- Amazon.co.jp ・本 (432ページ)
- / ISBN・EAN: 9784894349186
作品紹介・あらすじ
アカデミズムの壁を打ち破り、各国史をのり超え、前人未踏の「世界史」の地平を切り拓いた歴史家の集大成!
感想・レビュー・書評
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お堅い本だけに読むのに難儀しましたが、目からうろこが何枚も落ちました。
お堅い本に大興奮するなんて、初めてかもしれません。
付箋も相当貼りました。
ちょっと著作権のことを考えるとこんなに引用したらまずいのではないかと思うくらいになると思いますが、私が忘れないために、ここに残しておくことをお許しください。
”歴史というものは地域によって違うもの、つまり歴史は地方文化であって、普遍的なものではない、ということなのである。”
歴史は過去に起こった事実なのだから、それはどこからどう見ても真実は一つなのだ。
と思っていた私に後頭部への回し蹴り。
普遍的ではない、とは思っていたけど、地方文化か!
”日本史には、近世、近代、現代という三つの時代区分がある。近世というのは江戸時代、近代というのは明治時代、現代というのは第一次世界大戦以後ということだ。ところが、近世も近代も現代も、英語で言うとモダーン・エイジである。”
西洋に中世があるように、日本には近世や近代があるんだと思っていました。
そうか、世界的には認知されていない、日本だけの区分なのか…と思ったけど、ことは日本の歴史なんだから、いいじゃん細かく区分したって。
それよりも、最近の区分では現代は第二次世界大戦以後だよね。
世の中が大きく転回したことから考えると、その方が腑に落ちます。
”つまり共和制には、権力の継承が不安定という無理があり、安定を求めれば独裁制に転化しやすい。独裁制とは、言ってみれば君主制へのリバウンド(はね返り)である。”
安定を求めれば独裁制に転化しやすいのか。
今の日本を頭に思い浮かべて、納得。
”国史とは、一つの王朝・君主の家の権力を正当化するために書かれるものであり、現代においては国民国家の存在する正当性を保証するために書かれるものである。したがって結果として国史とは嘘で塗り固められたもので、シナ史や韓半島史あるいは日本史にしても、嘘ではない国史というのは一つも存在しない。”
それぞれの国が、自国を正当化するために書かれた国史をもとに過去を洗い流そうとしても、それは無理ということはわかった。
お互いがどこかで妥協する必要があるということ。
その妥協点を見つけるのがまた…。
著者は、それぞれの王朝・政権であるところの中国ではなく、秦から始まるチャイナ(つまり中華のこと)のことをシナと呼ぶ。
これは学術的な呼称であり、決して蔑称ではない。
”権力の基盤は、支配されたいという、被支配者側の欲求があって初めて成立するのだ。”
これは私もうすうすそう思っていました。
強い指導者を求めるって、そういうことだよね。
”ところが明治以来の日本の歴史学には神がない。思想がない。個人がないということは、権力の所在や王朝の交代ばかりに関心を持つ、外面的な、政治的に偏向した、歴史とは言い難いものであるということである。こんな歴史を、将来係長になれるかどうかさえ怪しい大多数の学生に、これまた権力に縁があるとは言えないわれわれ教師が教えたところでなんの足しになるのか、思えば心細い話である。”
つまり歴史とは、客観的な事実ではなく、人間に依ってたつものであると。
今日かとしての歴史が面白くないのは、事実の丸暗記だからですね。
”そもそも、なぜ史料はあるのだろうか。どういうことが起こったかを、だれかが書き留めたのが史料だ。では、なぜ書き留めたいと思ったのか、その動機は何か。それは、こういうことが起こったと、人に思ってもらいたいということである。つまり、意図のない記録なはい。必ず思惑がある。書き留められているからには、なんらかの歪曲が加わっている。極端に言うと、資料はすべて嘘をついているという前提から出発しなければならない。それが歴史家の宿命である。”
つまり「史料がみんな正しいとは限らない。間違った史料だけ伝わっている可能性は非常に大きい」と和田清が語ったと同じ事がここに書かれている。
ああ、厳選した抜き書きだけでもこんなになってしまった。
この人の歴史観の特色は、世界史の源泉は2つであるということ。
敵(悪)は東からやってくるが、結局我々(正義・善)が勝つという、古代ギリシャから脈々と現在に至るまでヨーロッパが考える歴史。
そして、ご存知4000年の歴史を持つシナ。
ところがシナというのは、決して漢民族が治める土地のことであるとは言えないのですね。
そこもわたくし勘違いしていました。
元がモンゴル人の統治であったこと、清が満州族の統治であったことは知っていましたが、隋も唐も明も漢民族は支配される側だったのです。
つまり、圧倒的多数の民族である漢民族が支配していたのは、漢と宋の時くらい?
