思考力

著者 :
  • さくら舎
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  • Amazon.co.jp ・本 (184ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784906732371

感想・レビュー・書評

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  • ■「考える」を考える
     知識には、答えはひとつしかない。だが、自分で考えることには、好きなだけ答えを出すことができる。だからあまり勉強しないほうが、おもしろいものができたりする。学校の成績がいいものは、グライダーのように、教科書や知識に引っ張られて飛んでいるだけである。世界に羽ばたくためには、飛行機のように、自前のエンジンで飛ばなければならない。しかし、日本の学校は飛行機を製造しないで、もっぱらグライダー操縦者の養成所になってしまっている。

     知識があれば、借用もできるし、利用もできる。考える必要がないから、いたってラクである。いま、日本の大学で「考える」ことを真剣に教えているところは、きわめてすくない。教えようとしても、「考える」こと自体がわからないというのだから、話にならない。

     思考とは、それはなにか、なぜそうなのか、という疑問をもって、それを自分の力で解こうとすることをいう。たとえば、二つのものがあって、どちらがすぐれているかを比較、判断するのが「考える」ことである。どちらかに決めたら、なぜそれがすぐれているかを論理的に説明できなければならない。

     それに対して、「思う」とは自発的ではなく、あくまで受身である。外からきた刺激に対して心理的に反応することであって、何か既に存在しているものを受けて、「思う」「感じる」のも同じことである。

     教養がある人は、いつも答えはひとつしかないと思っている。知識というのは、はじめからわかっていることだから、答えはひとつしかない。あるいは、それを知っているか知らないかのどちらかしかない。知っていれば、それで終わりである。
     
     自分で考えるときには、はじめは答えがない。かならずしもひとつの答えに到達するとはかぎらない。途中で失敗することもある。何回も考えているうちに、何気なく答えにたどりつくこともある。迷いつつ考えて、わからなくなり、また考えて、最後に偶然に出た答えが、発見や発明につながったりすることも珍しくはない。

     「犬も歩ければ棒に当たる」にしても、このごろは第三の意味があるという。歩いていると、当たるつもりがなくても、偶然、棒に当たってしまうこともある。つまり、一寸先のことはわからない。人生どこでなにがあるかわからない、と考えるのである。

     こういう答えを考え出すのは、知識ではない。思考は自由である。自分で考えた結果であるから、三通りや四通りの考え方や答えがあっても悪いことではない。

    ■頭の掃除
     頭の中の清掃にとてもっとも有効なのが、睡眠である。しかもこの清掃は全自動でやってくれるからありがたい。朝、目が覚めたときには、頭の中が整理整頓されてすっきりしているのである。目覚めてから起き上がるまでの時間が、ものを考えるうえでのベストタイムで、昔の中国人はこれを枕上の時間といった。頭の中のゴミ出しがすんで、きれいに清掃された状態なので、勉強するにはもっとも適した時間帯である。

    ■失敗という財産
     いまの家庭の教育力に、疑問を抱かざるをえない。いまの家庭が反省すべきことは、自分たちのやっていることが正しいと思う気持ちが、行き過ぎているところだろう。たとえば、こどもが泥んこになって遊んだりするのは、いいことであるのに、それを極端に嫌う。泥んこになると、それによってある種のばい菌には触れるけれど、そのことで免疫力がつくから、ちょっとしたことで病気になったりはしなくなる。
     いまの家庭は、いいことばかりをやろうとしている。それが、こどもにとって理想的な環境だと思っている。しかし、いいことばかりやっていると、悪いことに弱くなる。ある種の危険は、次の安全に向かっての大事な訓練である。危険を知ることなくして、安全であることは不可能である。

    ■マイナス経験
     親がかわいがるだけでは、こどもは強くならない。ある程度、悪い刺激の中で鍛える部分がないと、精神的な強さは育たない。ときに傷つけ合ったりする環境の中で育てば、たくましくなっていく。昔の人が「若いときの苦労は買ってでもせよ」と言ったのは、苦労という一種のマイナスの経験が人間の成長には必要だということを知っていたのである。いつもプラスの条件だけの環境では、強くなれない。

  • ユーモラスにへそまがりな感じ満載。究極のへそまがり人生の選択に、勇気をもらった気がする。さらに、大正生まれの方から見ると、今の世相って、そう見えるんだ・・・と感じ入りながら楽しく読了。ついつい、思考の整理学も買っちゃいました。

  • 私の気分の問題かもしれないけど鼻につく。なんか鼻につく。
    思考力って言ってるけどエッセイですねこれは。

  • ぼくのことをは雨傘だと思ってほしい。雨が降ったらさしてください。天気のいい時は、どこにいるか放っておいていい。困ったことがおこったら、園長の名前をだして、園長がこう言った、と言ってくれればいい。僕が責任をとる。ふだん、なにごともないときには、傘がどこにあるかなんで、探さないでください。

  • 知識は力なり ベーコン 家康の時代
    日本人の暗算能力→計算機をつくろうという発想がなかった。

    blessed ignorance 余計な知識がない→新しいことを考えられる。
    歩いて考える→神戸でイギリス人が散歩

    戦後、建築業界の振興のため→国民にマイホーム→家は借りないが、お金を借りる。☆ローン=借金で家を買うこと=良いことのマインドコントロール・この本以外ではあまり見ない・政府企業も消費拡大の家購入を止めるハズなし!

