以下、本ディスクに収録されている46-60話の感想とメモ。
47-51話:
ヨハンは基本的にひとりでフラフラ集団をオモチャに遊んでいる。これをネオナチやチェコスロヴァキア秘密警察が利用しようとするも、自らの経歴を知る者たちをヨハンは次々に抹殺し、自らを担ぎ上げようとする連中も次々に抹殺。ヨハンはその場限りの手下は持っても、基本的には単独犯。ヨハンを担ごうとする連中も、ヨハンのひとり遊びを権力闘争と(意図的にか無意図的にか)誤解。
ヨハンは過去チェコスロヴァキア秘密警察にさらわれ、511キンダーハイムにてその異才を発揮することになる。チェコスロヴァキア秘密警察の中でも、表向きのトップには明かされない秘密があり、それを統括していたのは下級将校でありながら絵本作家でもあった、赤いバラの屋敷に住むボナパルタという男。この男が「なまえのないかいぶつ」の著者。
ヨハンの存在証明とアイデンティティ獲得の物語。
511キンダーハイムのグリマーも、同時進行的に感情を取り戻す過程にある。
ルンゲからスークへ「君は刑事だろ。刑事なら、すべてのことに冷静にメスを入れなきゃならない。ささやかな幸せを壊してでも、冷徹に真実をえぐりださなきゃならない。もう誰にも裏切られたくないのなら、いちばん疑いたくない人物まで疑え」
データを膨大にそろえ、それをもとに、完全な主観で捜査する、これがルンゲのやり方。この完全な主観を、何もかもを捨てででも貫く。ルンゲには意図的に無視していたデータ、「ヨハンの存在」がある。
ルンゲ「あなたがたの生みだした幻想(=「なまえのないかいぶつ)」から、本物の悪魔(=ヨハン)が生まれた可能性があるのかどうか」
50話にしてようやくルンゲの目はヨハンの実在を認めようとしている。赤いバラの屋敷に単身潜入したルンゲは、逮捕されたテンマに「とりあえず黙ってろ、事件は俺が解決する」(※意訳)と言い残し、すでに廃墟と化した屋敷で封印された部屋を見つける。そこではおびただしい量の血痕と、双子の母「アンナ」の肖像画および「アンナ」へあてた(おそらくはボナパルタの)ラブレターを見つける。
テンマは逮捕、グリマーはスークの容疑を晴らすため自らがすべての罪をかぶりスークは釈放、グリマーは逃亡。ライヒワインのもとへはエヴァがアル中の治療で訪れる。
赤いバラの屋敷のボナパルタ=ヨハンの父親?
●ボナパルタ:旧チェコスロヴァキアの下級将校兼いくつものペンネームを使い分ける絵本作家。『なまえのないかいぶつ』の著者で、精神医学の博士号、心理学にも長け、専門は脳外科。
52-55話:
テンマ「わからない。私がやったことが正しかったのかどうか。患者の善悪などわからない。私の罪は、私の罪は、あの少年の命を助けたことか。だけど、だけど、患者の善悪によって、助けるかどうかを選択する権利なんか、医者にあるのか。平等だ。わからない。いまでも判断がつかない」
ヴァーデマン「弁護士も、人の善悪などわからない。弁護するときにやるべきことは、ただひとつ。信じることです」「この国ってやつは、ただスケープゴートが欲しいだけなんだ。私にはもうすぐ子供が生まれます。その子のためにも本当の正義を。罪のない人に、いわれのない罪を着せて、安易に物事を解決しようとする、裁判官、検事、正義のないこの国すべてが、反省する。それが重要なんだ」