だから『岳飛伝』で岳飛が「漢の土地に漢の国を作る!」と言い張るのか。
漢民族は、異民族に統治されながら、異国の文化を自分たちの生活に取り入れ、いつの日か主権を回復した時のために国史を記し続けたのだ。
だからそんな国史は嘘ばっかりだと著者は言う。
シナは国を治めるものは天が決めると考える。
だから、その正統を主張するための証拠を、前王朝から現王朝に天が正しく主権を認めた証拠を、作成して残すのが国史の意味だと。
そんなシナ史とヨーロッパ史をつないで一つにしたのが、モンゴル帝国。
東はシナの沿岸から、西は地中海文明のすぐ隣まで、北はロシア南部を飲み込んだ巨大帝国は、実は日清戦争で日本が勝つまで存在していた。
世界史はチンギス・ハーンから始まったのだ。
日本人の考える帝国は、皇帝のもと、国のすべてが一つに治められているもの。
けれどモンゴル帝国というのは、それぞれの部族や地域や国が自治を行い、その上に君臨する皇帝というもの。
ユーラシア大陸のほぼ全土がモンゴル帝国の下にあったのだ。
明も清も、最高機密文書はモンゴル語で書かれていて、それ以下のものは、各地域の言語に翻訳されたものを使っていた。
つまり、漢民族からすれば、自国の正式文書はすべて外国語で書いてあり、自分たちはただそれを翻訳されたものを見せられるだけだったのだ。
そんなことを今の中国は絶対に認めない。何しろ中華思想の国だから。
その中華思想というのが、被支配層であった漢民族の恨み節であるとは。
というわけで今、世界には歴史を持つ文明と歴史を持たない文明が存在する。
古代ギリシャからの歴史を持つヨーロッパと、モンゴル帝国に支配されなかったために独自の歴史を持ち続けることができた日本。
歴史を持たない文明とは、ヨーロッパという歴史を切り捨てたところから始まるアメリカ。
モンゴル帝国から早いうちに切り離され、ヨーロッパに組み入れらることのなかった多民族国家ロシア。
歴史という視点を持たないイスラム文化圏やインドなど。
歴史を持たないということは、刹那的であり、使い捨てであり、学習しないということ。今のイスラム対アメリカの戦いがまさにそう。
”「反省しない」イスラムと、「負けを考えない」アメリカ”
まだまだ落ちたうろこはありますが、ざっくり書くとこんな感じで。
26歳という史上最年少で日本学士院賞を受賞された歴史学者だそうですが、この本で初めて知りました。
ものすごく勉強になりました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
これぞ、決定版歴史所
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OH1a
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副題の通り、歴史とはなにか、について深く掘り下げる一冊。
これまでに発表してきた原稿や、講演の内容を文書化したものを一冊にまとめたものです。
時々、いや頻繁に、私の固定概念をばっさりと切り捨てるようなことが書いてあってとてもおもしろいです。 -
著者の独特な歴史観が新鮮。
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著者の独特な歴史観が新鮮。