八月の日曜日

  • 水声社
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  • Amazon.co.jp ・本 (228ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784891764753

作品紹介・あらすじ

たったひとり、モディアノの語り手は、いつも真っ白な現実にむきあわなくてはならない。彼らはいったいどこへ消えたのか?誰が悪いと責めることもできず、主人公はその折の衝撃のぶりかえしに怯えつづける。「胸の疼き」は、空白のまえで立ち止まったときに立ちあがってくる既視感をまえにした、ほとんど身体的な反応だが、謎の解決は、愛した女性の肌のにおいだけを残して、全身をゆるがすこの既視感に屈して放置される。だからこそ、マルヌ河の瘴気を払い、ニースへむかうまえの夏の日々の、期待と不安が奇蹟的に等価となる頁を読み返すたびに、読者は、この逃避行を生き直すことになるのだ。そのとき感じる「胸の疼き」は、もはや主人公だけのものではなく、私たちにも与えられた厳しい試練となり、またこのうえない喜びとなるだろう。

感想・レビュー・書評

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  • 表紙を飾るリトグラフがプロムナード・デ・ザングレなのだろうか。棕櫚の並木が海岸通に沿って消失点に向かって遠ざかっていく。地中海から差す光を受けて立つ男が曳く長い影から見て朝早くだろう。人通りのまばらな避暑地のものさびれた風景がパトリック・モディアノの作品世界を暗示する。趣味の良い装丁である。訳が堀江敏幸というのもうれしい。

    舞台は南仏コート・ダジュールのニース。安ホテルに独り暮らし、一階のガレージを預かる「私」はガンベッタ大通りでヴィルクールと再会し、うらぶれ果てた相手の姿に戸惑う。七年前、写真家だった「私」はマルヌ河岸の水浴場を撮影中、シルヴィアと出会った。親しくなり、招かれたヴィラにいたのが夫のヴィルクール。当時の彼は「南十字星」という宝石を転売し、マルヌ河に浮かぶ中之島にプールつきのナイトクラブを造ろうという野心家の青年だった。その「南十字星」の首飾りをしたシルヴィアと、駆け落ちしてきたのがニース。宝石を売った金で暮らしていけるはずだったのだが。

    モノクロームで撮影されたモンテ・カルロ湾の写真集に触発された「私」は、パリ近郊マルヌ河岸に今も残る水浴場の写真を撮り、写真集を作ることを考える。華やかなモンテ・カルロに比べ、マルヌ河岸はかつて娼婦や女衒たちが稼いだ金で建てた家が立ち並ぶ地区である。岸辺に建つヴィラの主、ヴィルクール夫人も隣接する撮影所の秘話を語る口ぶりから、過去を持つ様子がうかがえる。そのすべての登場人物が素性の知れないあやしい人々ばかりという、モディアノならではの人物設定は健在である。

    観光客で溢れる避暑地で気ままに独り暮らしを送りながら、その実過去に囚われたままの今の「私」。人目を避け、二人で息を詰め、カフェやレストランに出向いては宝石を買ってくれる人を探していた駆け落ち当時。行方知れずとなった恋人を探して探偵のように手がかりを嗅ぎまわる「私」。断片的に回想される何層にもなった過去の記憶が、ねじれた時間軸の周りを回り出す。ほぐれるように浮かび上がってくる、男と女の逃避行の果てに起きたある事件とは。

    ニースは、『暗いブティック通り』の探偵事務所長が隠棲先に選んだ土地。住み慣れたパリを離れても、時間を忘れたような古い建築や見捨てられたような安下宿を訪ね歩く手法は変わらない。相も変らぬ唐突な「置き去り」を主題に、愛する女を失った男の喪失感と、その謎を追う追跡劇を描くモディアノの筆は期待を裏切らない。一枚の写真の中からファム・ファタルをめぐる男たちの思いもかけぬつながりが浮かび上がる謎解きなど、巷に溢れるつまらぬミステリを超えているとさえ思うのに、時系列を追って書き進めば純然たるミステリにもなろうかというモチーフを、あえて時系列を歪め、近い過去と遠い過去を現在時のなかに挿入するという語りの手法を用い、単なるミステリにしない。