53話のエヴァとテンマの若かりし頃のエピソード、それなりにいいエピソードに感じたけどなあ。高慢なエヴァを傷つけないようにテンマがすごく気を使って、それでもきっとエヴァの中に美徳も見出していたんでしょう。エヴァのいいところってなんだろうなあ。テンマを拒絶し、父を失い、テンマに拒絶され、あんなふうになってからのほうが長いので、テンマがエヴァのどのあたりを気に入っていたのかわからない。いくら院長の娘でも、それなりにいいところがなければ、つきあえないと思うのですよね。あるいは、高慢で都会的なものの好きな彼女に、平凡で、いっそくだらなく思えるような庶民的な生活の中にも、素敵なものはあると知ってほしくて、あえてエヴァに媚びることもせず、自分なりの接し方で関係を続けていたということだろうか。
●ヴァーデマン:テンマの弁護士。冤罪の父が獄中で無念の死を遂げ他と思い、弁護士になった男。シ実際には父は、旧チェコスロヴァキア秘密警察のスパイで、ボナパルタと繋がりを持っており、この事実の発覚から、父に裏切られたような感覚を味わい、何も信じることができなくなっていた。シューバルトからもテンマの弁護の依頼を受けたが、シューバルトとテンマの関係が不明であるため断り、テンマの元患者たちを丸め込んだロベルトからテンマの弁護の依頼を受け、ロベルトと共同してテンマの弁護に当たる。
56-60話:
1981年、46人の人間が赤い薔薇の屋敷で殺される。ヨハンはニナと自分を同一の存在と思っていて、自分が手に入れたすべてをニナのものだと言う幼少期。外交官夫婦に引き取られた後、家に訪問者「怪物」がやってきて、ヨハンは「たまたま怪物が来たから」と夫婦の死体の向こうで銃を握りしめていた。そのままやってきたニナに自分の頭を打ち抜くよう指示し、「僕が死んでも、僕は君で、君は僕だ」から大丈夫だと言い残し、ニナに撃たれる。ヴォルフ将軍曰く、将軍に拾われるまで双子に名前はなかった。赤いバラの屋敷で生まれた彼らは名づけられずに育てられ、ヴォルフ将軍が、たまたま冬の荒野、チェコの国境付近で行き倒れていた双子を広い、彼らのもっていた『なまえのないかいぶつ』から「ヨハン」、ほかの何かから「アンナ」と名付けたことで、ふたりにはじめて名前がついた。ヘルムート・ヴォルフ「これが、ヨハンの見た世界か。名前のない世界か」荒れ果てた荒野の風景。赤い薔薇の屋敷に普段から出入りし、そこで倒れたニナを拾い介抱したリブスキーはボナパルタの実子。薔薇の屋敷は現在のヨハンによって燃やされ、46人の人間の死んだ封印された部屋には双子の母の肖像画と怪物からアンナへのラブレター。46人の遺体は庭の薔薇の下。
エヴァ「デュッセルドルフでボロボロのままロベルトに殺されるより、マシかと思った。綺麗に着飾ったエヴァ・ハイネマンで殺されるほうが、マシだと思った。死んじゃえば、一緒なのにね」
この作者さん、同じ言葉を繰り返し、何度も何度もしゃべるキャラクターを作っている。同じ言葉を何度も重ねる、それだけの情念の強さが伝わる、いい台詞のつくりかただと思うのですよね。以前、同じ言葉を3度聞くと、要領が悪いと思うと言っていた友人がいましたが、私はそうは思わない。それだけ情念が強いのだと思う。
しかし、いまのエヴァと昔のエヴァなら、昔のエヴァのほうがよかったかもしれません。お金だけあれば幸せだったのだから。
ヨハンを頂点に迎えるつもりだったヴォルフ将軍たちの組織の内部分裂、ヴォルフ将軍の老衰による影響力の低下のせいで。ヴォルフ将軍と同格の幹部の、「眼鏡の男」が弁護士に扮しヨハンを見たと証言をするつもりのエヴァをロベルトがさらうより早く、赤ん坊の部下マルティンを使ってエヴァを奪い、パーティでヨハンの顔を識別させ、「眼鏡の男」がヨハンと接触する手助けをさせたのちエヴァを殺せとマルティンに命じるも、マルティンは情の深い男で(裏切りには過敏に反応する男でもあり)、好きな男が忘れられず酒浸りになったエヴァの逃亡を手助け、組織を裏切る。「眼鏡の男」には饒舌な若い部下がおり、彼が主にヨハンと接触。