はだしのゲン わたしの遺書

著者 :
  • 朝日学生新聞社
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784904826799

作品紹介・あらすじ

原爆で父、姉、弟、妹を亡くし、母とともにゼロから再出発した中沢少年が、母の死をきっかけに、戦争責任と原爆の問題に向き合った。実体験をもとに『はだしのゲン』を生み出した漫画家の、不屈の人生。

感想・レビュー・書評

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  • 昨年12月に中沢啓治さんが亡くなった。白内障で視力がおとろえ、数年前に漫画家を引退されたが、原爆の経験を伝える講演活動はずっと続けておられたという。

    『はだしのゲン』を最初に読んだのは小学校のとき。学童の本棚だったか、学校の図書室か、学級文庫か、どこにあった本だったかは忘れたが、こわくてこわくて、でも何度も読んだ。小学校の3年ぐらいのときには、市民ホールかどこかで、映画の「はだしのゲン」を見た。漫画で、ピカドンのあと、ゲンの父と姉と弟が家の下敷きになって火につつまれて死んでいくことは知っていたが、それが実写版の映画で描かれていて、倒壊した家が火につつまれる場面では、見たあとで「もう、お姉ちゃんは死んでたのかなあ」と言ったことをおぼえている。

    ゲンは中沢さん自身だという。

    この本には、表紙カバーにも、中の見開きにも、『はだしのゲン』から、いくつかの場面が掲載されている。ゲンの物語を思い出しながら、そこにうつしだされている中沢さん自身の「あの日」からの経験を読む。

    ▼ぼくは、小学一年生のときの原爆が落ちた日の情景を、いまでもありありと覚えています。恐怖心が吹き飛んで、ありのままをじーっと目に焼き付けていましたから、映画のセットをつくれと言われればつくれるほど、ここに死体がこんなふうにあって、うめいていたとか、そういうことが客観的に頭の中に入っている。左右にどういう死体が並んでいたとか、即座にぱーっと浮かんできます。
     六歳のぼくの網膜に焼き付いている原爆の姿を『はだしのゲン』で徹底的にかいてやろうと思ったのです。戦争で、原爆で、人間がどういうふうになるかということを徹底的に書いてやるぞ、とね。
     『はだしのゲン』は、被爆のシーンがリアルだとよく言われますが、本当は、もっともっとリアルにかきたかったのです。けれど、回を追うごとに読者から「気持ち悪い」という声が出だし、ぼくは本当は心外なんだけど、読者にそっぽを向かれては意味がないと思い、かなり表現をゆるめ、極力残酷さを薄めるようにしてかきました。
     原爆の悲惨さを見てくれて、本当に感じてくれたら、作者冥利につきると思います。だから描写をゆるめてかくことは本当はしたくなかったのです。
     こんな甘い表現が真に迫っているだろうか。原爆というのは本当はああいうものじゃない。ものすごいんだと。そういう気持ちが離れないのです。(pp.178-179)

    あんなものじゃない、もっとすごいんだという経験を、そのとき、そこにいなかった人間はどう感じることができるだろう。経験者はいなくなっていく。二度とこんな経験をする人がないようにというその思いが、その人がこの世からいなくなることで消えないようにと思う。それには、どういうすべがあるだろう。

    こないだ、児玉隆也の『君は天皇を見たか』を読んだせいもあって、昭和天皇が広島へ来た時の話が印象に残った。昭和22年の12月、焼け跡の沿道に市民と寒風にさらされた児童が並ばされ、手製の旗を無心に振った、という。

    天皇が来る前に、学校では半紙が一枚ずつ配られ、真ん中に円をかいて赤で塗り、山で竹を採ってきて、その半紙を巻いてもってこいと先生に言われた、と中沢さんは書いている。

