- Amazon.co.jp ・本 (246ページ)
- / ISBN・EAN: 9784905497615
作品紹介・あらすじ
「象徴」とは何だろうか。その歴史的意味は何か。気鋭の歴史家が戦前にまで遡って解明する。
感想・レビュー・書評
-
この本の著者の河西 秀哉神戸女学院大学文学部准教授は、
「文藝春秋オピニオン 2020年の論点100」で女性天皇を認めないのは男女平等に反すると中国が日本に難癖つけているのと同じ主張をしていたので、
どんな本を書くのか気になり読んでみました。
憲法九条がどうのという憲法学者もこの本と同じような議論を延々しているのだろうなって思う内容です。
議論のための議論をしているという感じで、とても最後まで読める代物ではありませんでした。
生産性が無いといって叩かれていた政治家がいたが、これこそ生産性が無いと言えるだろう。
https://seisenudoku.seesaa.net/article/474372611.html詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
東2法経図・6F開架 313.6A/Ka96k//K
-
戦前の「近代天皇制」から、戦後の「象徴天皇制」への、継続について考える一書。一般的に、戦前と戦後で転換したと思われがちな天皇制の、連続している側面について考えるというのは、重要な論点であろう。もちろん「天皇家は古代以来2000年の伝統があってそれが日本人の心にある」といったトンデモ日本文化論ではない。
連続面を考えるときに本書がキーワードとしているのは、天皇個人の「人格」である。第一次世界大戦後における君主制の世界的危機と、デモクラシーの広がりに対し、吉野作造などは日本の国体はデモクラシーを受け止める素養があり、また天皇自身も道徳的に優れた人格をもつことが重要だと指摘する。
この天皇個人の人格を重視する発想は、戦中のウルトラナショナルな国体論が登場するなかでも実は継続していたという。藤樫準二の著作を分析したうえで出されたこの指摘は興味深い。
そして戦後も、戦争責任論と退位論のなかで、天皇制という制度とは切り分けられた「人格」の問題がクローズアップされる。しかしそれは戦後に出てきたものではなく、戦前から問題になっていた天皇の「人格」問題の延長線上に位置付くのだ、という。ここに、近代天皇制と象徴天皇制の連続性が見い出せる、という。
疑問は、天皇制及び天皇にまつわる膨大な思想史研究のこれまでの蓄積と、本書各章の関係がいまひとつはっきりしないこと。先行研究として名前は挙がっているが、存在が紹介されるだけでどこが批判的に乗り越えられているのか今ひとつわからない。一例として、第五章で挙がった佐野学の先行研究に米谷匡史と福家崇洋が挙がっているが、それらとの違いが書かれているわけではない。
また、「人格」という言葉で表現すれば、たしかに戦前と戦後の天皇を見る目は共通しているかもしれない。だけれども、戦前の天皇の「人格」と、戦後問われた天皇の「人格」が、果たして同一平面上に並べ立てて良いのかどうか、というのはちょっと躊躇してしまう。本書では、各章(つまり各時期)において、天皇の「人格」が問題になっていた、と独立して述べられているように思った。しかし、問題は戦後の天皇の「人格」が問題になるとき、戦前の天皇の「人格」が、どのようなかたちで呼び起こされるのか、参照されるのか、という点だと思われる。そういう観点があれば、連続性についてより納得できたかもしれない。