- Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
- / ISBN・EAN: 9784909753151
作品紹介・あらすじ
フォトジャーナリスト安田菜津紀がつづる、自身のルーツをめぐる物語。
父は在日コリアン2世だった。
父の死後に知ったその事実に、著者のアイデンティティは大きく揺れ動く。
自分はいったい何人なのだろう。父はなぜ語らなかったのだろう――。
朝鮮半島からやってきた祖父母も、その子どもである父も、歳の離れた兄も、もうこの世にはいない。手がかりがほとんどないなかで、祈るような気持ちで資料を取り寄せ、わずかな痕跡をたどってかれらがかつて住んでいた地を歩き、交流のあった人の話に耳を傾ける。
その旅でしだいに見えてきた家族の在りし日の姿を胸に抱きながら、目の前の現実を取材する日々。現在と過去を往還するなかで、ときに気分が沈みそうになっても、多くの人との出会いにより、著者は自らの向かうべき道を見出していく……。
貧困、災害、難民、ヘイトクライムなどの取材を通して、人々の声を伝え続けてきた著者が、自らのルーツに向き合い、大きな気づきを得て、あらためて社会のありかたを問いかける渾身の作。
感想・レビュー・書評
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語られなかったルーツを探し求める過程と、その周辺の社会問題と地続きの歴史を辿る本。語られなかった、語れなかった理由の切実さが胸を打つ。
印象的だったのは、幼い著者が父親に連れられて投票しに行く光景だ。政治なんて興味ない=自分に害はないと安心している者がないがしろにしている投票権を、どれほど切望していたのかと思うと、苦労なく「当たり前」を保有している私たちの怠慢や傲慢さを痛感する。
また、登場する「ちゃんへん.さん」の国籍選択のエピソードは、読んでて胸が詰まった。突きつけられる歴史とイデオロギーや立場の弱さが、あまりにもつらく、重たい。
あとがきのようなページに、
『この社会に存在する国籍や出自、ルーツや文化の「違い」は、「なくすもの」でも「乗り越える」ためのものでもない。
だからこそ「皆、地球人」という、フラットに均してしまう語りにも違和感がある。
違いが違いとして、ただそこに自然と存在することができる社会が、生き心地のいい場所なのだと、私は思う。』
という文章に、はっとさせられた。
「みんな地球人」という一見平和的なフレーズに感じていた何とも言えない違和感の理由が、違いを無視する安易な目線が嫌だったのだと気付く。
「表現の自由」=自由に人を傷つける言動を垂れ流すことの許容、とされている現状。
そんな潮流に抗う著者を突き動かす原動力は、愛する者が生きられたはずの社会になるために、という願いだ。著者の人生に影響を及ぼした喪失体験について、
『「その経験のお陰で」とは絶対に言いたくない。それは(中略)背後にある社会の問題を、覆い隠すこと』
という、愛する者たちの存在が安直な言葉によって軽率に回収されまいとする姿勢の強さが伝わる。
いち読者として思ったのは…私たちは、弱さを知ることや、問題を考えることをやめてはいけないのだ。苦しみを知ることをやめて、難しいことを考えることをやめて、乱暴に単純化し二元論を振りかざす差別やヘイトに抗うために。 -
ー感謝を込めて に
この社会に存在する国籍や出自、ルーツや文化の「違い」は「なくすもの」でも「乗り越える」ためのものでもない。
だからこそ「皆、地球人」という、フラットに均してしまう語りにも違和感がある。違いが違いとして、ただそこに自然と存在することができる社会が、生き心地のいい場所なのだと、私は思う。
と筆者の安田菜津紀さんが綴っておられる
まったく、同感である。
この国では、
何も考えずぼんやりしていると
いつの間にか「みんな」の中に組み込まれてしまい
いつのまにやら加害者側に立たされてしまう危惧が
おおいにある。
安田菜津紀さんの「写真」と「文章」は
いつも その辺りのことを
興味深く じっくり考えさせてくれる。 -
安田菜津紀さんは、ポッドキャストでお話をきいたり、他の人の書いた本の中で見つけたり、とにかく注目している人だ。まことに人間らしさにあふれている。
彼女が自らのルーツを巡る本書にも共感いっぱい。
私もヘイトなど許されるはずがないと強く思っている。
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石原慎太郎ってクソだな。維新も。小池百合子も。
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東2法経図・6F開架:316.8A/Y62k//K
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安田菜津紀さんの活動に日頃から注目して、記事やコラムもわりと読んでいるので、なんとなく既に知っていることも多かった。
おばあさまの方のルーツが、女性だからはっきりしなかったことで改めて取り組むべき課題を確認されたようだ。いろいろな国内外の不条理な出来事を取材され、写真でも文章でもわかりやすく伝えてくださる安田さんをありがたく思い、応援していきたい。 -
316.8