寝台特急黄色い矢 (群像社ライブラリー 26 作品集「青い火影」 2)

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  • Amazon.co.jp ・本 (283ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784903619248

作品紹介・あらすじ

子供の頃にベッドから見た部屋の記憶は奥深い世界の始まり。共に暮らす魅惑的な異性の心には永遠に近づけない、謎の同行者の正体を探るには奇抜なジャンプを試みるしかない。連続殺人事件におびえる娼婦と潜水艦乗組員の性を超越したかけひきも、シャーマンが蘇らせた死者を連れた国外脱出も、霧深いペテルブルグで麻薬片手に警備につく革命軍兵士も、すべて現実?!死んだ者だけが降りることのできる寝台特急に読者を乗せて疾走するペレーヴィンのみずみずしい才能がいかんなく発揮されたデビュー時代の中短編集。

感想・レビュー・書評

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  • たぶん、現代国家としてのソ連あるいはロシアの内側がすごく投影されているんだと思います。私はそのあたりはかなり無知なので、作品の中の何がロシアのどんなあり方を表しているのかは、想像するしかない。ただ、その壁を越えてしみてくる人間の孤独感のようなものがあります。あと、そこに生きる人の中に、国の来し方やありようがどれだけ根ざしているかということ。国がもがいて人々につける引っかき傷とか、人々に巻きつくとぐろみたいなものに、その国の人の心は何世代にもわたってとらえられて、なかなか離れることができない。「新興国」と括られる国々の作品を読むと、その国のもがきが最近のことだからなのか、より強くそれを感じる気がしました。

  • 「今日みたいなとき、俺は考えてしまう」ピョートル・ペトローヴィチは言った。「人生の残りの時間で、何ができるだろう? どうして俺はまわりのものすべてを今のように目にすることが、なかなかできないんだろう? なんだって俺はいつも同じ選択をしてしまうんだろう? 部屋にこもって、一番暗い隅っこを見つめるような選択をさ?」

    『宇宙飛行士 オモン・ラー』、『眠れ』と読んで、なぜ彼が『ロシアの村上春樹』と形容されるのかイマイチぴんと来なかったのですが、この『寝台特急 黄色い矢』を読んで、確かになんとなく、似ているかもなあ、という気分になった(そもそも、村上春樹もそんなに読んでないんだけれども)。なんといえばいいか、全体的にとても静かなのだけれども、かすかに音楽の聴こえる感じといえば良いのか、全体を覆うセンチメンタルの濃度が似ている様な気がした。
    『眠れ』は当たり外れの激しい短篇集だったのだけれども、こちらは全体的に好みだった。ほぼ同時期に書かれているものが多いと思うので、ただ単に運の問題なのかな。
    一番のお気に入りはと言われると、ちょっと困るな、「ニカ」の展開にはしてやられたという感じがして好みだし、「天上界のタンバリン」も悪くない。表題作「黄色い矢」は電車=人生という単純な暗喩を汲み取るので精一杯なのだけれども、それでも様々な描写を楽しむことができた。

    しかし、ちゃんと『青い火影』全部を訳して欲しかったなあ。せめて表題作くらいは…(どっかで見かけたあらすじが面白そうだったので)。最近注目されてきてるみたいだから、改めて訳されたやつでないかな、と淡い期待を抱いておこう。
    次は『チャパーエフと空虚』、かな。

  •  ひどく奇怪で幻想的なロシア産の中短編集。
     夢を読んでいるように捉えどころがなく、表題作の黄色い矢に至っては解説を読んでなお半分ほども理解できませんでした。
     でも、おそらくソ連崩壊という大きなイベントとそれに伴う価値観の揺らぎ。
     そういったモノを踏まえて読むか、あるいはスケールを落として自身の影を意識しながら読めばまた違った意味を読み取れるのかもしれず。

     夢は夢として、そこに何を見るかは見る者の知識あるいは想像力に問われるという事なんですかね。

  • 『幼年時代が幸福なのは、思い出すときにそう思うからだ』-『幼年時代の存在論』

    不幸な人生を語る小説が作家の置かれた状況を反映しているかのようである場合、作家の業というものがつくづく因業なものなのだな、と思う。抑圧は現実の世界にあり、それを感じて圧された力の分だけ何かを外へ向けて解放したいと思うのは誰しにも起こる。しかしそれを単純な作用反作用の原理のように解放できない(例えば新橋の居酒屋でしばしば行われるガス抜きとは単に仕事上受けた圧力を別な弁で開放して内圧を保つ行為に過ぎない)人というのが存在していて、そえがまさに作家という生き物なのだな、と思うのである。悲惨な状況すら楽しんでいる心がそこにはある。

    これらの短篇は何を語るというのだろう。そう疑問に思ってしまうと逃れらえないジレンマに捕らえられてしまう。疑問を持たずに、さらさらと読んでしまえればこれらの作品は面白い。しかし、単に軽く心が揺さぶられるのを楽しんでしまうのは、軌道の上からは決して外れることがなく、激しい上下動を繰り返したとしても安全装置が働き決して放り出されることはないと思いながら乗り物に揺られるのと同じ心地である。それでは乗り物に本来求められていた筈の自由はどこへ行ってしまったのだろうか、と疑問に思うばかりとなる。激しく急カーブを切った時、車体が慣性力を封じ込めることができるか否かの不安と戦わずにその回転を楽しむことなぞ本来はできないはずなのだ。妙なところでかつての自動二輪乗りの血が騒ぎだす。

    この小説を発表することに作家はどれだけのリスクを掛けていたのだろうか。文中ナボコフの名が登場し、揶揄する様な文章が表れるけれど、ナボコフの賭したものを思えばこの作家は何かを非難することなどできないのではないか、と妙に憤ってみたりもする。

    結局のところこの悲惨な人生にとことん疲れ切ってしまうのならば、それを客観的に文章に起こすという行為の持つ偽善性は決して拭い去ることはできないだろう。その言明は、もちろん作家のみに向かって放たれるべきものではなく、本を読みその感想を綴っている人々すべてに向かって放たれなければならないだろう。それは承知である。自分とてまさにその類に属するものである。

    全ては過去へ流れていく。不幸も、また。しかし、流れていくことを幸せと思うか、失われていくことそのこと自体を失われていくものよりも愛おしいと思うか否か。自分はどうやら、失われていくことそのものを潔しとしないもののようである。そのことばかりが本を読みながら意識されるのだった。

  • オモン・ラーからチャパーエフと空虚までの間に書かれた短編集(だったっけ? おぼえてないけれど、だいたいそころへんだったと思います)。ペレーヴィンは大々的に「ロシアの村上春樹」として宣伝されることが多いけれど、表だって感じる村上からの影響と言えば表層的な部分、たとえば比喩ぐらいで、歴史やものに対する見方や接し方も、彼とペレーヴィンとではだいぶちがうように思う。ペレーヴィンの場合は民族、国家の過度な誇張が目立つ。馬鹿馬鹿しいくらいの、それこそ笑わせなければやってられないといわんくらいの装飾っぷりはソ連的なものからの解放? そこらへんはくわしくないのでうまく言えないのだけれど、そうした馬鹿馬鹿しさのなかで根底には比類ない抒情性があって、とくに『ニカ』『天上界のタンバリン』『黄色い矢』の読後感はとてもすがすがしい。

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著者プロフィール

1962年生まれ。現代ロシアを代表する作家。『ジェネレーション〈P〉』『汝はTなり』『チャパーエフと空虚』『虫の生活』などが訳されている。

「2018年 『iPhuck10』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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