これは私のM気質を完全に開眼させちゃってくれた一冊でありましょう。
正直タイトルの「エーゲ海に捧ぐ」はちょっと入り込めなかった。
「彼」の時代に馴染めていなかったのだと思う。
「ミルク色のオレンジ」「テーブルの下の婚礼」と読み進めるにつれ抵抗がなくなっていった感じ。
「テーブルの婚礼」はいいなぁ、好きだなぁ、と思った。
坂口安吾の「白痴」や、桜井亜美の「イノセントワールド」に続き、わたしはこういう話が好きなんかなぁ、ただのド変態じゃん、とか思う。いや、変態大変結構ですが。
わたしは、男が性欲のまま行動する姿を見るのが好きなんだなぁ、と思った。
なんか、年を重ねたせいか、人を好きになるのに色んな付加価値を考えすぎて超めんどい過程をいっぱい踏まなきゃいけないと思いこんでいて、要するに暇なんだろうね。我々は。駆け引きに時間を費やせるほど。
そういうのが苦手だから、こう欲望に忠実な人にひどく憧れる。
行動できるほど派手な人間関係築けるわけじゃないから、余計に。
追記:
※これから書くことは、私の個人的な戯言ですので、こりゃ違うんじゃない?ってことが多分に含まれます。
「男が性欲のまま行動する姿を見るのが好き」と言うことは、「女」と言うものが軽視された発現よね。裏を返せばそれは、「女は性欲を満たすためだけの存在」ってことを認めてるってことだもの。それも女の私がw
よく・・・分からないんだけどさ、女ってそういう衝動だけで動ける人って少数派じゃない?男とは違う。人間関係があって、それが性欲と大きく関係してる。多分。だから・・・少なからず女は、セックスによって女としての自己肯定感をもたらされたいんじゃないのかしら。つまり「私はこの人の性欲を満たすだけの女としての価値がある」と。
わたしは、女の人はその自己肯定感と言うものに付加価値を求めすぎているのかしら、とこの本を読んで思う。
女は、
「性欲を満たせる女の価値」∋「それは「あなた」である必要はない」
ということを認めたくないのだと、思う。
女の、「男の恋人の浮気を責めたてる」という背景には、「この男の性欲を満たせる女としての自分の価値」を「私じゃなきゃ満たせないこと」とはき違えていることと、「それは自分じゃなくても良かったのだ」と思い知らされることの二つがあるんだと、思う。女が浮気を怒るのは、「結局誰でもよかった」という現実に、自身のプライドを傷つけられるからなんじゃないかしら。
でも、それってちょっと違うよね。だって男の人ってセックスしてから彼女を決めるわけじゃないもの。(まぁ、そういう人もいるけど。)もちろんその観点は大事だけれども、それ以外に「この人がいい」って思う何かがあるから、「彼女としての存在」を決めるわけじゃない?(男じゃないから分かんないけどね)女はそこを忘れてはいけない。っていうか男はそのことを女に忘れさせてはいけない。
…あいやー、これ、浮気肯定発言だぞ?「浮気を知ったら別れる」とか言ってる人間の発言じゃないね。・・・いや、でもね、私「バレなければ、浮気じゃない(でも大概バレるよ)」と思う人間です。要は「女の「彼女」としてのプライドを傷つけてくれるな」ってことじゃんね。浮気が許せないのはそこでしょ。女は勘が鋭いから分かっちゃうことも多い。だからバレて困ることは予めしてくれるな、ってことね。
※わたしは、多分人と付き合うことに疚しさがあるので、「浮気を知ったら別れる」と言ってるんだと思います。「浮気したいと思わせた相手」が、今の彼氏のことを思いやってくれる人なれば、どうぞそちらへ、って思ってしまうんだと思います。その方が、あなたにとって幸せな選択なのかもしれない、ということをよく考えてほしいのだと。
男は、必要以上に彼女の役割に踏み込もうとする女と遊ぶな。
性欲満たす以上に「自尊心を保つため」にセックスするような男だとしたら、女はそんな小さい男といるなんて時間の無駄。別れた方がいい。
・・・わたしはこの文章を、一体誰に向けて書いたんだろうか・・・。