- Amazon.co.jp ・本 (116ページ)
- / ISBN・EAN: 9784888663854
感想・レビュー・書評
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建築をはじめる前に
建築を志そうと決めた時に
出会いました。
2005年頃。
10代の頃も、これからも、ずっと大切な本。
誰かに贈りたくなる本は、そう簡単には出会えない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
建築っていうのは、結局「居心地」のことで、それは空間の余白に、「自分」を見つけるということに尽きるんだろうな。
また各々の「場面」や「情景」を生む装置だと言い換えることができるかもしれない。建物である以上、間の行動を制限することは免れ得ないけれど、その制限の中での「自由」や「現場」を生む装置であるというのか。
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以下引用
一度、建物を建てる場所から離れて、あなたが好きだなと感じる場所を考えてみよう。あなたが気持ちがよいと感じられる場所を考えてみよう。
好きな場所がどのような様子だったか、さらに具体的に思い出してみよう。
★→静謐さ、沈黙、密閉(遮断)、時間のずれ、かな。
★ところで気持ちの良い、好きな場所を語る時は、あなたはその場所を「発見した」という気分になるのに、気持ちのよくない、嫌いな場所を語るときには、そんな気分にならないのはなぜだろうか。それは好きな場所こそ、あなたがその場所を「発見した」からだ。嫌いな場所は受動的にしかかかわるしかできないが、好きな、気持ちのよい場所には、あなたが仮にそこで昼寝をしたとしても、じつは能動的に関わっているからだ
きもちのよい場所
自分にとっての大事な経験を在庫品として蓄え、きちんと取り出せ、人に伝えることができること
本物か偽物か、いいものかわるものかという、選択がどちらかしかない判断は、あらかじめ「こうでなくてはならない」と教えられてきたためだ。そこには私たち一人ひとりが自分で判断する余地は少ない。いいものもいろいろある
→★いい、わるいでなくて、自分の心が喜ぶか、心地よいと感じるか、ということを判断軸にしよう。
それらの建物に好きだな、気持ちがいいなと感じる場所を発見できないとしたら、それらの建物は、大切ななにかの要素を欠いている
→★関われる、ということだろうなぁ。たぶん。作為のなさ、設計側に弄ばれていたり、役割的に切り分けされない空間。これ、どこのお店にもいえるなぁ。それがあると、対等でなくなる。そうならないようにするにはどうしたら良いか。
もしかしたら、そのデザインは建築家の間では流行っているのかもしれない。でもその建物のほうがヘンだと思う時、あなたの建築に対する判断は一歩も二歩も前進しているにちがいない
建物をつくりだすのは人間の心である
現代の都市のなかに見られる建物は、それが団地であれ、オフィスであれ、学校であれ、一見すると病院か、刑務所を思い起こさせる。
★→ここまでいかなくとも、「する」と「される」に完全い分断された場所ばっかりになってると思う。サービスを提供する、提供されるといったように。お店とお客が対等でない。
教師であることも。生徒であることも知らない人たちが自然と集うことができた「美しい木の下」、教師と生徒が一体となって語り合い、話し合い、問いをかけあうことができる関係を、プログラムを考える
小さな関係が大きな関係のなかに組み込まれてしまった
★★私たちは、草花や木々や庭を眺めるとき。静かな時間を取り戻す。工業製品化されることはない自然が私たちに発信し、気づかせてくれることは、芽生え、生長、枯死、そして再生という生物のリズムであり、四季という季節のめぐりであり、過去、現在、未来を結ぶ時間の流れだ
→これを眺める場所はぜひともつくりたい。生死を云々というのは岡野さんの指摘通り、「知覚が造り変えられる」というところと密接に関わっている
★死者のいる場が家のなかにあることは、いつか自分も死に、やがて死者として生きる時間を考えることであり、自分がいまここに生きている時間を想う事
死者を祀る場を失ったことは、自らの生よりも長い長い時間をゆっくりと考える場を喪失したのではないか
★→なるほど、「歴史」の「いま」にいるひとつの装置として、仏間は機能していたということか、自我を消して、歴史の「いま」に佇む作法として。これも必要だなぁ。反省。
あなたが好きだな、気持ちがよいなと感じる場所について考えてみよう。その場こそじつは、自己を発見するための大切な時間と結びついている
住宅は沈思黙考のための肝要必須の場であり、そこには美が存在し、人間にとって欠くことのできない静謐を心にもたらす、そんな場でもある
→★なんというか、家っていうのは、いつでも戻ってくるところなんだと思う。そこは完全に内界に依拠しているのが健全かな。そこがあって、外界へと出ていける。だから、臨書をやるときの空間性とか精神状態が、そのまま家の空間に表されているのが理想かな
もし少女が裸足で歩く事ができないのなら、その建築にはどこかに欠点がある
裸足で歩きたくなる建築とは、身体全てで味わいたいという思いを抱かせる
建築は視覚だけで味わうものではない。触覚も、嗅覚も、聴覚も、味覚も、
あなたが気持ちのよいと思い、好きだなと感じる場所は、五感をきびきびと働かせるだけでなく、五感を気持ちよく解放させてくれる場
感覚を解放するレッスン
判断を一瞬のうちにしなければならず、時間のすきまを見失う
スピードアップとは、なにかを行う過程を楽しむ余裕を失うこと
言い古された言葉で評価される建築はいかがわしい。
もしも子どもたちが遊べないとしたら、街の目地や継ぎ目はいつも緊張しているのだ。
建築こそ未完成な場 -
高校生や大学1年生のために書かれた建築学入門書。
詩のような語り口、素描、写真でとても読みやすい。
とはいえ、侮れない。建築を様々なモノに置き換え、
自分の生活を顧みると、置き忘れていた大切な何か、
日々指の隙間からすり抜けていた何かに気づいた。 -
何度も読みたくなる本
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建築をはじめました
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連絡は手紙です。
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買ったきり、読んでないや。
早くよもーっと。 -
この本の面白さは柔らかい抑揚と、リアルな中身にある。
書いてあることは新しいことでもなんでもない。
いわんとしていることは至極単純なことなのだ。その単純さの表現に感動をした。