007 女王陛下の007 アルティメット・エディション [DVD]
- 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
- Amazon.co.jp ・映画
- / ISBN・EAN: 4988142422026
感想・レビュー・書評
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TVにて
ラストだけは切なかったけれど,,,それだけ -
なんかパッとしない作品だ。。。
ボンドガールは綺麗で結婚までするが007に似合わないなぁ -
緊急時に連絡のつかない諜報員、入水自殺する女の容姿を確認してから助ける諜報員、これが新しい2代目ボンドの登場シーンです。レーゼンビーにとっては、初の映画作品で主演というから大抜擢です。とはいえ、2年後の7作目「ダイアモンドは永遠に」ではショーン・コネリーがカムバックしています。
本作では女にだらしのないボンドがやっと結婚相手を見つけたのに、あまりにあっけない最期が意外過ぎて驚く。140分の映画が異常に長く感じられた作品でしたが、ルイ・アームストロングの挿入歌「愛はすべてを越えて(We have all the time in the world)」が素晴らしい。
『女王陛下の007』(On Her Majesty’s Secret Service)は、イアン・フレミングの長編小説007第10作。また1969年公開、ピーター・ハント監督のアクション映画。007シリーズ第6作。ジェームズ・ボンド役をジョージ・レーゼンビーが演じた唯一の作品である。
スペクターの首領ブロフェルドを探し回るのに飽き飽きし、イギリス秘密情報からの辞職を考えていたジェームズ・ボンドは、カジノ・ロワイヤルで現金を持たずに大金を賭けて負けたテレサ・ディ・ヴィセンゾ公爵夫人を助けた。テレサと一夜を共にしたボンドは、彼女の父で犯罪組織ユニオン・コルスの首領のマルク=アンジュ・ドラコに拉致され、赤ん坊を亡くして絶望しているテレサと結婚してくれるように頼まれる。テレサに自分で立ち直らせるよう説得したボンドは、ドラコから礼としてブロフェルドがスイスに潜伏していることを聞く。
ブロフェルドは、ド・ブーヴィル伯爵の嗣子であると称し、その確認を英国紋章院に申し立てていた。ボンドは紋章院のヒラリー・ブレイ卿に成りすましてアルプスのピッツ・グロリアにあるブロフェルドの山荘に潜入し、彼がそこでアレルギー研究所を営んで10人のイギリス人女性たちに治療を施していることを知る。だが、正体が露見してボンドはスキーで脱出し、麓の町(サメーダン)でテレサと再会し共にロンドンへ帰還する。ボンドはブロフェルドが10人の女性たちを催眠術で操り、運ばせた生物兵器によって七面鳥や牛・豚・鶏・馬鈴薯などを全滅させ、イギリスの貨幣価値および国家の壊滅を企んでいることを知らされた。ボンドは、Mの黙認の下に、ドラコの協力を得てピッツ・グロリアを急襲、テレサを救出し研究所を破壊したが、ブロフェルドは逃がしてしまった。ボンドはテレサと結婚し、彼女のランチア・フラミニアに乗って新婚旅行に出かけた。だが、2人を追い越したマセラッティに乗っていたのは、ブロフェルドであった。
・本作は、劇中でメインのボンドガールが死亡する最初の作品。結婚直後にテレサが死んだ設定は以後のシリーズでも踏襲されており、次作『ダイヤモンドは永遠に』のオープニングシーンで、テレサの敵討ちにブロフェルドを殺害するシーン、『私を愛したスパイ』では、スパイのアニヤにこのことを言われてボンドがやや怒るシーン、『ユア・アイズ・オンリー』ではテレサの墓参りをするシーン、『消されたライセンス』ではこのことを知らないフェリックス・ライターの妻がボンドに、「あなたはもうじき結婚できる」と言ったために場の雰囲気が険悪になるシーンがある。
・ブロフェルドのアジト(細菌研究所)の「ピッツグロリア」はスイスのシルトホルン山頂に実在し、現在も回転展望台レストランとして観光客の人気を集めている。シルトホルン・ケーブルカー(作品中にも使われたケーブルカー)で登る。なお本作品の撮影にあたり、制作会社から撮影後に展望台にレストランを作るための資金が協力された。現在、同レストランには「007ランチ」や「ジェームズ・ボンド・スパゲティ」などのメニューがある。
ジョージ・レーゼンビー(George Lazenby、1939年9月5日 - )は、オーストラリア出身の俳優。2代目ボンド役が有名であり、歴代ボンドのなかでも唯一、ヨーロッパ圏以外の出身の俳優でもある。身長188cm。
レーゼンビーは1939年、オーストラリアのニューサウスウェールズ州クイーン・ベイヤンに生まれた。高校を卒業後、キャンベラにあるモリス・モーター社で車のセールスマンをした。スポーツではスキーが得意で、スキーのインストラクターをしながら、いくつかの競技に出場した。また地元バンドにも所属し、ベースギターも演奏していた。そしてオーストラリア軍に所属し、軍曹の階級を得てマーシャル・アーツのインストラクターをした。除隊後、1964年にロンドンに移り住み、中古車のセールスマンを続けていたが、間もなくファッションモデルに転進、雑誌PB等の売れっ子モデルとなる。
俳優でなかったため、この当時の映像作品への出演はなかったが、チョコレートバーのテレビCMで脚光を浴びる。のちに『女王陛下の007』で監督をするピーター・ハントによれば『あのCMのおかげで誰もがレーゼンビーの顔を知っていた』という。(Wikipedia) -
面白い!終わり方が凄く好き。
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公開順に見ているとだんだんショーン・コネリーに飽きてくるが、急にジョージに代わった途端物足りなさを感じてしまう。
顔の濃さか?
ハッピーエンドじゃなかったところが新鮮だった。これはこれでなんか好きだ。
スキーしたくなる。