わかりやすい民藝 (d BOOKS)

著者 :
  • D&DEPARTMENT PROJECT
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本棚登録 : 145
感想 : 8
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  • Amazon.co.jp ・本 (340ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784903097695

感想・レビュー・書評

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  • たいへんよい本。少なくとも自分にはすごくタイムリー。

    著者曰く、民藝とはそもそもなにか決まった方向性のスタイルが定義されているわけではなく、時の権威によって制度化されつつあった「美の基準(例えば、日展的な、制度化された業界による評価システム)」に対するカウンターカルチャーであって、「民藝とはなにか」という問いにおいて「〇〇だから民藝」という定義はまったく重要ではない。

    むしろ、それは「民藝」そのものを権威化するフレーミングであり、民藝が“民藝的”というラベリングによって本来の運動の意味から離れていくいくという、いわば自家中毒を引き起こしているのが現代の「民藝調(民藝茶屋とか素朴なぽってりした陶器とか……)」と聞いて皆が思い浮かべるあれ。

    民藝運動は、そもそもお仕着せの美の基準から、市民を自由に解き放つための思想だった。

    その土地の生活風土の中で生み出され、歴史の積み重ねの中で固定化されたスタイルを持ち、丈夫で長く使え、壊れても修理が効き、いよいよ買い換える時も同じものが容易に手に入る。「民藝」とは、特定の意匠や構造に対して与えられるものではなくて、土地土地の生活文化に深く組み込まれたものづくりのあり方のことであって、もっとゆるく、しかし強い決意表明のこと。

    うまくまとめられないのだが、民藝が「民藝調」という檻に自ら閉じこもる必要はなく、生活の必要に応じて絶対的な基準/定義を持たずにゆるく作られたモノが、時間の流れの中で徐々に結晶化していくことを「民藝的」呼ぶということであれば、例えば無印良品やユニクロもナショナルレベルでの民藝といえるし、逆にもちろんローカルごとの特徴を帯びた“民藝調”の手作り工芸品も民藝の範疇に入る。

    個人的に、今まさに「地域の素材を使った、地域の住民のための、地域の文化の文脈に沿った木工ものづくり」的な仕組み、場を導入するにあたり、これって結構「民藝」的な運動の文脈に載るんじゃないかと思った。

    少なくとも著者のいう、美の基準を定義し直すための運動としての「民藝」には。

    あるいは自分たちの手に「作る」を取り戻すことによって、消費者としての視点に変容をもたらそうとする「FabLab」的なカルチャーも、実は民藝運動と思想的に共鳴する部分があるし、うまく接続するような気がする。

    結局自分のやろうとしていることは、民藝運動の文脈の上にあって、なかんずくこれを少しでも更新していこうという方向で進んでいくのが、今のところ正解に近いと思った。

    過去に学び、これを内包した上で、現実に価値あるものとして昇華する。地域に根ざしたものづくり。インターネットの時代には、素材産地優位なオープンソースの民藝的ものづくりがピタリをハマる。なんとなく見えてきた。

    が、たいへん長く困難な未知(道)のような気もする。

    -----(以下、抜書き)-----

    p.49-50
    なぜ「民」の文字が出てくるのか。かつて熊倉功夫先生の講演でうかがった話ですが、明治末とは、横山源之助『日本の下層社会』(1899年)に記されたような「病んだ都市」、つまり都市部でのスラム化、貧困、さらには貧富の格差が是正されない状況が問題視され、それに対し、理想的な田園風景として農村や地方を再評価し、海外の目に頼ることなく地域それ俺の土着的な文化を自らの力で評価しなおそう、「日本」のあるべき姿を自分たちの手で実現しよう、という動きが起こり始めた時期でした。この状況、今と意外と変わらないんですよ。

    で、日本再評価の試みのあらわれが、たとえば1910年に出版された柳田國男の『遠野物語』であり、1918年に武者小路実篤が宮崎県に拓いた理想郷的な農村「新しき村」であり、1921年に始まった渋沢敬三のプライベートミュージアム「アチック・ミューゼアム」であり、柳たちの民藝運動であった、とも言い得るでしょう。

    柳田國男の「民俗学」、渋沢敬三から渋沢常一につながっていく「民具学」、そして柳宗悦の<民藝>、多くの人が、デモクラシーとしての民主・民権、「官」に対する言葉として、「民」に希望を抱き、それぞれの「民」を捉えなおそう、作り出そうとした時代だったのです。

    p.116-117
    柳が「民衆的工藝」としての<民藝>に見出だしたものは四つあります。

    1 頭の中で作り上げられた観念的な美ではない、ということ。
    2 土地に暮らす人が風土の中で、必然的に生み出す品。
    3 長い期間使われていく中で、土地固有の模様、リズムを保つようになった品。
    4 忘れてはならないのは、権威やブランドといった記号に関係なく、もの自体に存在する「美」。

