エル・スール [DVD]

監督 : ビクトル・エリセ 
出演 : オメロ・アントヌッティ  ソンソレス・アラングーレン  イシアル・ボリャン  オーロール・クレマン  ロラ・コルドナ 
  • 東北新社
3.96
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感想 : 38
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  • Amazon.co.jp ・映画
  • / ISBN・EAN: 4933364710086

感想・レビュー・書評

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  • evernoteの記録に拠れば、前回は2002年12月に見ているから、約19年前。
    それでもかなり憶えていた、んだか、DVDボックス購入時に再鑑賞していた、んだか。
    はっきり一番すごいなと思っていたのは、国境と名付けた(枯れ)並木道を8歳の少女が自転車で行き、帰ってくると15歳になっている、というシークエンス。
    今回気づいたのは、そのときに犬が戯れているのだが、その犬も年を重ねている、という細やかさ、念の入りよう。
    また「ミツバチのささやき」と連続して見ると、公民館ではなく本作では映画館という場所がはっきりとある、田舎とはいえまあ都市化が進んでいなくはないという感覚。
    (国も時代も異なるが、そのくだりではアルフォンソ・キュアロン「ROMA ローマ」を思い出したりもした。)

    エリセはこれで、アナ6歳、エストレーリャ8歳と15歳、さらにいえば本作の語り手は成人女性なので、かなり幅広く女性の視点や語りに寄り添ったことになる。
    宮崎駿がメイ、ポニョ、千尋、サツキ、ラナ、シータ、キキ、雫、サン、クラリス、ナウシカ、フィオ、ソフィー、菜穂子、とほぼ数歳刻みで映画作りの動機を少女の年齢に合わせていたのと似ている、と見做したい。

    と、回りくどく感想を書き始めたが、思い直して完結に書いてしまうと、大傑作。
    やはりエリセの映像は構図とカメラワークが美しい。
    さらにお話という水準に降りてみたら、謎とか嘘とか隠蔽とか緘黙とか、語られない何事かを暴くという構図があって、話の構図とカメラワークが連動している。
    この必然性が映画的緊張やサスペンスを生む。
    結果的に必然性が感じられることの美しさ。

    「ミツバチのささやき」ではアナは語り手にはならない……地の文を語りはしない。
    それに対し、本作では成人したエストレーリャが語るのだが、実はその語りから言うと逸脱ともミスともいえる映像がある。
    父アグスティンの眼にカメラが重なるのだ。
    神の視点の場合、目線が主人公を離れるのは問題ないが、語り手が設定されている場合、語り手が関与しない事柄にカメラが寄り添うのは大問題。
    エリセは敢えてそれをしている。
    もちろんエリセ夫人が出版するより早く映画化を手掛け、本来作るはずだった後半部が未完のままリリースされた映画、という事情はあれど、映像作家と同時に評論家であるエリセが不完全を許すはずはない、この形態が完成版と見做して発表に踏み切ったはずなのだ。
    私の判断では、娘の語りが父の視点を包含するもの、娘は想像的に父の視点に同化している、と見做したい。
    父の謎を埋めようとする営為こそがこの映画そのものであって、現実に根差しているかどうかはどうでもいいファミリー・ファンタジーなのだ、と。
    本来撮られるべきだった後半の解答編が存在しないことで、本作は残ることになったわけだ。

    父と娘をつなぐのは近親相姦的な……ではなく、孤独の連帯・共感、と思いたい。

    もう少し私自身に引き付けた感想を言えば、アグスティンがあまりにも幼児的で、こりゃ他人事ではないな、と。
    娘の初聖体拝領の日にわざわざ猟銃をぶっ放すという方法でしか、旧弊なカトリックや古い家庭への違和を表明できない。
    その寡黙な頑固さが、母や妻や娘に隠微な影響を及ぼす。
    また青春期を引きずり、悪いことに元カノが地元のスクリーン(メディア)に映ってしまうとか、それを娘に暴かれたと思いきやもう何年もバレっぱなしだったと判明したら、もう恥ずかしさと遣る瀬無さで世を儚んでもおかしくない……この弱さ(フラジリティ)、まるで他人事ではない。
    前後するが、娘の式典を、完全に無視するかといえば決してそうではなく、一応教会には来ているが席に連なりはしない、ただ柱の影に隠れて娘を見ている、が、娘から声をかけられればぬぼっと出てきて、帰らないでねと言われる。これ十年後の自分として容易に想像できる。

    自殺した肉親、という点では、中上健次を連想してもよさそう。
    20年前は「ミツバチのささやき」のほうが好きだな、と無駄に頑なに断定していたが、⇒エリセ、⇒スペイン、⇒田舎の家族、と連想の幅を広げることができるし、このネットワーク自体を触発するものとして作品を見做せるので、いい。どちらも断然いい。



    20210224追記。
    図書館本は登録しないので、こちらに備忘録として追記するが、原作本を読んでみた。
    エリセの奥様が執筆中だったアイデアを(というか本当に自伝的内容なので、執筆と同時に夫婦の自己開陳が行われたんだろう)、出版に先駆けてエリセが映画化。
    しかし後半は資金面などで映像化されず、とはいえそれが味になっている、という映画の、原作。
    つい映画のほうが正解だとか原作のほうが本当だとか考えてしまいがちだが、どちらも素晴らしいと自分に言い聞かせながら味わいたい。
    相違点は結構ある。

