- Amazon.co.jp ・本 (276ページ)
- / ISBN・EAN: 9784904209639
作品紹介・あらすじ
正しさに太刀打ちできるものなどいない。西洋哲学、現代思想の理論を駆使し、「正しい」という言葉を徹底的に解剖。愚直なまでに「正しさ」の意味を考究した恐ろしく「誠実」な書。
感想・レビュー・書評
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「正しさ/正義」は「誰が、どこで、どのタイミングで決めるか」が大きな要素になるので、一般的な認識と乖離してしまうことが多々あるし、逆により多くの人々に共感してもらえる「正しい主張」が響き渡れば「権力者」も「場の空気」をも粉砕するほど力を持つこともある。
自分で「正しさ」や「公平性」などについて熟考する時は、思想や哲学が道具として役立つが、これらは問題の深部にある発生源を直接的に触れようとするあまり、使い勝手が悪いことが多い。痛みが伴うのに体質改善的なアプローチとなりがちで切れ味も悪く、即時性もない。だけに自分の中ですら辛抱しきれなくなって結果的に「正しさ」が負けてしまうのだ。
また中年男性ともなると「私だけが正しい」病に陥りがちだ。それが頑固親父、雷親父、老害、コンサバ、レガシーなどと煙たがれることになる。退職して家族からも鬱陶しがられたりしたらその脅かされた「承認欲求」が爆発して暴走老人化してしまう。自分の考える「正しさ」の力にすがって個別の事情を拒絶し、攻撃して得られる自己重要感は、「ゼロ⇔100」にしか認識できない能力の限界を晒しているばかりか「自分の弱さ」の象徴ともなる。
つまり「正しさ」とは、心強い武器にもなるが、取り扱いが難しいということ。というのも「誰かにとっての正しさ」という前提が背面に隠れているので「その社会の構成員の誰にとっても正しい」が成り立つまで関係者らと熟考と微調整を繰り返さないとならない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
■メインテーマ
正しさの論理とだとうはどこにあるのか?
■著者の主張
正しさは、共通了解における正しさでしかなく、単なる判断基準でしかないが、
私たちを幸福へ導くものになる。
■感想
正しさは、個人から生まれ、コミュニケーションによって共通のルールの中作られていくもの。
その中で正しさの強度は鍛えあげられていく。