調査されるという迷惑: フィ-ルドに出る前に読んでおく本

  • みずのわ出版
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感想 : 32
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  • Amazon.co.jp ・本 (118ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784944173549

感想・レビュー・書評

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  • 宮本常一先生の文章は名文だと思った。
    内容云々置いておいてこの文を美しいと思うなら、信憑性はこの文の価値の全てではないんだなと思うし、
    宮本常一の本を読んで受ける印象がじんとくるものであれば、
    それでいいのかもと思った。

    ただ、内容については、学者って嫌だなと思ってみたり。

  • 登録番号:0142080、請求記号:389/Mi77

  • 第29回アワヒニビブリオバトル「衣・食・住」で紹介された本です。
    2017.09.05

  • 記者としても参考になるかと思い読んだ。
    やはり「他の誰かの話を飯の種にしている」という後ろめたさを片時も忘れず、取材相手に敬愛の念を持ち続けるしかないのではと思う。

  • ミッドサマー(映画)を観て、フィールドワークについて少し勉強した方が良いと思って読んだ。
    もう少しハウツー的な内容かと思ったら、本当に迷惑した人の談話がたくさん書いてあった。
    そもそも「調べられる」という出来事があるだけで地元には影響を与えてしまうわけなので、民俗学というのは因果な学問なのだなと。
    あと借りた資料を返さないのは絶対だめだと思う。

  • 宮本常一のエッセイ「調査被害―される側のさまざまな迷惑」を核に、フィールドワークにおける調査被害についての本。一口に調査被害といってもその実態は多様で、調査する側の高圧的だったり、自説への強引な誘導といったものから、資料の借りパクやあからさまな窃盗、さらには調査が好評されることによる風評被害や、コミュニティ間の軋轢の原因となったりもする。
    明らかな犯罪や調査者の人間性に由来するものは論外いしても、難しいのは正当な研究成果そのものが調査対象の不利益につながる場合もあるということで(本の中でもある集落の特性が被差別部落につながるものであることが判り結果公表できなかったケースが紹介されている)、公と私のモラルの線引が問われるところだろう。

  • 【琉球大学附属図書館OPACリンク】
    https://opac.lib.u-ryukyu.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BA85410285

  • 人文科学において「フィールド」と言われると,民俗学や人類学が思い浮かぶかもしれない。

    実際,宮本常一は民俗学者であるし,安渓遊地も人類学者・地域研究者であり,その調査経験にもとづく調査地被害について報告している。

    調査地被害とは「調査される側に生じている様々な迷惑・被害の総称」である。たとえば,現地の民族調査というので資料を借しだしたらそのまま返却されなかったとか,調査者が横柄な態度で振る舞うとか,調査に協力したけれど結果の報告がなく何のために協力したのはわからないままであるとか...その例は多数ある。すなわち,「調査」という大義名分(?)のもとで起こる調査される側にとっての迷惑・被害である。もちろん加害者は調査者である。

    調査地被害をこのように定義すると,話は民俗学や人類学だけのことではないことがわかる。「調査」と名のつくもの(ジャーナリズムも含めて)はすべて調査地被害の潜在的加害者でありうる。本書はその事実を端的に突きつけてくる。

    「調査結果を協力者に適切に報告できていたであろうか?」
    「協力者にとって何の意味がある調査だったのだろうか?」
    「協力者にとってというよりも,調査者自身のためのものになっていないだろうか?」


    「調査というものは地元のためにはならないで,かえって中央の力を少しずつ強めていく作用をしている場合が多く,しかも地元民の人のよさを利用して略奪するものが意外なほど多い」(p.34)と宮本は指摘する。はたして自分の調査はそうなっていなかっただろうか。

    心理学をしていると「介入」という話がよくでてくる。しかし,「介入」でさえ協力者のためになっていない可能性だってある。「自立」を支援するために介入したことによって,かえって「自立」できなくなることだってある。「介入」すればそれが即座に調査結果の還元になるわけではないし,協力者のためになるわけでもない。(そういう意味で,松井豊『惨事ストレスとは何か』は介入の在り方を考えさせてくれる良書である)

    大学で心理学を教えていると,研究法や調査法を教える。もちろん,研究にまつわる倫理的問題として「調査が迷惑であること」も伝える。しかし,「研究法や調査法を教える」ということは,「調査することを進める/勧める」ことと表裏一体であり,はたして本当に「調査が迷惑であること」を伝えきれているのだろうか。伝えるべきは「調査しないこと」あるいは「調査しない調査法/研究法」であるのかもしれない。

    本書を読んでわたしは調査するのが恐くなった。あいにくの事情で今後の調査の予定は白紙状態であるが,その事情がなくなったとして,はたして本当に調査してもいいのだろうか。調査できるのだろうか。

    少なくともしばらくは「調査」なんてできない。

  • フィールドワークに携わる者は必ず1度読んで欲しい1冊

    過去の自分を少し反省…

  • 正直、読んで、フィールドワークしたくなくなった。宮本常一は、弟子の同じ疑問に「仲間になればいいんだよ」と答えたそうだが、そうそう仲間になれるものだろうか。著者のアンケイさんは、誠実で、変わった人のようだが、ここまで現地にコミットしなければならないのだとしたら、気が重い。また、本文中に触れられてはいるが、現地の人々が一枚岩でなく、利害対立する集団に分かれていること、それぞれの集団と同じようにつきあえないことは、本の中でじゅうぶん意識されていないように見える。つまり、著者の手前味噌的な記述は避けられないものなのかもしれない。

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著者プロフィール

1907年(明治40)~1981年(昭和56)。山口県周防大島に生まれる。柳田國男の「旅と伝説」を手にしたことがきっかけとなり、柳田國男、澁澤敬三という生涯の師に出会い、民俗学者への道を歩み始める。1939年(昭和14)、澁澤の主宰するアチック・ミューゼアムの所員となり、五七歳で武蔵野美術大学に奉職するまで、在野の民俗学者として日本の津々浦々を歩き、離島や地方の農山漁村の生活を記録に残すと共に村々の生活向上に尽力した。1953年(昭和28)、全国離島振興協議会結成とともに無給事務局長に就任して以降、1981年1月に73歳で没するまで、全国の離島振興運動の指導者として運動の先頭に立ちつづけた。また、1966年(昭和41)に日本観光文化研究所を設立、後進の育成にも努めた。「忘れられた日本人」(岩波文庫)、「宮本常一著作集」(未來社)、「宮本常一離島論集」(みずのわ出版)他、多数の著作を遺した。宮本の遺品、著作・蔵書、写真類は遺族から山口県東和町(現周防大島町)に寄贈され、宮本常一記念館(周防大島文化交流センター)が所蔵している。

「2022年 『ふるさとを憶う 宮本常一ふるさと選書』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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