朝、目覚めると、戦争が始まっていました

制作 : 方丈社編集部  武田 砂鉄 
  • 方丈社
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  • Amazon.co.jp ・本 (160ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784908925344

作品紹介・あらすじ

昭和16年12月8日、太平洋戦争勃発。あの日、日本人は戦争をどう感じ、何を考えたのか? 当日の知識人・著名人の日記、回想録から偽らざる戦争の実感を甦らせる。解説:武田砂鉄。特別収録:太宰治短編小説『12月8日』。

感想・レビュー・書評

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  • 昭和16年12月8日。
    この日、日本は戦争を始めた訳だけれど、そんな日に当時の知識人、著名人らがどんなことを思ったり感じたりしたのか、当時の日記や回想録から記事を集めたもの。
    現代だと、Twitterのまとめサイト的なものになるのだろうか。

    全部で54人(下は当時17歳の吉本隆明から上は78歳の徳富蘇峰まで)、プラス当時のラジオニュース(大本営陸海軍部発表、というやつで、開戦から日本の目覚ましい戦いの模様を伝えている)の内容が8本、それに太宰治の掌編が1本。

    誰がどんな内容のことを書き残しているかは置いといて、殆どの人がこの開戦を「感動をもって出迎えて」いる。
    ここには昭和16年12月8日に至るまでの経緯が記されていないが、近代史の本やネット、テレビなどで断片的に得た情報をまとめてみれば、さもありなん、という感じもしなくもない。
    それでも「今日みたいうれしい日はまたとない」「ばんざあいと大声で叫びながら駆け出したいような衝動」「無限の感動に打たれるのみ」といった記述をみると、やはり奇異な印象を受ける。
    もちろん、何名かはこの戦争に対して否定的な内容を書き残しているけれど、少数派と言うのも躊躇してしまう人数なのだ。
    軍部や政治家ならともかく、当時の日本の市井の人々までが、こうも「戦争」を待ち望んでおり、いざ開戦すると「感動に涙する」人々がこれほどにも多かったのか、という事実に驚く。

    でも……自分自身のことを顧みると、僕はこの人たちのことを悪く言ったり、笑ったり、「先見の明がないな」と批判したりすることは出来ない。
    この戦争に至るまでの経緯や、戦時中の様子、敗戦、敗戦後の今、それらを既に知っているから奇異に感じるだけなのだ。
    僕のような短絡的で思慮が浅く、おっちょこちょいな人間は、当時の日本に漂っていた拭い去れない雰囲気の中では、きっと「お国のためだ!」と意気に感じ、「天皇陛下万歳!」と叫びながら命を投げ出していたと思う。
    そんなことを徒然と考えてしまうような読書体験だった。
    本書は1時間もあれば読み終えてしまえるくらいの分量ではあるけれど、内容はそれ以上のものを含んでいると思う。

    ああ、それともう一つ。
    「開戦」当日の人々の暮らしって、意外と「普通」だったんだなぁと思った。
    これから先、どんなに凄惨な状況が待っているのかを知っている身としては、とてつもなく悲しくなってしまう。

  • 太平洋前夜、開戦の報を聞いた著名人たちが書き記した当時の心情を列挙しただけの本です。主観を排して色々な人々の色々な文章を載せています。
    当たり前ですが、開戦を意気揚々と受け入れ、あまつさえ泣いて感動する人(むしろ喜んでいる人の方が多い)、戦争に否定的な意見。2つに分かれています。
    特高警察が絶大な力を持っている時代ですから、文面通りに受け取るのは早計というものでありましょう。致し方なく戦意高揚のための文章を記した人もいる事だと思います。
    この文集で重要なのは誰が何を言ったのかという事ではなく、戦争なんて普通に寝て起きたら勝手に国が決めて、知らないうちに全員突撃という風になってしまうんだという事です。この中に書いている人達の殆どは緊張感なんてありません。
    今のご時世も不穏ではありつつも、大丈夫だろうという意識をみんなが持っていると思います。でもある朝「戦争開始」というテロップが流れてもおかしくないのです。特に投票率が異常に低い昨今、意識的に戦争と政治という事を繋げて考えないととんでもない事になると思っています。

