- Amazon.co.jp ・本 (211ページ)
- / ISBN・EAN: 9784891766832
作品紹介・あらすじ
世紀を超え、国家を超え、いまなお観客の魂を魅了する映像作家、タルコフスキイ。映画に対する情熱から、作劇、演出の実際にいたるまで、現在に遺されたソ連時代の肉声を集成し、"映像詩人"の原点に迫る、貴重な映画論集。
感想・レビュー・書評
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再読。
アンドレイ・タルコフスキーがソ連映画委員会付属脚本家・監督二年制高等クラスでおこなった講義録。
彼の作品をほぼすべて観た後では、なるほどなあ、まあそう言うだろうな、と納得する発言がめだつ。映画芸術至上主義すぎて、言語化されるとちょっとついていけないところもあったけど、でも彼がそんな過激な理念を掲げていたからこそ一連の傑作に具現化したと思うと、過剰でありがとう、となんだか感謝の念すら湧いてくる。
タルコフスキーはひとつのショットに内在する時間性というものを第一に考えているらしい。だから妙な小細工を嫌うし、小手先のモンタージュも然り。画面があまりに絵画的になることも(本作を読めば、彼がモノクロを好む理由もわかる。「アンドレイ・ルブリョフ」!)。
各ショットにはすでに実現すべきモンタージュがプログラムされているので、やたらと切り貼りすべきでないと未来の監督たちを戒める。
現実を観察するところから詩が生まれる、という考えもそこから出てくるのだろう(これには激しく同意)
映画の芸術性というものを音楽と絵画の間に据えているのもうなずける。映画は第一に時間を描くものであるから、特定のイメージとして焦点化されてはいけない。イメージは音楽的でなければならない。この考え、面白い。この考え、アンリ・ベルクソンが好みそう(もっとも映画ジャンルじたいのことをあまりよくは言ってないけどそれはさておき)。
(そういえばドゥルーズは『シネマ』の2巻目でタルコフスキーについて何か書いてたっけ?たぶん書いてるだろうな)
タルコフスキーファンとしては、もう少し自作についてみっちり語ってほしかったというこちらのわがままはあるものの、彼は自作以上に、ベルイマン、ロベール・ブレッソンについて言葉を費やす。あ、あとフェリーニも。
とりわけブレッソンに対する敬意が伝わってくる。
彼はなるべく素人っぽい俳優を起用し、プロの俳優が意図的になにかを表現しようとするのを嫌ったことで有名だが、タルコフスキーもそれに同意しているようだ。
彼もまた、自身の作品の構想をなるべくカメラマンや俳優たちと共有しないようにしていた。なぜなら、監督以外がそれを自分なりに解釈してしまうと作品がちぐはぐなものになってしまうからだ。
これにはなるほどなと思った。そういうこともあるかもしれない。いろんな映画監督に「あなたはこの考えをどう思いますか」とインタビューして回りたい。
ひとつ印象的だったエピソードがある。同じ素材、台本で映画を作らないかと複数の監督に持ちかけたところ、多くが拒否したという話。力量が完全にさらけ出されてしまうから。だそうだ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
【選書者コメント】あんなに眠たくなる映画はどのように作られたのか。
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案外、常識的なことを言い続けているのは、絶望的なまでに説明をしないといけなかったからだろうか。