- Amazon.co.jp ・本 (347ページ)
- / ISBN・EAN: 9784896949230
作品紹介・あらすじ
サン・ドゥニ、モン・サン・ミシェル、コンクなど、中世フランスに栄えた大小の霊場を巡り、聖者崇拝の遺物や記録の背後に見え隠れする信仰と生活の実像を鮮やかに捉えた名著、待望の新版。再刊にあたり図版を一新し、また小説家小川国夫とのサンチャゴ巡礼をめぐる対談を併録。
感想・レビュー・書評
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最近やたらと硬い文章ばかり読んでいたせいか、著者の洗練された穏やかな文章に心和む。副題に「巡礼の手帖」とあるために、カジュアルなカルチャー本かと思いきや、非常に専門的。フランスの古寺名刹について、箇所ごとにさまざまな資料が挙げられており、その時代の政治、文化、心性、あるいはもうすこし長い幅でのそれらについてまで考察が及ぶ。著者の広い視野と深い洞察に感嘆。構成もさることながら、日本語自体がたいへん美しい。著者の豊富な語彙によって、当の聖堂が現前にあるかのような心地がする。見事。
紹介されている主な巡礼地は下記のとおり。名称は著者にしたがって表記する。
①サン・ドゥニ
②サン・ベルトラン・ド・コマンジェ
③ノートルダム・ドラフレード
④モン・サン・ミシェル
⑤サント・フォア・ド・コンク
⑥フォントネイ
⑦サン・ジルダ・ド・リュイス
知っている聖地もあるが、本書を読んでみると、まだ堀が浅いと思いを改める。たった一箇所だけでも語り尽くせぬ歴史があるのだ。
個人的には、モン・サン・ミシェルについての著者の一節に触れ、考えることがあった。実際に訪れたことのある場所で、かつ一大観光地であるために、あまり興味をそそられない聖地だったが、その歴史を知ると、そのままノルマンディの歴史を垣間みることになる。著者はモン・サン・ミシェルの防備が矮小化された背景を、当時ラテラノ会議で公式化された禁令ではなく、都市そのものの防備機構の拡大にみている。聖地の果たす機能の変化に、その土地のまた新たな側面を望むこともできるやもしれない。
また大天使ミカエル信仰についても、土着信仰との親和性やミカエルを奉る他の聖地との関係性について鋭い指摘がある。
日本でもフランスでも、古寺名刹巡りはおもしろい。いくつも足を運ぶうち、類似点が気にかかる。観音信仰のあるところ、なにかと舞台があったり、鬼子母神あるところ、日蓮宗であったり、弥勒菩薩ある時代、末法の世であったり。そういった符合点、あるいは符合するはずのところでの相違点に考えを巡らす。それは、著者の言葉を借りれば、「長い歴史の中を民衆の生活や心情とともに生き続けて来た信仰」によって、過去の人々の想いに考えを巡らせることでもある。本書はまさに、巡礼そのものを知ることの奥深さをおしえてくれる。
巻末にある小川国夫氏との対談も興味深く読んだ。著者曰く、「異端」ーへレジーの語源になるギリシア語のハエレシスという言葉は、「選び取る」という意味らしい。つまりは信仰を選ぶ、あるいは疑問視する。これはタブーであり、であるからこそ「異端」と呼ばれたわけである。わたしは指摘を受けて、ある種の自我の誕生を思った。客体でなく主体として信仰を保つことへの歴史は、なにも宗教改革の時代に突如として隆盛した思想ではなく、やはり中世のその昔からつづく系譜の途中にあったのであろうか。
またお二方とも、旅と信仰の不思議な関係について考えを巡らせる。わたしは若い人間なので、巡礼というのはちょっとまだ早過ぎる気がするが、「自分探しの旅」的なものなら出かけてもいい。想像するに、中世の巡礼のひとつの形として、わたしのように「自分探しの旅」を敢行する若者もいたかもしれない。行ったこともないけれど、サンティアゴの道がやたらと近しいもののように思う。旅する魅力は、解脱にあるのかもしれない。詳細をみるコメント0件をすべて表示