  • 太平洋戦争開戦日の日記などをまとめたものに当日のラジオニュースの書き起こしを付けたもの。年齢の若い順。
    だいたいの人は意気揚揚としている(がフツーに灯火管制されてることに少し驚いたが、日中戦争は先に始まって続いてるから当然か)。まさに時代の変わり目を経験したのだ、との喜びも感じられる。
    意外に感じたのは、一部の軍上層部の話。山本五十六は「一年目はどうにか保つが二年目からの勝算はない」(概略)などと近衛文麿に語ったようだ。勢力をちゃんと認識している。やはり馬鹿ではない。が「大命降れば従う、緒戦大勝利を挙げた後に政府外交手腕で」なんとかしてほしい、とか言ったようで、そこは資源を持つ米国に対しての戦略としては甘いんじゃなかろうか五十六。

    一人ひとりの文は短いし文字サイズも大きいので、あっという間に読める。ただし旧字旧仮名遣いで文体も現在と異なるものが多いため、スラスラ読めないところもあり、少しは調べなきゃいかん。ただ、大事を起こしたときの世間の風潮がどうであったか、ということは知れる。厭戦な人は少ない(まあ当時の記事になったものは自己検閲してるかもしれんけど)。万人が一読すべし。

  • 多くの人が、この戦争に明るい未来を感じていたことを意外と思うとともに、この時代を描いた小説やらマンガやらの様々な作品が、敗戦というその後の事実を知っているからこそ、「暗い未来への一歩」的に書かれるのだと思った。
    「戦争は愚かなこと」と言える今の日本が平和で幸せなんだと感じた。

  • 2018.12.02 読了

    <引用>
    ラジオニュース(午前七時)
    臨時ニュースを申し上げます、臨時ニュースを申し上げます、臨時ニュースを申し上げます。
    大本営陸海軍部十二月八日午前六時発表、帝国陸海軍は本八日未明西太平洋に於いてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり。
    大本営陸海軍部十二月八日午前六時発表、帝国陸海軍は本八日未明西太平洋に於いてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり。
    なお今後重要な放送があるかも知れませんから聴衆者の皆様にはどうかラジオのスイッチをお切りにならないようお願いします。

    <戦争肯定派>
    「ものすごく解放感がありました。」吉本隆明
    「うれしいというか何というかとにかく胸の清々しい気持だ。」黒田三郎
    「ばんざあいと大聲で言い、叫びながら駈け出したいやうな衝動も受けた。」新美南吉
    「神州不滅の原理を感銘し、感動し、遂に慟哭したのである。」保田與重郎
    「爽やかな気持ちであった。これで安心と誰もが思ひ・・」竹内好
    「私はラヂオの前で涙ぐんで、しばらく動くことができなかつた」火野葦平
    「維新以来我ら祖先の抱いた無念の思いを、一挙にして晴すべきときが来たのである」亀井勝一郎
    「東条首相の謹話があった。涙が流れた。」坂口安吾
    「いよいよ始まりましたねと言いたくてむずむずするが・・・」伊藤整
    「苛々してゐた心も、すつきりと澄んで、妙に楽天的に落ち着いてゐた」阿部六郎
    「総身がふるへるような厳粛な感動のなかに、なんともいへぬ明るさ」島木健作
    「輝かしい光が突き透った感じだった」今日出海
    「ラヂオでニュースをききながら、みんな万歳を叫んだ。」井伏鱒二
    「戦はつひに始まった。そして大勝した。」横光利一
    「宣戦の大詔が奉読された。その時、涙がこぼれた」獅子文六
    「興奮もし喜びも感じ、始め数日は勉強も出来ない程であったが」河合栄治郎
    「宣戦布告の御勅語を拝す。無限の感動に打たれるのみ。」青野季吉
    「この日何かをつくり何かをのこしたい」室生犀星
    「生きて居るうちにまだこんな嬉しい、こんな痛快な、こんなめでたい目に遭へるとは思わなかつた」長與善郎
    「宣戦のみことのりの降ったをりの感激」折口信夫
    「宣戦布告のみことのりを頭の中で繰りかえした。頭の中が透きとおるような気がした。」高村光太郎
    「老生の紅血躍動!」斎藤茂吉
    「戦争か平和かの危機に立つてゐたものだけに、その感動も亦一入であった。」徳田秋声
    「老の身も若やぐ心地して心神爽快」鶯亭金升
    「大詔を拝して、恐懼感激に堪へぬ。」徳富蘇峰

    <戦争否定派>
    「もう入隊はきまっている。ああ、オレは間違いなく死ぬんだ。」岡本太郎
    「もっと強くこの戦争に反対することができていたならと、胸は痛んだ」神山茂夫
    「不覚にも慎みを忘れ、「ばかやろう!」と大声でラジオにどなった」金子光晴
    「けさ開戦の知らせを聞いた時に、僕は自分達の責任を感じた」清沢洌
    「三国同盟の締結は、僕一生の不覚だったことを、今更ながら痛感する。」松岡洋右
    「私の頭脳に深刻な感銘をとどめている」「陰惨な感じに襲われた。」正宗白鳥

