A.I. [DVD]

監督 : スティーブン・スピルバーグ 
出演 : ハーレイ・ジョエル・オスメント  ジュード・ロウ 
制作 : スタンリー・キューブリック 
  • ワーナー・ホーム・ビデオ
3.60
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  • (39)
  • (7)
本棚登録 : 947
感想 : 113
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  • Amazon.co.jp ・映画
  • / ISBN・EAN: 4988135538796

感想・レビュー・書評

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  • 面白かった。
    テディいいなぁ。色々乗り越えてきたおじさんっぽさが滲んでる…自分で縫ってるのがかわいかったです…。
    ストーリー自体は誰にでも楽しめる作品だと思います。なんとなく描きたいシーンを無理やりつなげたような気がしますが、ジャンクショーもジョーとの旅も良かったと思います。
    ノウ博士の後のシーン、ジョーは正論言ってると思うし、多分自分の方が正しいって分かってるんだけどつれて行ってあげる優しさが素敵でした。
    人工知能A.I.愛情を持つメカ。ロボット系の映画ってヒトを上回るメカによって世界征服されて…人類vsロボットみたいなイメージがあったから愛情溢れる映画が見られて良かった。
    それから、今より未来のさらに2000年後なんて、創るの大変だったろうなぁと思います。スピルバーグ監督すごい。

  • 坂本龍一の追悼企画をやってくれたことがきっかけで久々にMetrogpaphの月会費を納入、ならばということでシリーズ以外にも踏み出してみようということで選んだのが本作。どっぷり雨降る週末に負けずに飛び出してみてそこにあったのは素晴らしい35mmプリント上映の鑑賞機会。十分な価値であった。

    地下鉄の遅延のせいで冒頭数分を逃したのだが鑑賞後ネットを徘徊したところ無料お試しで観れるサービスが見つかり即再確認、逃していた箇所に含まれていたのは時代背景設定に関するナレーションを主体とした部分であり、「どれぐらい未来なのか」という点について「地球の低地にある都市がもうどっぷりと海底に沈んでしまって久しい頃のお話」として定義されていた。このあたりは微妙に物語の後半に結びついていたこともあり、この部分の制作者側の意図を汲み取れない状況で鑑賞してしまったのはちと残念であった。

    ちなみに二度目の鑑賞であったはずなのだが話の筋の記憶は見事に忘却の彼方へと去っており初鑑賞のごとく楽しめた。その確たる証拠がジュード・ロウの登場シーンで素で笑えたこと(笑)

    アメリカで少しなつかしいおもちゃとしてたまに語られるMagic 8 Ballを茶化したようなDr. Knowの登場シーンではどうしても昨今のA.I.の代名詞といえるChatGPTを思い浮かべざるを得ず、これはやはり公開時2001年に鑑賞したとて感じいることのできなかった領域に違いないはずだ。

    冒頭、ロボット開発者たちの間で交わされる会話が突き刺さる。
    「このロボットが全力で愛情を傾けてくれるとして、その所有者側の義務というのはどういったものでしょうか?」
    「そもそも神がアダムを創造したとき、神は彼からの愛情の見返りを期待したであろうか」

    Unconditional Loveといものはいったい存在するのだろうか…という時折顔を出す永遠の疑問のひとつにもつまづいてしまう機会を与えられる作品であった。

  • 涙ボロボロに泣きながら観ました
    何でもロボット化、無人化してきている今
    いずれはこんな世界が来るのかなあ…と思いつつ

    結末は自分の中で納得が少しいかなかったけれど、
    どんなに転んでも結局はここに行き着くのかも、って思いました
    主人公の少年の演技に涙がこぼれます

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「結局はここに行き着くのかも、って」
      ある種の「おとぎ話」、、、仰言るように人間の行く末について、色々考えさせる作品でしたね。
      「結局はここに行き着くのかも、って」
      ある種の「おとぎ話」、、、仰言るように人間の行く末について、色々考えさせる作品でしたね。
      2013/03/19
  • 「 A.I. (Artificial Intelligence)」は2001年に公開されたアメリカ映画である。今は亡き巨匠スタンリー・キューブリック(「時計仕掛けのオレンジ」、「2001年宇宙の旅」)が長年温めていた映画で、彼の没後、スティーブン・スピルバーグが監督の座を引き取り当作品を完成させた。

    舞台は ニューヨークを始めとする数々の都市が地球温暖化の進行で沈んでしまった近未来。ロボットの技術が高度に発達していて、雑用や性的欲求を満たしてくれるロボットが作られた。人間の日常生活にロボットは欠かせなくなり、人を愛するという感情すらインプットされた最新型のロボットまで開発された。デイビッド少年という人格を持ったロボットは、不治の病に冒された息子を持つ夫婦に育てられることになる。だが、ある日突然実の息子の体調が回復し彼が家に帰ってくることになった。実の息子マーティンに親の愛情を取られたロボット・デイビッドは彼のそんな姿を見て、自分も人間になりたいと決心する。人工知能を持ったロボットの長い旅が幕を開けた。

