働かざるもの、飢えるべからず。 だれのものでもない社会で、だれもが自由に生きる――社会システム2.0 (サンガ新書)
- サンガ (2011年12月22日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (237ページ)
- / ISBN・EAN: 9784904507995
感想・レビュー・書評
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社会は人のためにあるものであり、人が社会のためにあるのでない。働かざるもの、食うべからずの論理だと、人は社会のためにあるということになってしまう。これだと資本主義ではなく社会主義。ベーシックインカムを導入することで、生活費のために働く必要はなく好きなことをして生きていくことが可能となる。お金持ちは貯金をせずに使うこと。使えなかったら相続税100%でみんなに還元する。
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いろいろ検証してくと面白そうだけれど、なにか検証してみようと思えないのはどうしてだろう。時々、こういう引っ掛からなさに出会う。
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そもそも人はなにも作っていない。サービス業=第三次檀業のみならず第一次産業、第二次産業においても自然の恵みを享受している、いわば「自然の脛を齧っている」ので、働く/働かないという問題ではなく「誰がもっているべきか」というのが問題だという提起からはじまる。
「人が社会の為にある」ような社会至上主義から脱却し「社会が人の為にある」本当の意味での民主主義を目指そうとベーシック・インカム導入による貧困のない社会を説く。
ここで肝要なのがあくまで資本主義的考えを推し進め論理的に「そのほうが経済まわるし、社会全体にとって有益でしょ」という立場であることだ。よくある"べき"論ではなく社会全体にとって有益なことはなにかを論理的に考えて言った上での必然的結論である。 -
たしかに。税金全部なくしてそのかわり遺産は全部国へ。っていう制度いいじゃん!
と、思った一冊でした。
たしかにあの世に金は持っていけないし、土地もそうだしね、死んだ人の預貯金とかのどーにもならなくなった遺産が何兆円にもなってる日本。それを使わない手は確かにないし、子供に相続させるって言って相続争いだなんだって、自分で働いて稼いだもんでもないのに、もらえるもんならたくさんほしいとかなるなら、死んだら国へ。
にしたら確かに、年金暮らしの老人も残ったら国へ返しますって話だしとてもいいんでなかろうか。
そして、ガンは寿命。っていう考えかたにもかなり感銘を受けました。元々持ってるガン細胞、80過ぎで罹病率50パーセントってのももう体が今までの毒素を限界としているんだろうなぁ。という考えかた。若くしてガンになる人もいるけど、体で持って生まれたもの、タイマーのようなものと考えて、いつそのタイマーが切れるかわからないから、大切に日々生きるってこと。
確かになぁ。と、納得づくの一冊でした。 -
いいこと言っているんだけど、理想論の域を出るにはまだ距離がある。
ベーシック・インカムの世界に行くには一定の期間、ある特定の世代が損をすることは避けられない。その補填が将来されるのかというと、される見込みがない、でもやろうよと著者は主張する。
それにベーシック・インカムで入ったお金が家族や子供のために使われるわけではない。親父のギャンブルや遊興費に消えることも後を立たない。その事実が外されている。 -
2014/11/11
移動中 -
単行本も読みましたが、改めて新書で読んでみます。
第一部が大幅に加筆修正されてるので楽しみ。 -
21世紀の社会保障制度!
生きていく上で最低限度の金額を
国が直接国民に手渡すベーシックインカム。
特徴は次の通り。
1.「こども手当」を拡大した「こどもおとな手当」
2.制度が複雑な既存の年金保険、医療保険、失業保険
と違って機械的に国民全員に支給するため行政コストが安上がり。
3.「食うために働く」というインセンティブが弱くなる。
個々労働者が自分の好きなことをやりだし、価値創造的仕事に従事しやすくなる。
4.ベーシックインカムの財源は税率100%の相続税。
墓にお金は持っていけない生きているうちに使ってくれという考え方 -
生活保護制度でゴタゴタ論議しているくらいなら、BIを導入したほうがいいと思いました。
やっぱり好きなことをやっていける人生の方がいいし、そういう人たちが増えれば、世の中良くなるのではないかと。
てか、「そういう人たちが増える」のを待ってるんじゃなくて「そういう人たちが増える世の中」を早く作ってしまったほうがいいのかなと。 -
弾さんが掲げる、ベーシックインカム論。ベーシックインカムを導入することで、社会の「成功衝突断面積」が上がる、別の表現をすると「すべての人を成功発見器にするシステム」が出来ると弾さんはこの本の中で述べている。今の社会の価値観は「所有」「消費」から「共有」「共用」へ変化していると言われている。本書では「所有」から「利用」の流れについて言及しており、これは「共有」の時代における実際的なアプローチの一つとして考えることができると思う。若い世代には抵抗が少ない考えだと思うし、実際に導入されてほしい。