    <太宰治>
    「じっと聞いているうちに、私の人間は変わってしまった。強い光線を受けて、からだが透明になるような感じ。あるいは、聖霊の息吹きを受けて、つめたい花びらをいちまい胸の中に宿したような気持ち。日本も、けさから、ちがう日本になったのだ。」

    <あとがき>
    「私たちは歴史を学ぶ時、まず、その結果を教わる。戦争ならば、いつまで戦って、どこが勝って、誰が殺されて、どことどこが仲たがいしたままになってしまったのか、を知る。(中略)だが、あらゆる事象は、始まらなければ起きるはずがない。なぜ起きたのか。開戦を知った人たちの多くは、これで閉塞感が打破されるのではないかと、内心に希望を含ませていた。勝つ・負けるというより、よし、これで変わる、という期待感を持っていた。」武田砂鉄

  • 何かに似ていると思ったら、twitterのまとめだ。開戦当日の著名人のつぶやきがまとめられている感じ。初めてtwitterを見たとき「うわ、こんな個人の生々しい言葉がたくさん並んでいいのかな」と思った。それと同じように、小さいけれど正直な言葉が並んで生々しさが迫ってくる。

    買ったきっかけはネット上の書評で、構成がしきりに褒められていたのは納得する。朝7時の有名な「臨時ニュースを申し上げます」の言葉から始まり、著名人のその日の記述が並んだあと、またラジオニュースの原稿が挟み込まれる。1日でこんなに次々と戦果が報じられているなんて知らなかった。当時17歳の吉本隆明を筆頭に年齢順に並んでいて、どの年代でも清々しい気持ちや閉塞打破の期待が滲んでいる。

    この日だけで考えれば、ガンガン戦果を上げているし、同様の勢いで数カ月攻め続けたら米英は折れるんじゃないかと思うだろう。結果を知っているからこの明るさに愕然とするけれど、今すでに自分たちも実は変な明るさに囚われているかもしれない。怖いなと思う。

  • 2019.08―読了

  • 昭和16年12月8日の開戦の日に書かれた日記を通して、当時の知識人や著名人が何を考え思ったのかを知ることが出来る。
    意外だったのは、清々しいとか嬉しいとか、晴れやかな気持ちになった人が多かったことだ。日米開戦前までの日米交渉が相当の行き詰まり感があったせいかもしれないが、それでも、この開戦に憂慮や反対を書いたのは数名しかいなかった。
    他国ではあるけど令和4年2月24日、ロシアによるウクライナ侵攻が起こり、その日を我々も体験した。

  • たまたま書店で手に取ってしまい即購入した作品。今と違ってインターネットもなく報道手段も限られているあの時代、何か不穏な予感はあったのだろうけど知らないうちに戦争が始まっていたその日についての作家、文化人、知識人による記述を集めたもの。開戦当日はラジオで何度か開戦の報道があったようでその都度に書かれたコメントをほぼ見開き一ページにまとめてある。もちろんいろんな人の意見であるので開戦の報に際して感動した、スッキリした、という人もいれば何故これを止められなかったのか、という人もいたりと賛否両論あるわけで本作の素晴らしいところはそれらを敢えて論評せずに淡々と載せていっているところ。後知恵というか結果を知った上で後世の我々が安易に批判をするのは簡単であるけれど本作品はそこが目的ではなく、言わば「なんとなくよく分かってないうちにとてつもなく重大な事態に直面していた」という状況を描きだすところにあったのでは、と思ったりした。その意味では一見平和に見える今だからこそむしろ考察のために読まれるべきものではないか、という気がした。非常に興味深い作品。

  • ふむ

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著者プロフィール

方丈社編集部・編

荻原魚雷・解説
荻原魚雷(おぎはら・ぎょらい)1969年三重県生まれ。エッセイスト。
古書に関する作品が多く、おもな著書に「古本暮らし」(晶文社)、「本と怠け者」(筑摩書房)、「閑な読書人」(晶文社)、「日常学事始」「古書古書話」(ともに本の雑誌社)。
編著には「吉行淳之介エッセイ・コレクション 1 (紳士)」(吉行淳之介著)シリーズ他。

「2020年 『文豪の借金ー泣きつく・途方に暮れる・開きなおる・踏みたおす・貸す』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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