    当作品の中間あたりで、ロボット狩りの一味に他の破壊 されたロボットと一緒にデイビッドが連れ去られるシーンがある。連行先では、まるでコロッセウムで行われたような公開処刑がロボットに対して行われていた。観客は、人工知能を埋め込まれたロボットが粉々に破壊されるのを見て喜びに浸っていた。その姿は非常に醜くかったし、同じ人間として恥ずかしかった。見た目が人間と変わらないロボットのデイビッドの処刑の番となったが、観客は彼の処刑に反対した。その理由は単純なもので、デイビッドは彼ら人間と同じ感情を表現するからというものだった。人間は非常に単純で、同じ人種、宗教、肌の色など自分と似た特徴があると多少なりとも親近感や愛情が湧いてしまう。東日本大震災の後、全国各地の人々が募金を被災地のためにしている。それ自体はモラル的に良いことだし否定する気持ちはまったくない。しかし、主にアフリカで毎日3万人が飢餓で死んでいるというのに彼らに対して身銭を切る日本人はほとんどいない。それは餓死している人々には親近感が湧かないし身近で起こってないため現実味がないためで、頭では理解できる。それでも、人の命は皆平等であり同じ量の愛情を受け取る資格があるはずだ。

    この震災の救援・募金活動について知れば知るほど漠然とした疑問――当作品のテーマでもある「愛情とはなにか?」――が頭に浮かぶ。一日に3万人も餓死している人たちへの愛情はどこにあるのだろうか。彼らにも人々からの愛情を受け取る資格があるはずなのに、彼らへの募金の量は今回の東日本大震災と比べて明らかに少ない。それとも現金ではなく、見えない思いやりや愛情は餓死している人々にも注がれているのだろうか。近未来では愛情をお金で購入できるまでに技術が発達してしまって、具現化されていない愛情は意味を持たなくなったのかもしれない。

  • ヒューマンドラマかと思えば突然SF要素が濃くなったり、ファンタジーぽくなったり、かと思えば暴力的なシーンや性的な台詞が出てきたり。
    よく言えば展開が読めなくて面白い、悪く言えばまとまりがない感じ。
    そして長い。海に落ちていくシーンでは、残り時間確認してしまった。え、こっからさらに展開していくの?って。
    まあ、そこで終わったら切なすぎて感情のやりどころがなくなってしまいそうだったので、綺麗に終わって安心したのも事実だけど。

    それにしても、特筆すべきは義父のヘンリーのクズっぷり。勝手に連れてきておいて、自分達の都合の悪くなったら返す(廃棄させる)なんて、いの一番に言う。愛情プログラムの起動も、捨ててくるのも全部妻任せ。この映画の人間の嫌な面の象徴みたいな存在だった。

    オスメントくんは天才の一言に尽きる。あの年であんなに演じ分けできる役者なんて他にいない。
    ジョーの“I am. I was.”の台詞も印象的だった。「私は生きた。そして消える」と訳されていたけど、ネットには“I”に注目して「私は人だ。人だった。」が正しいという解釈もあった。奥深い。

  • やはりスピルバーグのSFものは個人的に好きになれない。全く面白いと思わない。キューブリック原案らしいが、キューブリック監督で観てみたかった。

  • 何となく観返してみた。ストーリー的にいろいろ無理がありすぎる。

  • なぜもう一度観ようと思ったか忘れたが、とにかく見た。愛情という感情を持つようになった少年ロボットが、母親に愛されようとして本当の人間になるためにブルーフェアリーを探す旅に出る。キューブリックが係わっているからかわい雑なものと美しい映像が入り混じっている。オチはかなりダーク。長いのはいただけないが、全体的には面白い。B-

  • ロボットの少年の心情が丁寧に描写されていて切ない作品です。<芝浦工業大学大宮図書館スタッフT>

  • 海底で機能停止して終わった方が物語として美しいのは誰の目にも明らかなので、それでも終幕しないのは美しさ以上に重要なこと、物語の根幹に関わるようなことがあのラストシークエンスにあるからだろう。ロボットが母の愛を得るために頑張りました健気でかわいそうですねという結論にはしないってことだ。
    公開当時観たときはあの「スペシャリスト」たちは宇宙人だと思っていたので、全くこれだからアメリカの男は!情緒ってもんがわからんのか!と最後のくだりの蛇足っぷりにがっかりしたものだったんだけど、あれ宇宙時間って時空の誤訳らしいですね。悪いのはアメリカの男じゃなくて日本の女でしたね。あの人型の何かが高度に発達した人工知能ってことなら、話は全然違ってくる。
    神も愛を期待してアダムを作ったはずだ、と言うようなセリフを冒頭でホビー教授が言っている。スペシャリストたちにとっては人類は創造主にあたるので、彼らが既に滅んだ人類の研究をして己の存在意義を探っているというのは、キリスト教的価値観に於いてはなかなか冒涜的な皮肉なんじゃないだろうか。

    ジゴロのジョーは途中、自分たちは人間に仕えるためにデザインされているんだ、ママはお前にサービスを求めているだけでお前を愛しているわけじゃない、とデイビッドに諭す。それはセクサロイドとしてのジョー自身の経験から来ている言葉で、あの時点では人間とメカの世界はそういう構造だったのだろう。
    デイビッドはモニカのためにモニカを愛するように設定された。けど、デイビッドが最後の望みとして一日だけママを甦らせるのは、あれは全くモニカのためじゃない。デイビッドが愛され、デイビッドの愛を受け取ってもらうため、つまり自分自身のワガママとしてママを求めた。
    モニカ(人間)がデイビッド(メカ)に仕えるために作られ死んでいく、という、あの逆転した構造によって、すべての人間が全てのメカにしてきたワガママの復讐がなされたんじゃないだろうか。それは同時に贖罪でもある。なんかちょっとザマアミロ人類みたいなかんじのスッキリ感と、ああこれで少しは償いができたかなっていう安心感がない交ぜになったような感情になったんだよね…。

    「その愛は真実なのに、その存在は偽り」っていうキャッチコピー、きれいだし分かりやすく目を惹くけど、デイビッドの愛が真実かどうかっていうのも観客が考えるべき要素の一つなんじゃないのかな。

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