- Amazon.co.jp ・本 (398ページ)
- / ISBN・EAN: 9784901510943
作品紹介・あらすじ
昔話の研究から、明恵の夢の分析、そして『とりかへばや物語』『源氏物語』論へ。宗教と科学の接点に立ち、東洋と西洋の根源的な理解を目指した、日本人初のユング心理学者・河合隼雄の稀有で壮大な物語。
感想・レビュー・書評
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河合隼雄論。彼の思想を纏めているのだけれど、著者の河合隼雄論なのだ。端々に覗くそれが、矜持を感じさせて好ましい。
・ユングは「アニマは男性にムードをかもしださせ、アニムスは女性に意見を主張させる」と述べている。
・そうすると日本の分化は、そういう男性的なものをまったく拒否したのではない。大切にしてはいるのだけれど、どこを拒否したかというと、女と男というレベルにおける男性は拒否した。ところが、父と娘とか、母と息子というふうなタテに並んでいるほうの面では、男性性を受けいれるのではないか(異類女房譚が美女と野獣の話と違って、最後男女が分かれて終わる、という観察にそって)。
・自然科学的現象学なるものができるのなら、木製の鉄なるものを作ることもできるだろう。―メダルト・ボス
・ホログラフィは、光の波の干渉という性質を用いた写真術ともいうべきもので、レンズを使わずに三次元の空間に映像を結ばせることができる。そしてその映像のどの部分も、全体についての情報を含んでいる。つまり、どの部分からも全体像を知ることができる。換言すれば、「部分のみの情報ということは有り得ないのであって、部分は常に全体の情報と密接にかかわりあっているのである」。
とするならば、それはユングの共時性の考えと結びつくはずである。
・例えば核兵器にたいする危機感。この会議に参加した欧米人は、世界で唯一の被爆国である日本の人々よりもはるかにつよい危機感を抱いていた。同時に彼らは、その危機感を「西洋近代の文明の一般に対する危機」として受け止めており、何らかの突破口を見つけなければ、という切迫感を抱いていたのであった。日本人は、ともすれば、西洋近代の文明というとき、科学とキリスト教を対立的に捉えがちである。しかし、西洋近代の歴史を改めて辿るなら、科学そのものがキリスト教の支えの上に発展してきたのであった。その結果、現在では、「キリスト教徒対立するものと見られがちだった進化論、マルキシズム、フロイトによる精神分析などは、広い視野に立つと、むしろユダヤ・キリスト教の一神教的な教えの延長にあるものとして理解する必要があると思われる」。
・ところで、易のような共時性現象に着目した中国人は、その史観においても現象を全体的(ホーリスティック)に捉えようとする。つまり、歴史を描く最良の方法は、一致する事象のすべてを集めることによって、真の像を得ることである。それは因果律を重視する西欧的な史観からすれば、雑多なものの恣意的な集積としか見えない。
…「彼らのいう本質とは事象のなかに因果関係の連鎖を読みとることであり、中国の歴史の本質は、アメリカ人から見て末梢的と思える事象をすべて読みとった後に、全体のなかに浮かび上がってくる姿を把握することなのである」。
・自分の人生の中に死をどう位置づけるか。経験したことのない死を、一回限りの生の中にどう定位するのか。「この問題に対する回答として、おのおのの文明はそれにふさわしい宗教をもった」。詳細をみるコメント0件をすべて表示