    ・映画ではエストレリャ、原作ではアドリアナ。
    ・私、父、母、お手伝い、意外にホセファという母の友人がいる。
    ・父は映画ではバイク、原作では自転車。
    ・マリニエベスという友達候補がいる。火あぶり、ウチワサボテン、と結果語り手の問題児ぶりが明らかになる相手として。
    ・父の想い人は女優ではない。
    ・初聖体拝領前の父空へ銃撃はない。儀式後の父娘ダンスはない。
    ・原作では「結婚や子供を持ったりするな。好きな時に死ねる自由をもつためだけでもだ」と父が呟くという、結構衝撃的な場面がある。
    ・父故郷から来るのは、祖母とお手伝いミラグロスではなく、デリア叔母さん。
    ・父娘の最期の会話はレストランではなく、荒れた庭の噴水池の前で。

    で、セビーリャで異母弟(父と想い人クロリア・バリェとの間の息子ミゲル)とのやりとり。父の思春期の一端に触れる。
    原作100ページのうち、映像化されたのは75ページくらい。あと25ページを映像にすれば、さらに30分くらい加わったのではないだろうか。
    叶えられない期待をしても意味はないが、原作をふまえて脳内でエリセの撮られなかった映像を想像すると、また深みが増す。
    また原作を読んだことで、エリセの映像化に際しての流儀というかこだわりや偏りのようなものも見えた。
    エリセはかなり視覚派・映像派の作家で、映画に熱中する人物を、作中に導入する。
    結果、映画体験の幸福さを映画内に持ち込んでいる、結構ゴダール的な作りをしているのだ。
    またベッドの下に隠れた娘に対して、杖で床をコツコツ、とか、初聖体拝領後のダンス音楽と父娘最後の会話を同じ音楽で彩る、とか、映像として効果的な演出を取り入れている。
    原作が、私からあなた(父)への手記というか手紙というか日記というか家に残していく文章であるのに対し、映画では曲がりなりにも誰かに対して自分と父のことを説明するというナレーションであることもまた、違いのひとつ。
    平凡な気づきかもしれないが、原作は文章に合った語りの形式を、映画では映像に適した語りの形式を採用している、と。
    図書館で借りて、ボリュームとしては1,2時間で読破できるが、あらためて購入して何度か読み返したい。

  • ポストカードを眺めるシーンが好き。挿入される音楽がすばらしかった。「ミツバチのささやき」でも感じたことだが、エリセは本当に詩的で、絵画的な映画をとる監督だ。レンブラント呼ばわりに納得。

  • ビクトル・エリセの映画って、家族でも家族じゃないみたい。人それぞれが、家族にさえ届かない内奥を持っていることをすごく伝えてくる。私にはそれが怖い。

  • スペインの内戦などの歴史背景の知識は全くなく、単純に娘と父親を巡る物語として鑑賞。最初から最後まで静謐な雰囲気の映画だった。音楽も雰囲気に馴染んでいてよかった。映画のひとつひとつのシーンが絵画みたいできれい。父親はどこか陰のある、物憂げな雰囲気。映画終盤で父親と娘がレストランで会話をするシーンは、なんだか父親がとても寂しそうだった。娘が成長して、父親だけが過去にぽつんと取り残されているような。父親の孤独が伝わってきた。繊細な人なんだな。少女の成長とともに、時間も経過していって、家が古びて、薔薇のアーチが枯れていたり自転車が壊れていたり、そういう描写が寂しい。とてもうつくしくて繊細な映画。主人公の女の子がずっと薬指にしていた星の指輪には何か意味があるのかな。初聖体拝領のシーンが幻想的だった。

  • 「ミツバチのささやき」よりも本作の方が好きでした。
    小さい女の子の目をを通してかかれた一人の男の人生(父親)の謎を追いかけて行く様が独特の静寂な時の流れの中で淡々と語られる。映画館へ父を追いかけて行くところが好きです。

    この淡々としながらも心温まる感じが良いです。

    画面がとにかく綺麗。匂いや気温が1つの画面内に絵画的に収まっています。

    ビクトル・エリセ監督も作品は一般的なスペインのイメージと違うのは北のカトリックヨーロッパ的な雰囲気を色濃く映し出しているからでしょうか?
    エリセ監督から見る‘南’のスペインは同じスペインながらも異国なのかなと思います。

  • 丁寧に静かに紡がれる、父と娘の物語。
    光と闇をこんなに美しく撮れる方はそういらっしゃらないんじゃないかしら。

    使っている俳優陣も良かったし、画も音も美しかった。
    表情が良かったです。

    ミツバチ~は思わず息をひそめるような静かさをもった映画だけどこの作品はそっと見守りたくなる感じ。

  • 寡作な映画監督ビクトル・エリセの2作目。
    父と子の生活を静かに映してるだけなのに本当に映像が綺麗で退屈せずに見てられる。やがて知る父の秘密と、その時成長した少女の取る行動、そしてラストがまた余韻を残す

  • EL SUR
    1983年 スペイン
    監督:ビクトル・エリセ
    出演:オメロ・アントヌッティ/ソンソレス・アラングーレン/イシアル・ボリャン

    「ミツバチのささやき」と二本立てでリバイバル上映したときにシャンテで鑑賞。個人的には「ミツバチのささやき」のほうが好きなので、こちらは地味目の佳作という印象。

    昔の恋人をいつまでも思っている父親と、それを見つめる娘。たぶん父と娘という関係性に自分は思い入れがない=感情移入や共感をしづらいから、深く入り込めなかったのだと思う。

    (1993/2)シャンテシネ

  • レンブラントの絵のような光と影の演出が美しい。ミラグロスみたいな存在がわたしにもいたらいいのに。

    ストーリーは原作のほうが好き。女の子が父から受け継いでいる性質と二人の絆が濃く強く表現されていたから。

  • 最期、枕の下の振り子、お父さんなりの愛情だったと思う

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