西郷南洲遺訓 (いつか読んでみたかった日本の名著シリーズ3)

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  • 致知出版社
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感想 : 11
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  • Amazon.co.jp ・本 (160ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784884749781

感想・レビュー・書評

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  • 六 一芸ある人材の活用法
     人材を採用する時、君子(教養人、才能あふれる人物)と小人(一般人、凡人)との区別を厳しくし、すべてに優れた人物を求めて小人を排除しすぎると、かえって問題を引き起こしてしまう。その理由はこの世が始まって以来、世の中で十人のうち七、八人までは普通の人であるから、よくこのような凡人の長所を取り入れ、これをそれぞれの役割に用いて、その優れたところ、才能や特技を十分発揮させることが重要である。
    藤田東湖先生がおっしゃったことがある。
    「小人ほど、細かな特技、一芸に秀でているところがあって仕事をさせるに便利であるから、その器量に応じて仕事をさせなければならない。だからといって、これを上司にして重要な職務に就かせると、必ず組織や国を滅ぼしてしまうようなことになりかねないから、決して上に立ててはならないものである」と。


    ニー  自分にとらわれてはならない
     人が正しく生きる道というものは、天地自然の道理である。
     学間というのはその道を知るために、「敬天愛人」すなわち、天を敬い、人を愛するという境地を目的にしなくてはならない。そのためには、に克つ」ということを心がけねばならない。
     自分自身に克つという意識を持つことは並大抵のことではないが、それを「論語」では「わがままをせず、無理をせず、固執せず、我を通さず」(私利私欲を出さない。無理強いをしない。物事に固執しない。独りよがりをしない)と表現している。
     一般的に人は自分に克つことによって成功し、自分本位に考えることによって大事なものを見失い、失敗するものだ。
     よく歴史上の人物を見るがよい。大きな事業を始める人は、その事業の十のうち七、八割までは大抵よくできるが、残りの二、三割を最後まで成し遂げられた人は少ないだろう。
     それは最初のうちは自分本位にならず、物事を慎重に進めるから成功し、それで有名にもなる。ところが、成功して有名になるに従って、いつのまにか自分にとらわれるようになって、人に対して物事に対して、おそれ惧むという精神が失われ、おごり高ぶる気持ちが出てきてしまう。自分の成し得た仕事や過去の成功体験をもとにして、何でもできるという過信、うぬぼれが生じて、まずい仕事をし、ついには失敗することになる。
     それもこれもすべて自分が招いた結果だ。だから、常に自分に打ち克つ心、自分の甘えに負けない心、真の克己心を持つことだ。
     他人が見ていないからといって悪いことをしたり、誰も開いていないから悪いことを言ったりせず、常にその身を慎み戒めることが大事である。

    【一言解説】
    「敬天愛人」は西郷さんがしばしば揶浴(額などに筆で書くこと)した、よく知られている言葉で、その理想とした境地です。
     天を敬うとは、人として正義を貫き、大いなる天(自然の摂理)に敬意を払い、大切にすること。
     人を愛するは文字通り、他人を思いやり、愛しなさいということ。
    ちなみに「敬天愛人」の言葉は西郷さんのオリジナルと思われがちですが、実は中村正直(明治の思想家)訳の「西国立志編」に紹介されている言葉だそうです。これはもともと中国で、儒教とキリスト教が出合ったことによって生まれた言葉なのです。
     また、英語でいう「セルフコントロール」(自己抑制)についても指摘しています。「己を知り、自分自身に負けない強い心を持ちなさい、と説いています。社会的に成功した人でも、得てしてそういう克己心、自分自身を制御する心を見失いがちだ、ということも言っています。


    二九 どんな困難、苦労も乗り越えて
     正しい道を進もうとする者は、もともと困難なことに遭遇するものだから、どんな苦しい場面に立っても、そのことが成功するか失敗するかということや、自分が生きるか死ぬかというようなことに少しもこだわってはならない。
     ことを行うには、上手下手があり、ものによってはよくできる人、よくできない人もあるけれども、道を行うことに疑いを持って動揺する人もあるかもしれないが、人は道を行わねばならぬものだから、正しい道を踏むという点では上手下手もなく、どうしてもできないという人もいない。
     だからできることを精一杯、人として正しい道を行い、その道を楽しむくらいの心を持つべきだ。もし困難なことに遭って、これを乗り切ろうとするならば、いよいよ道理に従い、道を楽しむ境地にならなければならない。
     自分(南洲翁)も若い時分から、困難という困難に遭ってきたので、今はどんなことに出合っても心が動揺するようなことはないだろう。それだけは実に幸せだ。


