- Amazon.co.jp ・本 (299ページ)
- / ISBN・EAN: 9784904507971
感想・レビュー・書評
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対話形式は読みづらい。
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直接教えを受けている(受けていた)3人の先生方による対談本なので、活字を追っているのに、耳から聴こえてくるような感じがした。
釈先生の仏教、宗教に関する発言から2ヶ所引用
”仏教では、現在・この一瞬によって、次の一瞬が決まると考えます。時間と存在とは分けることができない、すべては連鎖していくという立場に立ちます。これを相続といいます。この一瞬の心身を調えることによって、苦しみの連鎖を避けることが出来ると説くのです。
また、仏教の古い経典には、心がうまく機能していないとき、心のバランスが悪いとき、心では制御できない、そう説かれています。心のバランスが崩れても、心で立て直せない。まあ、そうですよね。意識の調子が悪いのに、意識的なコントロールはできません。まして、無意識の領域が悪いとき、意識ではどうにもなりません。では、どうやってバランスを取り戻すかと言えば、「呼吸」と「言葉」です。” 74ページ
”あらゆる宗教というのは、「生きることは不条理である」というところから出発しているのかもしれません。その上で、いかにその不条理な苦悩を引き受けて生き抜くかという知恵の結晶が宗教です。” 147ページ -
予祝と呪詛がテーマ。
予めイメージをもつことが、悪しきことに合わないことにつながる。
マイクロ・スリップも良きイメージの産物。 -
2/2読了
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着眼点は新鮮だが、内容はまとまりがない。ところどころ興味を引くよもやま話という感じ。
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2チャンネル=呪い
思念と体
韓国の昔ばなし>三年峠
予祝
国誉め>ただ、そこにそういうものがあると言い切っているだけ
真っ暗な部屋に入ったときって、身体はガチガチになりますよね。本当はそういうときこそしなやかな身体であるべきなのに、真っ暗な部屋で、この先に何があるかわからないときに、人間は硬直してしまう。逆に、遠くまで見通せるときって、運動の自由度はすごく上がるでしょ。遠くまで見えると、肩の力を抜いて、すたすたと歩いていける。
これから自分が進む道についてはっきりとした下絵があると、下絵とまったく違うことができるんですよ。下絵の縛りがあると自由になれる。
>不思議なもので、「決断」と「不決断」が同時に自分の中で行われている状態が一番生きる力が強くなっている。 -
オカルトではなく、言葉や意識の力としての「呪い」と「祝い」が強力な威力を発揮していることがよくわかった.
名越康文はリアルな精神科医の立場から発言をしているので、精神科を宗教的なものと関連付けて考えてみた釈徹宗と若干噛み合ってなかった.
内田樹と釈徹宗のコンビは最強です.仏教的なものの考え方には学ぶことが多い. -
どんなに時が経ち科学が発展しても,人間は「呪い」や「祝い」といった精神的な儀式を形を変えて存在させているんだなと思った。
仮面を付けて負の言葉を使う「呪い」とネットの掲示板で匿名で言葉を発することは確かに似ている。
ただ,今の世の中でその仮面はどのような象徴なのか。大きな力をもった人間の代表者なのか,絶対正義的もしくは全能な存在なのか。いずれにせよ錯覚には違いないんだと感じた。
現代のデジタルなものの見方・考え方に対して再考を促す本。(パワーポイントの作りかたとかはデジタル的でもいいと思うけど。)
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ひとつのことを、3人がそれぞれの分野の言葉で語る、というのが面白い。
インターネットの危険性を「呪い」なんて表現するあたりがいい。
ものごとを単純化して見てはいけないってことをしみじみ感じました。
ちらりとハシズム批判も(笑)。