- Amazon.co.jp ・本 (483ページ)
- / ISBN・EAN: 9784898302415
作品紹介・あらすじ
アンナ・カリーナのために撮った60年代作品-を中心に山田宏一が徹底したドキュメント構成でその映画的創造の秘密を説き明かした画期的なゴダール論。
感想・レビュー・書評
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映画が映画であった幸福な時代。ゴダールにとっては、アンナ・カリーナとの蜜月。
私は私だ。映画は映画だ。同語反復こそ、自己肯定であり、幸福そのもの。
ゴダールはアンナ・カリーナとの離婚後、単なる映画であることに飽き足らず、方法としての映画を追求することになる。つまり、幸福な時代は終わりを迎える。それにつれて、ゴダールは人間を離れ、孤独な神に近づいていく。
よく似た名前のアンヌ(アンナ)・ヴィアゼムスキーが第2の妻になろうが、もはやゴダールは以前のゴダールではありえない。
本作はそんな、失われた時を求めて、ゴダールがもっとも幸福だった時代に焦点をあてている。
本作の著者のように、明確な立場を決めなければ、ゴダールは論じられない。ゴダールのペースに巻き込まれて考えていては、彼が死ぬまで答えはでない。でも死んでほしくはない。それに、死んでしまったあとでは遅い。
そうした意味でも、この抑制の効いたゴダールに対する反抗の書は、非情に意義のあるものだと思う。ぜひとも、明快であるからこそ、ゴダール本人に読んでほしい。きっとある種の不快感や動揺を感じることだろう。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
献辞の「幸福な少数者」とは、あの時代のパリに生きたひとびとなのか。「あくまでもメイキング・ドキュメンタリーのように記録し、再現し、まとめた」とあるように、当時の空気を味わえた。あるいは、アンナ・カリーナとゴダールに魅せられた者として、僕も「幸福な少数者」の末席に加えてもらえるかもしれない。