革命前後(上巻) 火野葦平戦争文学選第6巻

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  • 社会批評社
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  • Amazon.co.jp ・本 (291ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784907127060

作品紹介・あらすじ

「遺書」となった火野葦平「戦争文学」最後の大作、原稿用紙一千枚がいま、甦る!  敗戦前後の兵隊と民衆の実相……そして、戦争責任に苦悩する自らの 姿を描く。 著者は本書の初版発売、1週間前に自死……全編が文字通りの遺書となった。
NHKスペシャル「従軍作家たちの戦争」他で繰り返し報道され、反響は今も拡がる。

感想・レビュー・書評

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  • この本の帯にも書かれているが、なるほど火野のこの原稿用紙1千枚(400字)に及ぶ大作は、全編が火野自身の遺書だ。

    火野は「土と兵隊 麦と兵隊」などの「兵隊三部作」によって、戦中、一躍ベストセラー作家になり、当時の国民から「兵隊作家」と
    呼ばれていた。

    火野の、このもっとも読まれた「土と兵隊 麦と兵隊」などの記録は、自ら従軍した中国戦線の戦場風景を体験的に描いたものである。
    ここには、兵隊目線から描かれた「戦争」の実相が、リアルにとらえられている。そこには、華々しい戦闘でもなければ、英雄が活躍す
    るような場面もない。ただだ、泥濘の中を行軍し、ときたま戦闘し、中国民衆と苦難をともにする兵隊たちの姿だ。
    だが、同時にその兵隊目線の風景の中に、捕虜を虐殺する日本軍の残虐な姿も描かれている。当時の検閲下で、よくこんな実相が
    発表できたものだと思う。

    しかし、火野のこの記録の中では、この戦争が「大東亜共栄圏」建設のための「正義の戦争」であるという、戦争賛美も多々描かれている。
    一方で日本軍による捕虜虐殺を非難し、他方でこの戦争が「共栄圏」建設のための戦争であるとするー火野自身のこの自己矛盾、これは
    この「革命前後」の全編を貫く叙述においても、解決されていない。おそらく、このアジア・太平洋戦争の性格・目的について、火野は最後
    まで捉えきれず、判断を引き裂かれたのではないかと、思う。

    この矛盾の中で、火野は己の戦争責任に苦悩したのだ。本書の全編を通じて描れているのはこのような問題だ。そこには多くの「従軍作家
    たちが放棄した、思考停止した「戦争」の問題が横たわっている。火野自身は、最後までこの「戦争」の問題と苦闘したのである。

    この本のタイトル「革命前後」は、1945年7月から翌年のあたりまでの、敗戦前後の日本、特に九州のそれを扱っている。そこには、従軍
    記者たちの取材した、ヒロシマ・ナガサキの被爆直後の生々しい記録、北九州空爆の被災、敗戦前後の本土決戦を構える日本軍の、とりわけ
    オリンピック作戦を準備する西部軍(九州全軍)の状況もまた描かれている。

    筆者がとくに記憶に残るのは、復員する兵隊たちへの、国民の冷たい視線である。火野はあとに「悲しき兵隊」(本書にも出てくる)という短編の中でこの状況を描く。日の丸の旗を振り、バンザイで送り出した兵隊たちは、敗戦とともに「石もておわれる」状況になってしまった。これは、国民
    自身が自らの戦争責任(加害責任)を放棄して、その責任を兵隊たちに押しつけたことの結果である。天皇・軍部の戦争責任を問いただすこと
    なく占領軍に押しつけた結果でもある。

    火野は、本書の初版発行の1週間前に、自死したという。この本には、その遺書全文が掲載されている。この火野の意思(苦悩)をどのように引
    きうけるかーこれが私たちの「戦後責任」でもある。今日のきな臭い状況の中で、考えさせられる本である。

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著者プロフィール

1907年1月、福岡県若松市生まれ。本名、玉井勝則。
早稲田大学文学部英文科中退。
1937年9月、陸軍伍長として召集される。
1938年『糞尿譚』で第6回芥川賞受賞。このため中支派遣軍報道部に転属となり、以後、アジア・太平洋各地の戦線に従軍。
1960年1月23日、死去(自死)

「2016年 『青春の岐路 火野葦平戦争文学選 別巻』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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