    総領の甚六 長男はボンクラ
    イギリスや北欧諸国の人たちは、温暖な国、雪の降らない国の人々を信用しない。

    昭和30年代 東京教育大→つくば移転議論→昭和42年評議会決定→48年開校→53年に東京教育大の閉校

  • うーーーーん、大切な事をたくさん言っているのだけど、自分には響かない。

    ・知識だけ手に入れてもダメ、それを使って考えるようにしないと。
    ・知識は思考の妨げになってしまうから、そもそも必要以上の知識は持たない方が良い
    ・家で勉強ばかりするのではなく、運動をしてその後に集中して仕事をする方が良い
    ・かわいい子には旅をさせよ、箱入りで育てるからプレッシャーに弱くなってしまう

    みんな良い考え方だとは思うし同意することばかりなんですが、結局は今の教育方針を批判し、違うアプローチで学び、思考する能力を作ることを推奨しているように感じる。

    まぁね、言ってる事は分かるけども、という印象。

    目の前に見えるものを疑い、自分が持つ真理を貫け、っていう考え方、確かにそうだけど、

    結局なー、なんかイマイチ浸透してこないんだよなぁ。

    なんでだろ。

    数年後にこれらが英知としてにじみ出て来ることを切に願いつつ、レビュー終わり。

  • 著者のミリオンセラーである「思考の整理学」という本を以前読んだことがあって、それがすごく刺激的だったのを覚えている。この本は、東大や京大の学生たちに人気のあった本だ。
    で、この本も個人的には心にグサッときて、ちょっとやられてしまっている。
    最初は、知識と思考は別ものという考えを展開していて(αブロガーのちきりんさんと似てる)、そこから日本人の陥っている現状の問題に触れながら、最後のほうでは自分のこれまでの生き方の話で終わる。
    日本人の典型的な優等生は読むといいかもしれない。すごく逆説なことが書かれている。

    知識は思考と違って答えが出てしまっている。
    知識は暗記力があれば習得できる。
    知識があれば答えを出すことがたやすい反面、自分で思考する力は必要ない。必要とするのは暗記力だけ。
    日本が今、経済的に瀕しているのは、新しい知識(技術)がなくなっていることだ。今までの知識を使うだけであれば中国やインドで日本よりも低いコストで同じ仕事ができる。大切なことは自分の頭で思考すること、自分の頭で解決する方法。日本はオリジナリティがないが模倣が得意とよく言われてきた。その模倣する力も新しいオリジナルの知識(技術)がないと飽和状態(電化製品で言えば別に必要のない機能が増えている)になっている。

    あと、本はあまり読まない方がいい。ということを強調されている。自分で考える力が衰えるからだ。とはいえもう手遅れ。本がないと生きていけない体質になってしまっている(笑)。我流というのは僕の今までの考え方からすると正統な感じがしなかったけれど(形から入るのが好きな為。方法論は関係なく要はやる気がでるならやり方は問わない)、たしかに自力でやりぬくパワーは培われそうだ。
    たくさんいいことが書いてあるので長くなってしまった(笑)

    “つまり、日本の中において「借りる」に限界がきたのである。このへんで自前の仕事がどこまでできるか、ということを真剣に考えなければいけないのに、依然として、どこかにいい技術があれば、それを導入する(借りる)ということばかり考えている。よそから借りないで自前でやるには、そうとうな苦労を要する。”

    “スポーツのいいところは、決められたルールの中での勝負なので、負けても、次に頑張れば取り返しがつく点だ。負けるというマイナス経験をすることで、人間として強くなり、苦境を乗り越えたときの喜びを味わうこともできる。ミス、失敗、不幸、災難といったマイナスの経験を、なるべく早いうちにしておいたほうが、長い人生にとっては有益である。年をとってからの災難は、悲惨で、いい結果になることがすくない。”

    “自分の力に見合うかどうかにかまわず、自分が希望するところに挑戦するのだ。落ちるかもしれない。落ちたら、また挑戦…をくりかえしていくうちに、失敗を恐れない度胸がついていく。負けることにもめげない精神力がつちかわれる。その後の人生で、さまざまなトラブルがおこったときにも、それによって平然と乗り越えていくことができるようになる。”

  • たくさん知識を詰め込み「教養」を身につけると実行力が伴わなくなる・・など。発想の面白さはある。
    後半は著者の経験談。

  • すらすら読めて、随所で素直にうなずいた。
    死語になったという「総領の甚六」。そうかとあらためて・・・。

  • ■自分の頭で考える力
    知識を捨てて考える力を養う。考えた結果の答えはいくつもあってよい。

    ■頭を整理する力
    忘れることの重要性、スポーツの効用、散歩

    ■直感的思考力
    マイナス経験、堂々と負ける

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著者プロフィール

外山 滋比古(とやま・しげひこ):1923年、愛知県生まれ。英文学者、文学博士、評論家、エッセイスト。東京文理科大学卒業。「英語青年」編集長を経て、東京教育大学助教授、お茶の水女子大学教授、昭和女子大学教授などを歴任。専門の英文学をはじめ、日本語、教育、意味論などに関する評論を多数執筆している。2020年7月逝去。30年以上にわたり学生、ビジネスマンなど多くの読者の支持を得る『思考の整理学』をはじめ、『忘却の整理学』『知的創造のヒント』(以上、筑摩書房)、『乱読のセレンディピティ』(扶桑社)など著作は多数。

「2024年 『新版 「読み」の整理学』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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