    マルヌ河岸とニースのどちらにもあるプロムナード・デ・ザングレという地名をはじめ、ルフランのように繰り返し使われる同語反復。河岸と海岸を照らす光と影、亜鉛の屋根をたたく侘びしい雨音と紺碧海岸の上にかかる青空、安定した職業というものに無縁の正体の知れない、かといって危険というのでもない、妙に人擦れのした、地続きでどの国でも生きていける大陸に暮らす、根無し草のような人々。そんなモディアノ世界の住人たちが、ふと曲がった曲り角の陰から顔を出してはまた消えてゆく。何ひとつ確かなものなどなく、すべては仮象でしかない、人と人とのつながりさえも。一度この世界の空気を呼吸すると、他の濃密な空気が耐え切れなくなる、そんなパトリック・モディアノの世界がここにある。

  • 「《南十字星》という名のダイヤ」
    青く冷たく輝く宝石は、関わる人たちの人生を無関心に眺める。

    読みながらWikipedia片手に物語の場所を想像する。
    「ブロムナート・デ・ザングレ」
    フランス南部ニースの海岸線にある遊歩道
    「ル・ビーチ・ド・ラ・ヴァレンヌ」
    フランス北西部、マルヌ河畔の水浴場

    私(ジャン)は絶望を抱えて彷徨う。
    過去を想うとき、モノトーンの世界にほんのちょっと色がつくように、私(ジャン)の感情がゆらめく。

    結末は無い。無いことが結末。

    確かにモディアノですね。

  • 表紙から終わりまで引き込まれます
    不思議な感覚になれる本です

  • モディアノの佳作。モノクロの景色が、過去と現在を、行き来するような、不思議な感覚の小説です。

  • フランスの作品らしく、堕ちていく感じをちょっと斜に構えながらもお洒落に描いている。何か現実感がないような雰囲気を醸し出し、さら〜と読み終えてしまった。

  • 眠たくなるフランス映画のような。イヴォンヌの香りのような、ような。
    ああ、だめだめ車からおりちゃダメー!と思ったのは、これなんか同じような手口の小説を読んだことある。なんだっけ確か新潮クレストのどれかで短篇集だったと思うけれど、車から降りて連れが連れて行かれちゃう話、あああ思い出せない。(思い出した、シュリンク『夏の嘘』の中の『真夜中の他人』)
    最初はなんだこの話はと思ってたら、あれっ、ポールって……?といろいろ伏線がある。いつも置いて行かれる、決して一緒になれないという焦燥感が常に漂うのはモディアノの作風か。
    訳者は堀江敏幸、訳者あとがきも、このふんわりしたフランス映画のような流れの物語を理解する助けになるだろう。

  • ミステリー風で読みやすいけれど何もかも曖昧で登場する人々がみな地に足がついていない。彼らは演技しているようでもあるし下品な地金をすぐ見せ捉えどころがない。確かなのは南十字星という名のダイアモンドと母親の年配の女性のみ。根無し草で置き去りにされるこの話はユダヤ人の作家のアイデンティティなのかもしれない。迷子になったまま取り残されたような奇妙な読後感であった。

  • 写真家くずれの男が、さえない露天商に落ちぶれてしまったかつての知人と再会します。その知人の妻は、家から宝石を持ち出して写真家と逐電してしまったのでした…。しかし、宝石を売り払おうと考えていた二人に、宝石の出自にまつわる運命が襲いかかります。

    閑職に追いやられ、ひたすら退職の日を待つ外交官や大きな事業を夢見ながら零落してしまった露天商などのエピソードを読むと、人生って苦々しいことばかりだなと
    思います。これは他人の問題でも、ましてや宝石の問題でもない、私たちの人生の問題なのだと感じました。

    残るは八月の日曜日のように、幸福なひと時のノスタルジーばかり。と、憂鬱な物思いにふけりたい、秋の夜長におすすめの作品。

  • 『1941年、パリの尋ね人』がよかったので、モディアノに惹かれてこれを読んだのだが、暗い!そしてぞっとするような残酷さについていけず、萎えた。以後モディアノには手を出さなくなったのだった。

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著者プロフィール

(Patrick Modiano)1945年フランス生まれ。1968年に『エトワール広場』でデビュー。1972年に『パリ環状通り』でアカデミー・フランセーズ小説大賞、1978年に『暗いブティック通り』でゴンクール賞を受賞。その他の著作に、『ある青春』(1981)、『1941年。パリの尋ね人』(1997)、『失われた時のカフェで』(2007)などがある。2014年、ノーベル文学賞受賞。

「2023年 『眠れる記憶』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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