- Amazon.co.jp ・本 (207ページ)
- / ISBN・EAN: 9784905015734
作品紹介・あらすじ
しかばねと旅する主人公に課されたのは、しかばねが語るお話がどんなに面白くても、口はきいてはいけないということ・・・。チベットの人々に長く愛されてきたむかしばなし「しかばねの物語」を親しみやすい日本語と挿絵で味わえる1冊です。チベットの『しかばねの物語』では、物語を語るしかばねを手に入れることができれば「この世の人々の寿命が何百年ものびて、みんながゆたかな富をわかちあうことができ、びんぼうな人は一人もいなくなる」と語られています。お話を語る存在(しかばね)が宝物である、という考え方には、激動の歴史の中で、しかばねの物語を大切に語りついできたチベットの人々思いがあらわれているように思います。 星 泉(「解説」より)
感想・レビュー・書評
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由来はインド屍鬼。サンボは幸せを齎す屍を大師の洞窟まで運ぶ。その間,口をきいてはいけない。屍の話が面白く我慢してもつい口が滑り,数々失敗。思わず突込みたくなる。
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しかばねを洞窟まで運ぶよう命じられた主人公デチュー・サンボは、道中、口をきいてはならぬといわれたのに、おしゃべりなしかばねが物語を語りたすと、つい、つっこみや、感想が口をついてでる。すると、しかばねが墓場にぴゅーんと戻ってしまう。何度も墓場にもどり、最初からやりなおすはめになるのに、懲りもせず口をきいてしまう主人公。そのおかげで、読者はしかばねの物語を12話きけるのだ。もし、じぶんだとしても、たぶん「おもしろい!」などと言ってしまうと思うので、気持ちがよくわかる。
うわさ通りのおもしろい本だった。羊が「うちら」という言葉を使うなど、楽しい翻訳のおかげもあると思う。以前、『路上の光』のイベントかなにかで訳者の星泉さんがしてくださったチベット文学の解説で、チベットではことわざを使ってコミュニケーションをとる伝統文化があると伺った。この昔話にもチベットのことわざがふんだんに出てきてうれしかった。それに「迦陵頻伽(カラピンカ)」や「呪法円(マンダラ)」などチベットらしい表記には異国情緒があった。 -
星泉さんの翻訳ということで読んでみた。
何やら不穏なタイトルだが、当のしかばねは陽気で気さくでちっとも怖くない、そんなしかばねが語る数々の物語。
同じ展開が繰り返されるうちに、この部分は発展しないことに気づく。さらに読み進めるとループに頭がくらくらしてくるが、
読み聞かせられるチベットの子供にとって、しかばねが墓場にびゅーんと戻る、この繰り返しがあって延々と物語が続いて行くのが楽しいのだろう。
訳者あとがきは、短いながらもチベット文化が簡潔にまとめられていて、本書を読むうえでとても参考になった。
訳者の星さんは、子供の頃お母さんからチベットの昔話を夜に読み聞かせてもらった楽しい思い出があるそうです。もうひとつ、あとひとつだけ、とお母さんにお話をせがんでなかなか寝ようとしない…そんな子供時代の姿が目に浮かぶようでほっこりしました。 -
チベットの昔話、枠物語の形式でお話が入れ子になっていて、一つのお話が終わるたびにつっこみたくなる、ユーモラスでおおらかな物語。カエル、鳥、蛇など生き物に姿を借りる王子や、人間の心を知り通わせ言葉を話す犬、ねこ、ネズミ、サルなど、そして蘇りや転生、と、繰り返し語られる物語の枠組そのものがチベット仏教の輪廻転生をかんじる。
美しい星先生の訳文と、蔵西さんのイラスト。15ページ竜樹大師様の洞窟での修行シーンの挿絵、蔵西さんならではの美形の竜樹大師さまに心を持っていかれ、69ページの見事なチベット家屋にページめくった瞬間声が出た。
解説は大人向けであり、大人も楽しめる。
苦難の歴史を歩むチベット人たちに語り継がれる、希望の物語。
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特別な屍を連れてくれば幸運が訪れるが、途中で口をきいてはいけない。口をきくと、しかばねは帰ってしまう。しかししかばねは物語るのが巧みで、つい感想や質問が口から出てしまい、その度しかばねは帰ってしまう。
この枠構造にしかばねか語る物語が入っている。
物語は、空飛ぶ木馬、美女と野獣、がちょう番の娘、岩じいさんなど、様々な昔話と似ている。人間が面白いと感じる物語の原型は世界共通ということだろう。
しかばねを運ぶ男は賢いという設定なのに、必ず口をきいてしまうので、最後は残念でしたで終わるのかと思ったら意外なハッピーエンドで、チベットの人は優しいなと思った。
表紙は、大人から見るとマンガみたいと思うけど、子どもにはいいのかもしれない。
昔話に親しむ子どもは減っているから、ぜひ読んでほしいと思う。 -
しかばねから語られる、ゆかいなお話が飽きさせなくて楽しい。びっくりするような描写もあるので、中学生からの方が安心して楽しめるかも?
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しかばねが物語を語るという枠がすでにユニーク。インドの物語で、しかばねに取りついた屍鬼が物語を語るというお話を土台にして、チベット人が作ったお話であると、あとがきに説明が。
中の物語には、世界の昔話と似たモチーフがあちこちに出てはくるものの、「そうきましたか!」という意外性のあるものもちょいちょいあってたのしい。木の鳥で飛んで妻を助けにいく話なんて、ルパン三世かと思ったぜ(笑)
毎回つっこみを入れて口を滑らせるデチュー・サンボは、まぬけっちゃまぬけなんだけど、絶妙に読者の心と共鳴するコメントなのがいいよね。たのしい。
そしてことわざや言いまわしの数々も、耳なれないけどなるほどと思わされるものが多くて面白い。
「作物はよそのうちのがりっぱに見えるが、子は自分のうちのがりっぱに見える」
「お茶のお礼を水で返すようなやつ」
「燃えさかる火のようにがめつくて、流れる水のようにどんどん取りたてにやってくるような、ひどい領主」
……ふふっとなります。 -
昔、あるところに魔法を使う七人兄弟がおりました。その近くにはセルチュー、トンドゥプという二人の兄弟も住んでおり、セルチューは魔法使いの兄弟に弟子入しました。変身の術を覚えたかったからです……。
チベットの昔話は初めて読んだ。聞いたことはない話なのに、どこか知っているものとの類似点を感じる。展開が全然読めないものもあれば、だいたいの予想ができるものもある。普通ならば1つ2つの要素で終わりそうな昔話なのに、意外にそれで終わらないのか、となることが多い。昔話が語られる過程が面白く、なるほど、それで『しかばねの物語』というのねと途中でわかる。この枠組みは千夜一夜物語のようだと思ったら、あとがきによるとやはりインドの影響が強いらしい。
正直者が得をし、欲をかくと罰を受ける。兄弟姉妹ではたいてい下が成功する。たいていの仕組みは知っている昔話と共通するものがあるが、しかばねのことしかり、死者と生者の境界が意外に曖昧に感じられた。死生観の違いなのかな。
語りの中にしょっちゅう、「〜」ということわざでも言うように、という表現がある。決まり文句なのかしら。デチュー・サンボと同じような疑問を持つことがけっこうあった。そこは聞いちゃうかも、と思うけど、ただの感想を言ってるときには、そこは我慢しなさいよ、と思った。
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