    ▼天皇陛下が広島においでになるから、全校児童が国旗を持って、歓迎すると言うのです。ぼくはそれをきいたときに、冗談じゃないと思いました。天皇の命令で戦争が始まり、その結果、原爆を落とされ、おやじたちは死んだのだ。なんで、その張本人に旗をふらなくちゃいけないんだと。翌日は、旗をつくらずに登校しました。
     …(略)…
     ぼくの目の前を、昭和天皇が乗った車が通りすぎました。白いマフラーをして、黒いコートを着て、座っている姿が見えました。
     みんなが「万歳! 万歳!」と言っている中で、寒さの中、体中が怒りで火のように燃え上がり、かーっと熱くなりました。飛びかかっていって、天皇の首にかみついてやりたいような気持ちになって、下駄で足元にあった瓦の破片をけりました。その破片は、天皇が乗った車のタイヤにあたって、ぴーんと跳ね返りました。
     原爆を受けた広島市民の慰問という形で天皇は来たわけですが、ぼくは、「慰問なら、イモの一つもくれりゃあいい」と思っていました。(pp.124-125)

    中沢さんの母は、原爆で夫と子ども3人、自分の妹と弟、それにご両親を亡くしているということをこの本で知った。原爆のことなんか絶対に思い出したくもなかったし、漫画にもかきたくなかったという中沢さんが、原爆のことを漫画にかくきっかけとなったのは、母の死だった。火葬場で焼いたあと、灰ばかりで母の骨がなかった、のど仏の骨どころか頭蓋骨さえなかった、それは放射能が母の骨をくいつくしてスカスカのもろいものにしていたからだと中沢さんは書いている。「おふくろの骨を返せ!!」「絶対に許さんぞ!!」の思いが、中沢さんの原爆漫画の第一作『黒い雨にうたれて』になったのだという。

    6歳の眼に焼き付いた被爆の光景。その中沢さんが亡くなって、『はだしのゲン』を久しぶりに読もうと思った。

    (3/21了)

  •  実を言うと、私は『はだしのゲン』が読めていない。最初に読んだ時の原爆を被爆した姿が恐ろしかったので続けて読むのをさけた。私は、ホラー系の映画なども嫌いだ。怖がりなのだ。原爆被害をテーマにして、漫画にするってすごいことだと思う。でも、詠めない。
     自伝として、本書は書かれている。中沢啓治のことをほとんど知らなかった。1939年広島市生まれ。1945年8月6日、小学1年生の時に被爆する。中沢啓治の家は、爆心地から1km余、離れているところにある。投下された原爆で、父親、姉、弟を亡くした。そして、原爆の衝撃で、8月6日に早産で生まれた妹も、4ヶ月で亡くした。中沢啓治は、通学途中で、壁と樹木があったので奇跡的に生き残った。そして、原爆症の症状も出て、苦しむ。原爆投下の後の街の風景が、真っ黒こげの死体がゴロゴロしていた。小学1年生の目には地獄絵のような有様が、焼き付けられた。そして、手塚治虫の漫画を読んで、漫画家になろうと決意するのだった。中学卒業後、母親の細腕で支えられている貧しい家庭だったので、中学を卒業して、看板屋に就職する。漫画を投稿し続け、22歳の時に、漫画家のアシスタントとして状況。原爆症であることを同僚に打ち明けると、白い目で見られる。原爆症が伝染するという誤った情報があった。そのため、一切原爆や原爆症のことを語らなかった。母親が脳溢血で倒れた。しかし、原爆症の指定病に該当しないと言われた。兄弟で捻出して、母親の病院代を負担する。1966年著者27歳の時に母親の死なれる。そして焼かれた遺骨がほとんどなかった。原爆は母親から骨まで破壊した。その時に感じた原爆への怒りが、原爆について漫画で表現しようとする。『黒い雨にうたれて』と言う漫画を書いたが、どの漫画会社も採用してくれなかった。
     1973年から、週刊少年ジャンプで『はだしのゲン』の連載を始める。その頃の漫画は『ハレンチ学園』『ど根性ガエル』が人気だった。『はだしのゲン』の連載が始まると、漫画家仲間からは、「お前の漫画は邪道だ。子供にああいう残酷なものを見せるな」と批判された。
     そうか。週刊少年ジャンプで読んでいたのだ。そのころは青年になっているのに、怖くて読めなかった。その原爆の投下後の残酷なシーンは、自らの体験であり、その中でも家族思いで前向きの漫画を書こうとしていたのだ。
     ふーむ。この本を読みながら、はだしのゲンは著者の自分の体験だったことを知った。原爆の持つ恐ろしさ、そして人体実験のようなアメリカによる調査など、怒りはアメリカに向けられ、原爆に向けられ、平和を願う。至極真っ当な生き方であり、表現だったのだ。本書も、最初の頃の説明は、実に原爆の悲惨さを描いている。それが、原爆被害の事実なのだ。

