイスという作家と東京で出会う。オーストラリアで日本文学を教える職をえて旅立つ。英語で、志賀直哉を、教える、、。移民の国オーストラリアで生きる多種多様な人々、、。そして、次に大阪の大学の先生になり、「異国」オオサカを語る。天王寺に住んで、おばちゃんやおっちゃんとふれあってるのがこの人の地なんだろう。「今日寝るベッドのあるところが帰るところだろ(友人談)」「不特定多数の教室に向かって話しているとき、自分の態度が彼らにとってどう映るのか、それをどこかで考えてはいる。でも話し手と聞き手の間で起こる作用は水ものだから、だれにとっても正しい態度というのはおそらくないし。」「女をやってきてよかったな、とも近頃思うようになってきた。男も2,3年女をやったらいいと思うのだがそれはむずかいしので、周囲にゲイだとカミングアウトしてみるのがいいかもしれない。へたな受験勉強よりよっぼど勉強になるはずだ。」中村さんの根っこが垣間見える、でもまだトンガリは少ししか見えていない、そんな一冊。
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