1935年、神戸市生まれ。昭和19年(1944)より学童集団疎開で岡山県落合村へ。よく20年(1945)6月、神戸の家が空襲罹災のため疎開地を去り、丹波地方に遠縁を頼り母親と二人で転居。翌年8月終戦を迎え、昭和21年(1946)神戸の高羽小学校へ戻る。鷹匠中学校、県立神戸高校に在学中の6年間、新制作派協会の小松益喜氏にデッサン、油絵の指導を受ける。1959年、女子美術大学芸術学部洋画科を卒業。1960年より岡山県に在住。 「2001年 『昭和二十一年八月の絵日記』 で使われていた紹介文から引用しています。」