  • 図書館で借りました。

    戦争展を幼少期から観覧していたので、小学校の図書館でこの本を手に取るのは自然な事でした。
    そして、戦後50周年の夏、小学生だった私は式典をテレビで見ていました。
    感想は今も変わっていません。
    原爆、戦争は一般人が一番被害を受け、人間が人間としてではなく兵器となる、最悪の事態。
    そして今、母となった私はもう一つ、痛感しています。
    私は、自分の息子を愛する夫を家族を兵器にするために結婚したのではないし、産んだ訳ではない。
    例え自分の子でなくとも、なんの罪もない赤ちゃんが祝福の準備もなく安心して産まれてこれない世の中なんて、何処の国でもあってはならない。

    第三次世界大戦などと、揶揄される時勢。
    どうかこの「はだしのゲン」を思い出して欲しい。

  • 2019/1/2 詳細は、こちらをご覧ください。
    『あとりえ「パ・そ・ぼ」の本棚とノート』 → http://pasobo2010.blog.fc2.com/blog-entry-1218.html

    2015/08/06 追記
    今日は、広島に原爆が投下された1945年8月6日から70年目

    NHKスペシャル http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20150806
    きのこ雲の下で何が起きていたのか
    を見て、この本のことを思い出しました。

    こちらもどうぞ! ⇒ http://sea.ap.teacup.com/pasobo/1975.html
    戦後70年、原爆投下と終戦の日について 〜 Myブログ「パそぼとベルルのあれこれフリーク」

    NHKスペシャル 70年目の先頭と平和

    2015年8月6日(木) 午後7時30分〜8時35分 きのこ雲の下で 何が起きていたのか

    2015年8月7日(金) 午後10時00分〜10時49分 憎しみはこうして激化した 〜戦争とプロパガンダ〜

    2015年8月8日(土) 午後10時00分〜10時50分 特攻 〜なぜ拡大したのか〜

    2015年8月9日(日) 午後9時00分〜9時49分 “あの子”を訪ねて 〜長崎・山里小 被爆児童の70年〜

    2015年8月11日(火) 午後7時30分〜8時43分  アニメドキュメント あの日、僕らは戦場で 〜少年兵の告白〜

    2015年8月13日(木) 午後10時00分〜10時49分 女たちの太平洋戦争 〜従軍看護婦 激戦地の記録〜

    2015年8月15日(土) 午後8時00分〜9時00分 カラーでみる太平洋戦争 〜3年8か月・日本人の記録〜

    2015年8月15日(土) 午後9時00分〜9時58分 戦後70年 ニッポンの肖像 戦後70年を越えて 日本人は何ができるのか (仮)

    2015年8月16日(日) 午後9時00分〜9時58分 "終戦" 知られざる7日間 〜"戦後"はこうして始まった〜 (仮)

        〜 〜 〜 〜 ☆ 〜 〜 〜 〜 ☆ 〜 〜 〜 〜

    2013/8/24 記
    NHK クローズアップ現代 2013年7月30日(火)放送 
    「世界をかける“はだしのゲン”」 出演者: 木島 恭 さん (演出家)
    を見て、漫画“はだしのゲン”に 衝撃をうけ 読むことにしました。
    併せて、この本を読んでみようと思った。

    著者「中沢 啓治」が まるで目の前で語りかけているような文章。
    要所に漫画のページが挟まって、視覚的にもひしひしと原爆の恐ろしさが伝わってきます。
    原爆投下後の広島の様子は、これまで想像していたものとは隔絶したすさまじさです。
    著者のピカドンに対する怒り、それにまっこうから向きあうようになったいきさつ。
    家族への思い、漫画をとおして平和を訴えてきた著者の半生。

    広島・長崎の怒りと祈りが これからも忘れられないように!

