- Amazon.co.jp ・本 (349ページ)
- / ISBN・EAN: 9784902465129
感想・レビュー・書評
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話題となった31歳、フリーター、希望は戦争の著者がその論考に対する反応にさらに応答する書。解決策は個人的には、ベーシックインカムかと思っているが、著者は、実現に疑問を持っているだけで、反対でないのがわかったことはある意味収穫だった。
論考自体は、反応を紹介してくれているので、人の立ち位置によって、様々な見方があるのだなという確認が取れ、参考になる。堀江氏の「金で買えないものはない」発言に続く言葉「金で買えないものは差別につながる」旨があったことを知ることができたことも良かった。
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赤木の巧みなところは自分の立ち位置を「貧困=フリーター=絶対的弱者でありかつ無学」という立場から、既設の左派・右派双方に対して攻撃を加えていること。つまり建設的提言をすることを最初から放棄している点だ(もっとも、今の学者が建設的な提言ができているかどうかは、甚だ怪しいが)
彼は安定稼得者=正規社員も攻撃の対象にしている。多くの論者は、彼のルサンチマン的言説を批判するだろうが赤木の指摘はある種正しい。というのも90年代連合は、正規雇用労働者の既得権を維持する一方で非正規雇用の改善という点では敗北しているからだ。
とはいえ、彼自身が後書きで「金をくれとしかいっていない」と言っているように正規雇用者をルサンチマン的に攻撃したところで、なんら改善はしない。彼が批判していたワーキングプアー層への批判も世代間対立を煽るだけだろう。むしろ非正規雇用全体の生活水準の向上が必要なわけで、正規雇用者は多少生活水準が下がるのを許容しないといけない。もし許容できないなら、今の政権(ネオリベ志向)に対して抗議し譲歩を引き出すかだろう。
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この本を始めて読んだのは2009年だと思いますが、それ以来定期的に読みたくなる僕のバイブルです。
30歳を過ぎたフリーターである赤木智弘氏により執筆されたこの本の論旨をまとめると、30歳を過ぎて尚、フリーターという立ち位置に甘んじるしかない私〈著者〉=ロストジェネレーション世代にとって、今の世の中は全く平和ではなく、このまま惨めな死を待つか、思い切って自殺するかの二択でしかない。
したがって、何も持たない私〈著者〉は失うものは何もないので、既得権益をもつ者も持たざる者も等しく扱われる戦争を望み、持たざる者からの一発逆転に賭ける他ないのではないかとの考えが頭をかすめるほど、切羽詰まり緊迫した状況に陥っている。ということです。
著者の赤木氏の良いところは自らの言論を『半ば主張、半ば煽動』と割り切っている点です。赤木氏はこの本の執筆動機として「高尚な理想があるわけではありません。社会の多くの人を救いたいと考えたわけでもありません。それ以外のモノをなにも持たない私には、それを金に替えていくしかないのです」と述べています。つまり、「金が欲しい!」、仕事が欲しい!」と訴えているのです。
論壇は本来、学者による客観的な不偏不党に基づく主張が展開されるのが常なのでしょうが、本書はあくまでも〈社会的弱者〉といえる著者の主観で展開されます。それが面白いです。
自分の世代で言うなれば、「神は神の子のみを愛す」とか「俺はウジ虫」と歌ったレディオヘッドや、「橋の下でいくらシャブを打っても足りなかった」と歌ったレッチリや、「ハロー、ハロー、どんくらい酷い?」と歌ったニルヴァーナくらい打ちのめされているんだけど社会へのカウンターパンチを狙っていて…。つまりはロックなんだと思います。 -
フリーター自身が発した叫び。主張は「希望は戦争」と極論だが、そこから現実の問題を理解し、本気で考えて欲しいと訴えている。
読んでいくと結局は周囲に責任転嫁し、仕事をくれくれと言っているように聞こえるが、若手が将来に希望を持てず、そう主張させる現状があるんだと思う。
本の中に出てくる彼に対して反論している人々は若手の現状や心理を理解していないなと感じる。これでは解決に繋がらないだろうな。
