悟り系で行こう―「私」が終わる時、「世界」が現れる

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  • 明窓出版
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感想 : 4
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  • Amazon.co.jp ・本 (179ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784896342765

感想・レビュー・書評

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  • つまり「私」はないということ。「で、そう言っているお前さんは誰なんだ?」と言われそうだな(笑)。「私」とは思考や感情の主体である。近世哲学の祖とされるフランス野郎は「我思う、ゆえに我あり」と語った。キリスト教の場合、神という絶対的な位置から全てが始まるため存在論に傾く。それに対して仏教は現象論だ。デカルトが「我」に思い至る2000年前にブッダは諸法無我と説いた。
    http://sessendo.blogspot.jp/2017/05/blog-post_4.html

  • 著者はクリシュナムルティで覚醒したフリーライター。自分の経験を元に悟りについて語ります。

    クリシュナムルティの自分を見つめる瞑想の実践を続け、ある日会社で上司から叱られているとき、ぽろっと自我が落ちたそうです。
    クリシュナムルティで覚醒したと宣言した人を始めて聞きました。
    今は覚醒する人が増えているということをよく聞きますが、本当にそうなのかもしれないですね。

    著者は悟り系としてクリシュナムルティと並べて鳥居みゆきも語っていますが、はてな?です。鳥居みゆきは小学生の頃クリシュナムルティを読んでいたそうです。

  •  ダイレクトにクリシュナムルティに愛着を表明していることに好感を持ちます。悟りの直接的な経験の記述に納得。書きすぎで、混乱が見えるところもありますが、それは後記で反省していることでもあり、大丈夫。いろいろ刺激に満ちた、インパクトを持った書物でした。次女からの、父の日のプレゼントで購入しました。

  • イラストの印象とは違って比較的まっとうな悟り体験談である。
    クリシュナムルティに触発されて禅で言うところの見性をしたというところだろうが、禅の悟りに限りなく近いようだ。が、そのレベルがよく分からない。
    見性体験ってのは案外多くの人に起こっているらしい。そしてその内容も殆ど同じである。つまりアドヴァイタである。
    ただ、バーナデット・ロバーツのような深みに達しているようではない。
    後半の悟り系の人々については、クリシュナムルティを除いて納得できない。

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