    「戦争は人間の最も愚かな業」という持論で、
    色紙にはいつも「人類にとって最高の宝は平和です」と書くとのこと。

    2013/07/30 予約 8/6 借りる。8/10 読み始め、一気に読み終わる。

    内容と著者は

    内容 :
    原爆で父、姉、弟、妹を亡くした青年は、母の死をきっかけに戦争責任と原爆の問題に向き合う…。
    白内障で漫画家を引退し、肺がんをわずらう「はだしのゲン」の著者が、原爆の怖さと不屈の半生を、実体験をもとに語りつくす。

    著者 : URLはこちら http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%B2%A2%E5%95%93%E6%B2%BB 『中沢啓治 - Wikipedia』 : 
    1939年広島市生まれ。45年小学校1年生のときに被爆。2009年漫画家を引退。
    2012年12月 73歳で死去
    講演活動を行い、原爆と戦争のおそろしさを訴え続ける。
    作品に「黒い雨にうたれて」「はだしのゲン」など。

  • 怒りによって生かされた

    そう、あの悲劇を忘れない って感動的な青空を背景にするフィクション作品のうすら寒さの訳が少しわかる
    本当の事実は残酷な景色と怒りの民衆なんだよな…

    後世の私たちはそれを好きな風に解釈して、詩的に、ロマンチックに、幻想的に描くことができる
    それも表現方法としては間違っていないはず 人間が無数に存在する限り自分の考えを表現する方法はそれ以上に無数にある
    でもそれを、真実として受け止めるべきではないよね だから、戦争や災害をモチーフににした作品の「感動」という言葉がわたしは大嫌い

    悲しい残酷な現実に感動なんてするわけない。そこには怒りしかない。でもそれを忘れてはいけない。泣きながらでも血吐きながらでも私たち、生きている限り、歩いていくしかない。死に向かってみんな歩いているのだから、向かうところは最後は皆一緒なのだから、意思を忘れてはいけない。

  • 恥ずかしながら、大人になるまで「はだしのゲン」を読んだことがなかった。
    怖そうだったから避けていたのだ。

    戦後70年。
    子どもが産まれ、大切なことを伝えなくては、と思い、改めて戦争を振り返っている。

    今、漫画「はだしのゲン」を読んでいるところだ。
    (図書館では人気でなかなか続きが借りられない)

    覚悟はしていたが、一巻から、もう、ただならぬ作者の気迫が迫ってくる。
    本物の、作品だ。

    しかし、残酷なだけではない。
    悲惨な状況でたくましく立ち上がり生き抜く人々の姿は胸に迫る。

    「一体、どこまでが実体験なのだろう?」という疑問が湧いた。

    そこで、作者の「遺書」と題された、この本を読んだ。

    ゲンは中沢啓治さん、その人であり、作品の多くの部分が実体験に基づいていた。
    わすか6歳で原爆地獄を目の当たりにした中沢さん。

    原爆のおそろしさ、人間の愚かしさ、
    大切な家族、日常を奪われた怒り…

    よくぞ描いてくださった、と思う。

    中沢さんが亡くなられて、2年が経った。
    世界はまた愚かな報告に向かっていないだろうか。

    次世代に繋ぐべき「遺言」が、ここにある。

  • ガラスが体に大量にめり込んで、肌が青い人など、とてもぞっとした。こんな残酷なことは、いかなる人でもしてはいけないと思った。

  • *中学生*高校生*大人*
    22世紀にまで残すべき本。「はだしのゲン」は怖くて読めないという人には、こちらを薦めたい。ゲンの物語が自伝だったとは知らず、驚きました。中沢さんが爆心地から奇跡的に生き残り、漫画を通して原爆の恐ろしさを伝えているということの奇跡。

  • リアルな原爆体験を見ることができ、伝えいくことの大切さと、東日本大震災での遺構の扱いを重ねて考えることができた。

  • 実に心を打つ。やはり語り継ぐべき歴史。本当に酷い。
    中沢氏の遺志を引き継ぐべき。

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著者プロフィール

ンガ家。1939年3月14日、広島市生まれ。小学1年生の時、爆心地から約1.2キロメートル離れた学校への登校途中に被爆。1968年に、原爆を題材としたはじめてのマンガ「黒い雨にうたれて」を発表。1973年より「はだしのゲン」連載を週刊少年ジャンプで開始。2012年12月25日、肺がんのため死去。享年73 。

「2020年 『完全版はだしのゲン7』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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