でも親世代の時代の幸せのカタチ、生活レベルを自分たちが追いかけるのはもう違う。個々の価値観で求めるレベルを決めていかなければならないのではないか。一億総中流の時代はもう来ない。 -
後世の人は、20世紀末から21世紀初頭の日本人を「大人が責任を放棄した時代」と評するだろうなあ~と思っていたけど、それどころの話しじゃあなさそうだ。層の固定化をよしとする幼稚な社会が、世界と伍して生き抜けるほど甘くない・・・というか、自滅の道へ進んでいると考えるのだが。さてどうしたものか・・・。
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「戦争を望む」って暴論は左翼への強烈な挑戦状。経済成長が生み出した「平和」な社会をそのまま維持するために、若者が生贄とされている。弱者として想定すらしてもらえず、見捨てられる立場からの必死の訴えは身につまされるところもある。
ただ、永遠の経済成長なんてありえない現実では、高いレベルの満足を得られる生活が出来る人間ってのは一部に限られるのは仕方がないことなんじゃないかとも思う。今でも、低学歴のブルーカラーで収入もいいとはいえない人たちが普通に家庭を作れて幸せそうにやってたりする。総中流でみんな幸せにって幻想に縛られているから、現状に満足できなかったり、目の前の幸せを幸せと思えないんじゃないか。幻想を捨てて、個々人の身の丈にあった幸せを自然に選べる社会にこそ、なるべきなんじゃないだろうかと思う。
結局、自分も物理的に充足しているから筆者の考えを理解できてないってことなのかな。 -
フリーターがこれまで自分の問題を自ら語るということで言えば最も話題になったものだろう。自分としては『生きさせろ』の著者と「派遣村」の村長しか知らないけどこの人たちは当事者じゃない。
当事者として声を上げた(所謂知識人に頼った形でなく)という意味で記憶されるんじゃないかと思う。
「これまで自分は左派だろうと思ってきたがそれで実生活が良くなっただろうか」
「自分に必要なことはそんな事ではなく自分が苦しんでることに対して良くしていこうとする事こそが思想だろう」との気づきから自らの主張をしていく。それはスゴク当たり前だけれども。
実際自分が苦しんでいる事を苦しんでいない人に伝えるのはすごく難しい
男性が女性の権利に鈍感だったように。
しかし苦しんでいるのならその当事者がやっぱり主張しなきゃいけない。
とても面倒なことだ。自ら望んでいない境遇に陥りそれは自分のせいではないくせにわざわざ頭使っていつ通るか分からない主張をしなきゃいけない。
それおかしいでしょ?
問題が認識されればこれで十分なのに。
ということはワーキングプアは問題視されていないという事じゃないかな。
本になるくらいは問題視されているけど国をあげて問題にすることではないという意味で。もちろん国って誰?って事になるけど。 -
ずいぶん前にも一度読んだ本を二度読み。
「希望は戦争」。でも、ほんとうは僕らを戦争に向かわせないでほしい。
フリーターが書いた論文として、当時、衝撃を受けた。
戦争になれば、平等になれる。東大卒の思想家をひっぱたくことだってできる。
強烈なルサンチマンの炸裂。
でも、真実。
おれ、だからコネで就職したやつ嫌いなんだよなぁ。
あはは。 -
2010年6月に読了。
2007年の本で、リーマンショック以前の本であるが、現状変わらず今なお通じる(通じてしまう)本だ。
自分と10歳以上違っていて、自分はこれからこの波に飲まれていく世代だ。
著者が直接問題提起してるのは、団塊ジュニア世代・就職氷河期の時代に新卒を終えてしまった人達ではあるが、今自分が直面する問題としての「就活」、この辺の議論との親和性もあるだろう。
本文でも述べていたが副題の「私を戦争に向かわせるものは何か」や「論座」掲載論文の「希望は、戦争」という、「戦争」というワードが一人歩きし、その辺りの偏見をもってしまうと読み違えてしまう。軍国主義者だったり戦争を積極的にしたがってる「人命を軽んじる若者」というカテゴライズは不適当だ。
様々な社会問題は山積しているが、大風呂敷の中で語られることのない救うべき存在を認知するための本としては素晴らしい。
このように、それぞれのリアルな立場から社会を論じる人間が増えていっていいはずだ思う。専門学校卒、一応物書きの勉強もしていたがここに書かれていることを、高等学校卒業後の勉強で得たのかと思うと、頭が下がる。