京都の渡来文化と朝鮮通信使

著者 :
  • 阿吽社
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  • Amazon.co.jp ・本 (248ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784907244378

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    ── 仲尾 宏《京都の渡来文化と朝鮮通信使 20190601 阿吽社》
    http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4907244371
     
     Nakao, Hirosi 日朝・日韓史 1936‥‥ 京都 /京都造形芸術大学客員教授
     
    ── 西口 克己《祇園祭 1961‥‥ 中央公論社 1966‥‥ 弘文堂》
    http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/B000JA9F3Y
     
    ── 《祇園祭 1965‥‥ 1966‥‥ NHK 話題のロータリー》Awa Library
    ── 《祇園祭 19681123 松竹》中村 錦之助・プロ(いそやん 酷評)
    ── 石子 順《映画366日館 19850330 現代教養文庫》P216 d0717
    http://d.hatena.ne.jp/adlib/19850330
     
    【歴史】「京都らしさ」の虚像と実像、祇園祭も平安京も渡来系。
    https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1563980356/-100
    1樽悶 ★2019/07/24(水) 23:59:16.27ID:n+DNrLO99>>12>>49 ※省略
     
    …… 祇園祭こそ“純粋の京都文化”、との思い込みや思い入れが広範
    に拡散していますが、果たしてそのようなことが言えるのか、そもそも
    純粋型の京都文化などというものがありうるのか、等々の疑問を解く刺
    激的な書物がこの6月に刊行されました。(後略)
     
     仲尾さんは著書のまえがきの中で、祇園祭を初めて見た他府県の若い
    女性の「山鉾(やまほこ)のタペストリーに西洋のデザインが使われて
    いるなんて、全然京都らしくない」という言葉を紹介しています。なる
    ほど、“はんなり”とか“わび・さび”などの概念に京都文化を象徴さ
    せたがる通俗的な美意識からすると、「動く美術館」と称される鉾や山
    の四面を飾る前掛、胴掛、見送り、水引は、むしろ“ド派手”で“バター”
    臭く“ケバい”ものに見えましょう。仲尾さんによれば、この豪華絢爛
    は鉾や山の主題およびタペストリーの生産地を反映しているとのこと。
    実際、34基の山鉾の約3分の1が中国の伝承・説話を受けており、ま
    たタペストリー・飾り物も中国製が18基、中近東製7基、ヨーロッパ
    製が4基、朝鮮等製が7基と非常に国際色豊か、その意味でも仲尾さん
    は祇園祭を「インターナショナルな祝祭」と定義づけます。
     
     八坂神社の社伝によると、626年、高麗(こうらい)からの渡日使
    節・伊利之(いりし)が新羅(しらぎ)の牛頭(ごず)山に降りた素盞
    鳴尊(すさのおのみこと)を八坂の地に祀ったのが創祀とされ、後に
    神仏混交思想の下で素盞鳴尊はインド・祇園精舎の守護神である牛頭天王
    と一体視されたようです。伊利之の子孫、つまり渡来系の人々が「八坂造
    (やさかのみやつこ)」としてこの地に集住したとも考えられます。
    仲尾さんは「このように八坂のカミは古代に朝鮮半島から渡来してきた
    人々のカミでした。面白いのは、後白河院が編纂『梁塵秘抄』に<祇園
    精舎の後には、よもゝ知られぬ杉立てり(略)神の標(しるし)とみせん
    とて>とあるように、八坂のカミもこの国古来のシャーマニズム的なも
    のであったこと、さらに一旦は朝鮮半島の新羅に降りた素盞鳴尊とインド
    の牛頭天王とが結びつけられていることです。実に、カミに国籍はなく、
    八坂のカミも日本、朝鮮、インドをつなぐインターナショナルなものと
    観念されていたはずです」と。
     
     □ □
     
     祇園祭は、昔、祇園御霊会と呼ばれ、貞観11年(0869)に疫病が流行
    した時に、八坂のカミを祀って悪疫退散を祈祷したところから始まりま
    したが、現在の山鉾に八坂信仰と結びつく伝承はなく、疫病退散をテーマ
    とするものもありません。八坂信仰と祇園祭との分離について、仲尾
    さんは「中世以降、衛生思想の一定の普及などで以前ほどの御霊信仰が
    保たれなくなったこと、室町期には現世享楽思想にあふれた法華宗が盛
    んになり、その宗徒と富裕な町衆が中心になって祇園祭を楽しんだこと」
    を理由にあげ、「彼らにとってはカミもホトケもなく自分たちの存在
    自体を祝う。祇園さんはその祝日を仮託するものにすぎなくなった」と。
     
     仲尾さんの著書は、古代から近世にいたるこの国、とりわけ京都の文
    化が朝鮮半島や中国大陸など東アジアの文明や文化と濃密に結合してい
    ること、そして、それらの地域から渡来してきた人々やその縁に連なる
    人々に大幅に負っていることを詳細に明らかにした労作です。ここでは、
    もう一つ、千年の都とか1300年の古都といわれる京都の始まり、す
    なわち平安京建都の話題を取り上げます。平安京はまさに“渡来人によ
    る都”でありました。
     
     ※省略
     
     桓武が長岡京、そして平安京を目指したのは、桓武の母・高野 新笠
    (たかののにいがさ)が山背国乙訓郡に生まれた百済王家につながる存
    在だったからでしょう。また、山背国にはそれ以前から新羅系の渡来人
    ・秦(はた)氏や高句麗(こうくり)系の狛(こま)(高麗)氏など有
    力豪族が存在し、そうした渡来系の人々が桓武政権を支えたはずです。
     
     仲尾さんは、「特に秦氏の財力は織物や灌漑(かんがい)技術を中心
    に農耕技術に支えられた膨大なもので、桓武はこれらによって政権基盤
    を安定させました。また、桓武が行なった人事を見ても、ほとんど“依
    怙贔屓(えこひいき)”とみえるほどに渡来系の人々を重視しました。
    たとえば、文官では百済(くだら)系渡来人の菅野真道(すがのまみち)
    が『続日本紀(しょくにほんぎ)』を編纂して従三位に昇進しましたし、
    武官では征夷大将軍にまで上り詰めた坂上 田村麻呂(さかのうえのた
    むらまろ)も渡来系の人物です」と。つまり、平安京をつくった人々の
    大半は、朝鮮半島から渡来した有力者だったことになります。
    (続きはソース)毎日新聞 20190720
    https://mainichi.jp/articles/20190720/ddl/k26/070/372000c?inb=ra
     
    ♀高野 新笠 0720‥‥-07900121 59 /養老 4.-延暦 8.1228
     桓武 天皇 0737‥‥-08060409 69 /天平 9.-延暦25.0317
    (在位)50 [07810430-08060409 24 /天応 1.0403-]
    https://twilog.org/awalibrary/search?word=%E6%96%B0%E7%AC%A0&ao=a
     
    (20190725)
     

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著者プロフィール

1936年生まれ。同志社大学法学部政治学科卒業。京都造形大学客員教授。日朝・日韓関係史専攻。
著書:『朝鮮通信使と徳川幕府』、『朝鮮通信使と壬辰倭乱』、『朝鮮通信使をよみなおす――「鎖国史観」を越えて』、『朝鮮通信使の足跡――日朝関係史論』以上、明石書店。『朝鮮通信使――江戸日本の誠信外交』(岩波新書)、『大系 朝鮮通信使』(全8巻、辛基秀との共編、明石書店)ほか、多数。
京都国際交流賞、京都新聞学術文化賞受賞。

「2017年 『ユネスコ世界記憶遺産と朝鮮通信使』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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