    三六 文字だけの知識では役に立たない
     歴史を学ぶことは大切だが、昔の人が行った歴史をただ書物の上の知識として得るだけは意味がない。聖人賢者になろうというような高い志がなく、最初から「自分にはとても真似出来ない」と思うような気持ちであったら、戦いに臨んで逃げる敵前逃亡より、なお卑怯なことだ。
     朱子(中国·南宋時代の儒学者)は「抜いた刀を見て逃げ出すような者はどうしようもない。真剣勝負のできぬ卑怯者である」と言われているが、それと同じだ。誠意をもって聖人賢者の書を読み、その一生をかけて行われたことの心臓を自分自身の手本として、身に体験するような修業をしないで、ただ「こんな言葉を言われた」とか、「このようなことがあった」という事を知識として知っているばかりでは何の役にも立たない。
     私(南洲翁)は今、人の言うことを聞くと、いかにももっともらしく論じようとも、その行動や実践に心がこもらず、また精神や理念が行き渡っていないように思える。そんな、知識を吹聴して行動を伴わない、ただ口先ばかりのことであれば少しも感心しない。
     逆に、本当に聖人賢者の行動を心から手本とし、自らの行いにしようという志のある人を見れば、(雄弁でなく、知識に乏しくても)実に立派だと感じるものである。
     昔の聖人賢者の書を、ただ上辺だけなぞり読むのであったら、ちょうど他人の剣術を傍から見ているのと同じで、少しも自分の身につかない。自分の体を動かして剣を振るい、鍛錬しなければ剣は上達しないのは明らかで、万一「刀を持って立ち合え」と言われた時、逃げるよりほかないであろう。

  • 至誠一貫、質実剛健。息子達に読ませたい。

  • 一言で素晴らしい。西郷隆盛は凄い考える人だと思った。私はこの遺訓がすごく好きだと思った。

  • こういう「何分で読める~」とかは、いろいろと省略されたり意味が浅くなったりするのは仕方ないけど、「ちょっと読んでみたい」くらいの気持ちの入門編としては気が楽で、やはり手に取りやすいです。

    西郷隆盛の言葉を集めた書。
    やはり偉人と言われる人は、言う事が骨太で芯が通っていて、時代を超えた不変のものがあります。

    三六 「歴史を学ぶことは大切だが、昔の人が行った歴史をただ書物の上の知識として得るだけでは意味がない。~誠意をもって聖人賢者の書を読み、その一生をかけて行われたことの心髄を自分自身の手本として、身に体験するような修業をしないで、ただ「こんな言葉を言われた」とか、「このようなことがあった」という事を知識として知っているばかりでは何の役にも立たない~」
    ―――ギクリ!!

  • 西洋の知識が良しとされる明治の時代に、それを学びつつ、東洋の教えの素晴らしさを体現し王道を生きた人物、西郷隆盛の遺訓。文調が現代版であり、内容をよく理解できました。

  • エッセンスが多く詰まった一冊。
    謙虚さ、信念
    そんなキーワードが読み終わって残っている。

    西郷さん素敵。
    谷藤先生に借りた

  • 20130609読み終わった
    「西郷南洲翁遺訓」、読みやすいものから入ろうとこの本を手に取った。本文、現代語訳、解説でワンセット。分かりやすくてよかった。

  • 「常に公明正大で、常に思慮深く、他人を思いやる・・・」これはこれですばらしいです。でも、ぼくが「なるほどっ!」と思ったのは、「奇策は有事の際のみに用いるべし」というところ。確かに、常日頃から奇策を用いていると、いざという時に効果がない。日頃は正しく生き、有事の際には奇策を使用する胆識を持つ・・・こういう現実を踏まえ、正論ばかりでないところが西郷さんの人気の秘密なのでしょうね。

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