    <民藝>は反近代主義ではない

    p.125
    「近代主義者」柳は、<民藝>を用いてなにをしようとしたのでしょうか。
    それは、当時決まりつつあった、帝展工藝的な「お上が決める美」をひっくり返そうとした、ということです。柳は<民藝>を作るこ都によって、「美術」が明治以来作ってきた「美」のルールを変え、新たなルールを作り、「美」の評価基準を決める力を「官」から「民」へ奪い返そうとしたのです。

    p.177
    一人が頭の中で作るモノではなく、世代を超えて引き継がれた形が含まれている。それを褒めています。そういう意味では柳宗理が作るものも同じで、ル・コルビュジェだけでなく、柳家での生活がもたらした形から引き継がれたデザインがあると思うんですよ。どんな一人の優れた人間でも、必ず遡れるルーツはある。そのルーツを生かした仕事は強いし、そんな強さを<民藝>の人々は好む、ということです。

    p.182
    いずれにせよ、別に柳宗悦は機械工芸(や機械生産品)に関して否定はしていないんです。岩波文庫の『柳宗悦 民藝紀行』に、有名な「日田の皿山」という文章がおさめられています。小鹿田焼について書かれた文章ですが、その最後の方に、「私達はなにが美を産むか学びたいのである。その一物さえ掴めれば、町に出ようと機械に交わろうと知識をふやそうと、どんなことをしてもいいのである。進んだ時代はあと帰りをする必要はない。」って、柳宗悦ははっきり言い切っているんですね。

    p.244
    要は「作る意思」って相当重要だってことです。私はロマンチストなところがあるので、地盤産業はいつかナガオカさんに見つけてもらえるような、10年後も20年後も買い足したいって思うときに、作り続けられているようなものを生み出して、かつ作り続けてほしいなって思っています。

    p.245
    地場産業とクラフトの共通点ですが、クラフトも型などを作っていて、デザインをした人が亡くなっても作り続けられるもの、と考えられます。実際、昭和の時代、クラフト運動に関わった南部鉄器の小笠原鋳造所の小笠原陸兆さんも、伊万里陶苑の岡本栄司さんも亡くなられていますが、彼らがデザインしたものは今も作り続けられています。それがクラフト、ということですかね。

    p.306
    工芸という分野において「生産性を高める」というのは、一日に吹ける数を増やしたり、コップの形を均一にしたりすることではないんです。むしろ、苦手なこと、したくないことを減らし、これでじゅうぶん楽しく暮らせる、という仕事のリズムを整えていくことこそが、「生産性の良さ」に他ならないわけです。

  • やきもの、籠、染物、になんとなく惹かれてた理由が少しわかった、「民藝」のくくりを知れてよかった、勉強していこうと思う

  • 民藝の入門書。著者は、膨大な研究に支えられた民藝の概論を、初心者にも理解できるように言語化してくれる。例えば雑誌『白樺』をSNS、柳宗悦をインフルエンサーと説明されると、かなり感覚を掴める。
    民藝は、制度化された「美」に対する抵抗として生まれた先進的な運動であり、ヒエラルキー(この先生が「民藝」と言ったら民藝、みたいな構造)には大反対。
    「民藝」の定義は固定されないが、日常的に使い勝手がいい、つまり美しさなど気にしていない「にもかかわらず」美しいもの。あるいは日常的に使われる中で良い佇まいになっていく道具。あるいは、使うときの動作に馴染んだもの、それを生み出すまでの時間が一体化したもの、など。
    個人的には、柳宗悦のキャラが好きだった。権威的なものに隷従せず、名も無き者の作品に美を見出し、怒りをもってその地位を築いていく。「平凡の中に非凡を見るより非凡なことがあろうか。今の多くの人たちは非凡なものにでなくば、非凡を見ないほど平凡に落ちたのである」は名言。

  • とてもわかりやすかった!

    民藝とは
    ・友情に基づくカウンターカルチャー
    ・土地ごとに生まれる工藝的なるもの
    ・●●にもかかわらず、美しいもの

  • 書名通りとてもわかりやすく民藝の考え方を明らかにしてくれている。
    どうして民藝運動と言われるのか、どうして私が民藝の定義がわかりにくいと感じてしまっていたのかに、明確に答えてくれた。

    柳宗悦がもともとは宗教哲学を学んでいたということも面白い。どんな歴史的な流れがあって民藝ということばが生まれ、どのように使われるようになったかを知ることができ、単にことばの定義を理解するだけではない、厚みのある知識が得られる本だと思う。

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