今後、「家庭」というものはどうなっていくのでしょうか。
「家庭教育」という言葉すら使い続けるのが困難になる中、親たちは子育てのストレスをどう分かち合うのでしょうか。ちゃんと祖母や祖父の実家に預かってもらったりできるのでしょうか。子ども同士のつながりや地域と交流をどうデザインするか、保育者の社会的尊重は……? と、現代は様々な課題にぶつかりゆくもっとも難しい時期であり、その流れのなかで、本著は、新しい見通しを出していくための実証的根拠となるための「これでどうだ、なんとでも使ってくれ!」という思いがこめられた熱い(厚い)本です。
1890年代から1930年代までの保育と家庭教育についての諸相と歴史的展開を記した本著は、幼稚園の入所が漸減し、保育所が待機児童問題で対応に追われている時代に、そもそもいまの保育制度や保育の思想等はどう成立し、展開していったのか実証的検証をしていきます。
最初は、幼稚園は近代的な家族モデルを提示するための形式的な育児の教育機関でした。なので、理想的家庭がある程度普及すれば終わりとなるはずでしたが、幼稚園は幼稚園で、集団遊びや児童の観察を通して、家庭レベルとは別のレベルの児童教育の意味づけがあるとなされていく。
また、玩具の登場により、1920年代ごろから子どもが主体的に遊ぶことという保育目標と、保育者の専門家の確立がなされていく。
幼稚園の教育は、成績というよりは主体性、共同性の学びにあり、それで小学校教育と差異をつくり、学校教育の本番の準備を担うという位置づけになっていきます。
こうして、最初はモデルの提示だったものが専門化し、子どもに社会性を準備させる機関となり、今にいたりますが、いまは一億総共働きとなるような時代であるから、あらためて幼稚園・保育園をどう捉えるのか、問題となります。
幼保一体化のあとは、幼保小一列化のようなものになり、では「教育」というものはすべて他人まかせなのか、そもそも「育てる」とはどういうことなのか。考え直していかねばなりません。
そこに小西行郎らの成果が加わり、脳科学の実証のもと、子どもはほっといても育つ、親がのびのびとしていれば子どもものびのびといくという形から、「共働きだけど子どもが死ぬほど心配」という親の状況に、どんなモデルを提示していくのか。
本著はこの超難問の一助となってくれます。